「十字架の上のイエス」 ルカによる福音書23章32節~49節 金田洋介牧師
今年も受難週を迎えました。受難週は私たち一人一人の罪の為に十字架へと向かわれたイエスの受難を深くを覚える大切な時です。本日は特に十字架の上のイエスの姿から学んで参りましょう。
第一に、十字架の上で祈られたイエスの姿です。イエスは十字架の上で七つの言葉を語りました。その最初の言葉は「父よ、彼らをお許しください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。(34節) これは神への祈り、しかもイエスを十字架へと追いやり、イエスの心と体を痛めつけた者たちの為のとりなしの祈りでした。さらにこの祈りは、神に、イエスに、周囲の人々に罪を犯していながら「わからずにいる」私たちに対する祈りでもあるのです。
第二に、神の御心に従順であられたイエスの姿です。十字架の上のイエスに向かい「自分を救ってみよ」と罵る者たちがいました。この言葉はイエスにとって大きな誘惑でした。何故なら、神の御子イエスにはそれが容易にできたからです。しかし、十字架から降りるということは、全人類の罪の身代わりになるという神の御心に背くことになってしまいます。イエスは愛する神の御心に従い、また、愛する私たちのために十字架の上で苦しまれたのです。
第三に、罪を許す権威を持つイエスの姿です。十字架の上のイエスの姿を見た犯罪人の一人は、イエスの正しさと自分の犯した罪を認め、イエスこそ来るべき救い主であることを告白しました。イエスは彼の信仰告白を聞かれ、罪の赦しと救いを宣言されました。イエスこそが罪を許す権威を持っておられる神の御子であり、神ご自身です。
十字架の上でイエスは、私たちの罪の為に苦しみ、悶えられ、神に捨てられるという絶望を味わわれました。神の御子イエスを十字架につける程に私たちが罪深いこと、このイエスの犠牲によって私たちが救われたことを心に深く覚え、心から感謝しましょう。『神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。』
3月18日と25日の講壇のお花、愛さん会メニューの写真をお載せします。

3月18日のお花はゆり、レンギョウ、アルストロメリアでした。

3月25日のお花は、やまぶき、きく、アルストロメリアでした。

3月18日の愛さん会メニューは、シチューオンライスでした。東京から帰省した大学生のお土産もありました。

3月25日の愛さん会は、進学・進級バーベキュー会でした。3月とは思えない暖かい(暑い?)日差しの中での、楽しいランチタイムでした。

