「見よ、わたしは新しい事をなす」 イザヤ書43章19節 金田洋介牧師
中心聖句の19節はとても有名な御言葉であり、年の初めに語られることの多い御言葉ですが、その背景を知ることによってより深く味わうことができます。
40章以降はイザヤの晩年の時代でアッシリア帝国の全盛期。この時バビロンはまだ小国でした。しかしイザヤは、将来強大になったバビロンによって南王国が滅ぼされ、捕囚されることを予言し(39章)さらには、そのバビロンも「私は人をバビロンにつかわし、全ての貫の木をこわし、カルデアびとの喜びの声を嘆きに変わらせる。(43章14節)」とありますように、神によって裁かれ、滅ぼされると告げられたのです。そして神は言われます。18~19節。
「あなたがたは、さきのことを思い出してはならない、またいにしえのことを考えてはならない。見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起こる、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。」 「さきの事」「いにしえの事」とは16~17節の言葉によって出エジプトを想起させているように、かつて神がなされた大いなる御業、奇跡の業のことです。ここで神は、出エジプトの出来事だけで神の御業が終わったわけではないことを民に知らせるため、そしてこれから神がなされることは、不可能と思うようなこと、これまで経験しなかったような新しい御業であること、を告げられたのです。さらに主なる神がイスラエルを選ばれたのは、彼らがどの民よりも優れていたからではなく、「わが誉を述べさせるため(21節)」、すなわち、全ての創造主である神の栄光を全世界に宣べ伝えるためだと告げられました。
今日、私たちは出エジプトやバビロン捕囚からの救いに勝る、罪と死との滅びからの救いを得ました。これこそ神がなされた奇跡の御業です。神のひとり子イエスを犠牲にしてまであなたを愛し、あなたを救われた神に日々期待して歩みましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ユキヤナギ、オリエンタルゆり、カラー、ストック、菜の花です。
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