2024年3月3日 主日礼拝メッセージ

「もだして、ただ神を待つ-神が義と呼ぶ者-」 ハバクク書2:1-4、詩篇62:5-8   金田洋介牧師

神様の回答を待つハバクク(1 節)

疑問を神様に投げかけたハバククは神様の回答を聞き漏らすまいと注意深く待っています(1節)。彼の姿勢は学ぶべき態度だと思います。私たちは祈るだけ、呟くだけ、ぶつけるだけで終わってしまうことが多いのではないでしょうか。文句を聞いてもらって終わり。また、願い求めていながら実はあまり期待していないのかもしれません。ハバククは、「私の訴えについて、主が私に何を語られるか、私がそれにどう応じるべきかを見よう。」と、全力で待機していました。神様は生きておられるお方ですから、神様の答えを待つことが大切です。大切なのは神様との対話なのです。

神様の回答(2~4節)

ハバククの訴えと疑問に対して、神様は幻をもって示し、それらの言葉を板に書き記すように命じられました(2-3節)。そして神様は、イスラエルの民を裁くために立てたカルデア人について疑問を持っていたハバククの訴えに答えられます。「見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」(4節)。「彼」とは、1 章 4、13 節の「悪しき者」と呼ばれているカルデア人のことです。彼らは「うぬぼれていて直ぐでない」者たちで自分の力を誇り(神様以外の力に信頼する)、神様を畏れない者、神様に対して高慢な者だと言っています。神様はそれらの悪に対して徹底的に報いられるというのです。ハバククの嘆きや訴えは、しっかりと神様に届いていたのです。しかし、同時に神様の前に高慢であったイスラエルの民も例外ではなく、神様の裁きの対象であることを忘れてはなりません。一方「しかし、正しい人はその信仰によって生きる」とあります。これは、どこまでも真実であられる神様だけを信じ、信頼することによって生きることが正しいということ。それこそが、神様が求めておられる正しい人の生き方です。また、神様が認める正しい人の歩みは、神様に対する信仰姿勢が生き方に現れるということでしょう。常に神様の目と御言葉を意識して歩む者でありたいです。

もだして、ただ神を待つ(詩篇62篇5~8節)

説教題の「もだして」は、漢字で書くと「黙して」となり、 「黙って、ただ神様を待つ」ということ。信頼する神様の御業を信じ待ち望むという意味です。しかし、これは言いたいことを我慢して待てということではありません。詩篇 62 篇 8 節で「あなたがたの心を神の前に注ぎ出せ。」とありますように、「心を空にする」ほどに、湧いてくる不安や怒りや悲しみを、その気持ちを、信頼する神様に打ち明け(ぶつけ) 、神様の回答(応答)を待ち望むのです。ハバククもダビデも、自分で抱え込むのではなく、真実であられる神様に、心から信頼する神様に、様々な思いを正直に打ち明けました(ぶつけました)。あなたが今置かれている状況を神様は知っておられます。どうか真実であれる神様(正しく聖く、最善を成すことができる神様)の御前に心を注ぎだし、神様の応答を待ち望みましょう。そして、神様に示されたことを受け取り、神様とともに取り組んで参ろうではありませんか。

今日のお花は、コデマリ、アルストロメリア、オリエンタルユリ、スターチス、ツツジです。