「主と共に世を渡れ」ヨシュア記 3:1-17 金田洋介牧師
神様の召しによって立ち上がったヨシュア。約束の地は目の前ですが、増水したヨルダン川は容易に渡れる状態にありません。
ヨルダン川を前に静まる
ヨシュアと民たちはヨルダン川岸に三日間留まることになりますが、彼らにとって大事な静まりの時間でした。ヨシュアは神様の前に導きを求めて静まり、民はかつてカナンの地の堅固な町と強い先住民を恐れて不信仰に陥った先人たちの罪と失敗を思い返しつつ、彼ら自身も神様への信仰が試されていることを考えたことでしょう。今日を生きる私たちも、様々な場面で困難に直面しますが、神様の前に静まるという選択肢があることを覚えましょう。
自らを聖別しなさい
三日後、ヨシュアは神様の命令に従い、契約の箱を担ぐ祭司たちがまず川に進み行き、その後を民がついて行くよう命じます。そしてヨシュアは民に「自らを聖別するよう」命じます(5節)。それは、力ある神様の前に徹底的に遜り、全てを神様に明け渡すという意味です。ヨシュアは、川岸で過ごした三日間でこれまでの歩みを顧み、神様を信じきれない、信頼しきれない思いと歩みから決別し、ただ神様の御約束を信じるなら、神様は不思議を行われる(驚くべき御力を目の当たりにする)と迫ったのです。
神様の御言葉を信じて踏み出す
「全地の主である【主】の箱を担ぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまるとき、ヨルダン川の水は、川上から流れ下る水がせき止められ、一つの堰となって立ち止まる。」(13節)。かつてエジプトを脱出した時、神様が紅海を分けられたことと同じように、神様はヨルダン川を渡らせて下さるというのです。ところが、紅海を渡った時は海が分かれてから踏み出しましたが、ヨシュア一行がヨルダン川を渡るためには、激しく流れるヨルダン川の状況が変わらないまま、足を踏み入れなければなりません。しかし、彼らは神様の御言葉の約束を信じて立ち上がりました。そして、契約の箱を担いだ祭司たちの足が激しく流れるヨルダン川に踏み出した瞬間、奇跡は起こりました。神様のお言葉通り、ヨルダン川は上流でせき止められ、民はみな乾いた川底を歩いて渡り切ることができたのです。
本日はヨシュア記を開きましたが、私たちの生きている世界とかけ離れた世界の話のように思われるかもしれません。しかし、彼らは私たちが生きるこの世界に在って神様の御言葉を信じ、神様と共に進み出ました。その結果、彼らは神様の不思議を、奇跡を体験したのです。そして、忘れてならない事実、信じるべき真理は、彼らに不思議を行われた主は私たちの主(神様)であるということです。時代や場所が違っても、信じている主は同じです。私たちは、この主と共にこの世界を生きているのです。主の御力、御言葉の力が及ばない領域はこの世のどこにもありません。この主と共にこの世を渡ろう(生きよう)ではありませんか。