2023年3月10日 主日礼拝メッセージ

「にもかかわらずの信仰-ハバククの祈り-」ハバクク書 3:16-19   金田洋介師

にもかかわらずの信仰

南ユダに臨む裁き(苦しみ)の日の様子を見たハバククは、激しく動揺し、恐怖に震えてしまいました。しかし、どんなにあがいても、裁きの日から逃れることはできません。ハバククは自分たち同様に、「敵であるカルデア人に臨む『苦しみの日(神様の裁きの日)』を静かに待つ」と告白します(16 節)。カルデア人への裁きが、イスラエルの民にとって救いになるからです。

3:17 いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木には実りがなく、オリーブの木も実がなく、畑は食物を生み出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。
3:18 しかし、私は【主】にあって喜び躍り、わが救いの神にあって楽しもう。

この告白は、「にもかかわらずの信仰」と呼べるものでしょう。カルデア人の攻撃によって、あらゆるものが奪い取られ、破壊し尽くされるという絶望の未来が待ち受けているにもかかわらず、神様にあって喜び躍り、救いの神様にあって楽しむというのです。たとえ苦しみに遭ったとしても、それは神様のご計画が確実に進んでいることであり、苦しみの先には必ず神様の勝利と回復の未来(約束)が待っていると信じ、確信していたからです。ハバククは、最後に力強く宣言します。「私の主【神】は、私の力。」であると。嘆きと憂い、疑問と不満で始まったハバクク書の結末は、神様への絶対的な信仰と絶大的な信頼を表す告白で締めくくられています。ハバククの問いかけに対する神様の回答は、彼が願い望んでいた答えではなかったかもしれません。しかし、自分の望み通り、願い通りの結末ではなかったとしても、彼は静かに神様のご計画がなされるままに任せ、委ねたのです。そればかりか、たとえ苦しみを通ることになっても、神様のご計画が実現することを喜んだのです。

ハバクク書から学んだこと

  1. 神様との対話の大切さ。それは、神様を知ることができる恵みの機会であり、神様に自分の思いや願い、今感じている様々な感情、状況を神様に知っていただける幸いな機会です。神様との対話(御言葉を読み、聴き、祈ること)を通して、神様というお方を知ることができます。
  2. 神様が求めておられる生き方。それは、「…正しい人はその信仰によって生きる。」ということ。神様だけを信じ抜くことはもちろん、真実であられる神様(正しく、聖い神様、常に最善を成される神様)を信頼して生きるということです。
  3. にもかかわらずの信仰。これは、ハバククが行き着いた信仰の在り方です。彼の姿から学んだように、神様との対話から始まります。神様を知る知識が増し加わっていく時、全ての背後に神様のご計画があり、守りがあり、導きがあることを知ることできるように成長していくのです。そして、苦しみや困難さえも、神様の素晴らしさ、真実さを知る恵みの機会として受け取り、喜ぶことさえできるようにされるのです。

3:19 私の主、【神】は、私の力。

私たちの信仰の原動力、力の源泉は、神様であって、私たち自身にはありません。どこまでも、真実であられる神様に依り頼んで生きる。それが、私たちが目指すべき信仰生活です。

今日のお花は、ブプレリューム、テッポウユリ、アルストロメリア、スプレーキクです。