2024年2月11日 主日礼拝メッセージ

「神の憐みを忘れたニネベ」ナホム書 1:1-15   金田洋介牧師

ナホム書は、エルコシュ人ナホムに示された幻の記録です(1:1)。この書のテーマはニネベの(アッシリア)の滅亡です。ヨナの時代、王も民も家畜までの悔い改め、神様の裁きを免れることができたニネベは、再び神様の前に高慢になり、神様に敵対するようになってしまったのです。

【主】はねたんで復讐する神

2節に「ねたむ」とありますが、神様の「ねたみ」はイスラエルの民に対する愛の大きさを表しています。ですから、「ねたむほど愛している」イスラエルを苦しめる敵を許されません。イスラエルに敵対するニネベに怒りを向け、復讐されるのです。それ程、イスラエル対する愛は大きく、激しいということです。しかし、神様のねたみや復讐は私たち人間の様な感情的なものではありません。神様の怒りは力強く、恐ろしく、何より公正であるということです。

ニネベに向けられた神の憤り(怒り)

気の毒に思う程に、神様の激しい怒りはニネベに向けられます。それは彼らが神様に対して悪を謀り、企てたからです(II列王記19章)。神様はニネベ(アッシリア)を徹底的に滅ぼし尽くし、イスラエルの民をアッシリアの支配から解放する良き知らせ(福音)が届くことを約束されました(15節)。その言葉通り、紀元前612年にニネベは、アッシリアは滅亡しました。

神の憐みを忘れたニネベ

かつて、神様はニネベの町(人々)が滅びることを惜しみ、憐みの御手を差し伸べて、預言者ヨナを遣わされました。ヨナを通して告げられた神様の言葉を聞いたニネベの人々は、王も民も、家畜までも悔い改めたことによって神様の裁きを免れることができました。しかし、それはひとえに、神様がニネベを惜しんで、憐れんで下さったからです。ところが、ニネベの人々は神様の憐みを忘れ、再び高慢になり、暴虐の限りを尽くして国々を襲い、支配し続け、神様がねたむほど愛された神の民イスラエルにまで、その手を伸ばしました。その結果、神様の激しい怒りが下り、滅ぼし尽くされたのです。とても厳粛な思いがします。私たちも神様の憐みのゆえに今日あることを忘れてはなりません。

ナホム書から教えられること

1:6 主の激しい憤りの前に、だれが立てるだろうか。だれが、その燃える怒りに耐えられるだろうか。これ程の神様の激しい憤り、燃える怒りを向けられたニネベの悲惨さ、この怒りを招いたニネベの愚かさを思いますが、これは他人事ではありません。神様の憤りと怒りは、他でもなく私たち自身に向けられていることを忘れてはなりません。私たち人間は、生まれながらに怒りの子(神様の憤りと怒りを向けられる存在。エペソ 2:3)です。しかし、神様は私たちのために、ひとり子イエス様をこの世にお遣わし、私たちが受けるべき神様の激しい憤りと怒りをこのイエス様が身代わりに受けられたのです。イエス様は、私たちのため、私たちの周囲にいるニネベのような人(高慢で神様を畏れない人)のために、身代わりとなられたのです。もし、今、あなたの身代わりとなって神様の憤りと怒りを受けられたイエス様に応答したと願うなら、イエス様を与えて下さった神様に、神様の御心の従順であられたイエス様に、悟らせてくださった聖霊様に、感謝して生きましょう。この素晴らしい福音を証して生きましょう。どうか、あなたができる応答を神様の前にさせていただこうではありませんか。

今日のお花は、ユキヤナギ、テッポウユリ、バラ、スターチスです。