2018年2月18日 主日礼拝メッセージ

「神を捨てる民、民を捨てない神」 士師記2章6節~23節  金田洋介牧師

ヨシュアの次の時代は、さばきづかさと呼ばれる士師たちの時代です。カナンの地へと踏み入れたイスラエルは相続地を得ますが、攻め取る地はまだ残っており、戦い続けなければなりません。ところが、ヨシュアや彼と共に神のみわざを見てきた長老たちが召されると、民は神の命令に背き、その地に住む人々と共存するという誤った選択をしてしまいます。かつて神がヨシュアを通して警告していたように(ヨシュア記23章13節)、これがイスラエルにとって「罠」となります。

Ⅰ.神を捨てる民

イスラエルの人々は主の前に悪を行い、もろもろのバアルに仕え、かつてエジプトの地から彼らを導き出された先祖たちの神、主を捨てて、他の神々すなわち周囲にある国民の神々に従い、それにひざまずいて、主の怒りをひき起こした(11~12節)。神の命令に従わず、そして、かつて申命記(6章4~9節)において与えられた戒めや教えに対する不徹底が苦境を招き、民は「その敵に立ち向かうことができず…ひどく悩まされ」てしまいます 。(14~15節)

Ⅱ.民を捨てない神

 自業自得のイスラエル。しかし、神は民を見捨てません。その時主はさばきづかさを起こして、彼らをかすめ奪う者の手から救い出された(16節)。 神は士師を遣わし、民を救ってくださったのです。ところが民は、他の神々を慕い偶像礼拝を止めません。士師がいる間は神に仕え、士師が死ぬと再び神に背くのです。この神のみことばとご命令に対する妥協と曖昧な生き方が、民を苦悩と苦境へと追い詰める結果になるのです。しかし神の愛は、イスラエルの民がどんなに背いても見捨てず、憐み、やがて御子イエスの血で贖い救ってくださったのです。

イスラエルの民の姿は他人事ではありません。私たちも自らの信仰生活を顧みたいのです。 悪魔は私たちを神の許から引き離そうと試みてきます。御言葉に対する不信仰、不徹底、妥協へと誘うのです。しかし、どんなに悪しき力が働いても、キリスト・イエスにおける神の愛から私たちを引き離すことはできません。御言葉を信じ、神の愛に、イエスご自身に、御霊の助けによって留まり続けましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、コデマリ、アマリリス(シンコーレッド)、ストックです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(楽しく美味しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、カレーライスとお漬物です。
料金は大人250円、中学生150円、小学生100円、小学生未満は無料です。
初めての方も無料です。