2018年3月11日 主日礼拝メッセージ

「恐れることはない、ただ信じなさい」 マルコによる福音書5章21節~24節、35節~43節

ヤイロという会堂管理人が助けを求めてイエスの許にやって来ました。彼には病で死にかけている娘がいました。ヤイロは「娘に手を置いてくださればいやされる」と半ば強引にイエスを連れ出します。彼の必死な思いは理解できます。しかし、イエスの力を信じつつも、「イエスが来てくださらなければダメだ」と彼自身の中で無意識にイエスの力を制限してしまっています。福音書に出てくるある信仰者は、「イエスの言葉だけいただければそれで十分です」と告白し、その信仰の通りになったことが記されています。ともすれば、私たちの信仰もヤイロのようにイエスの御心を無視して、自分の思いや都合ばかりをぶつけているような信仰かもしれません。問題が大きければ大きいほど、切羽詰まった状況に追い込まれれば追い込まれるほど、神がどのように思い、どのような計画を持っておられるのかなど、考えられないのが私たちの姿ではないでしょうか。しかし、ヤイロの精一杯の信仰と、必死な叫びにイエスは応えてくださったのです。イエスは憐れみ深いお方です。

ところが、家に向かう途中で娘の死を知らされ、ヤイロは絶望へと追いやられます。しかし、イエスは「恐れることはない。ただ信じなさい。(今、恐れるのを止めて、信じ続けるのです)」とヤイロの信仰を励まされました。イエスは信仰を励まして下さるお方です。

すでに死んでしまったヤイロの娘。泣き悲しむ人々の姿がヤイロの信仰を再度揺さぶります。 しかし、イエスは彼女を眠りから起こすように生き返らされたのです。イエスにできないことはありません、イエスは全能のお方なのです。

イエスはヤイロに寄り添い、深く憐み、信仰をを励まし続け、その全能の力をもって彼の娘を甦らせて(救って)下さいました。ここにイエスを信じることの素晴らしさを思わされるのです。すぐに疑い、呟き、諦め、信じることを 放棄してしまう私たちにイエスは「恐れることはない、ただ信じていなさい」と言って下さいます。このイエスの言葉を信じ抜いた先に、神が私たちの現実に生きて働いておられることをハッキリと体験できるのです。恐れずに信じ続けましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、啓翁桜(けいおうさくら)、金魚草、カサブランカです。