2018年6月10日 主日礼拝メッセージ

「悔い改めたニネベ ~憐み深い神~」 ヨナ書 3章1節~10節  金田洋介牧師

魚の腹から吐き出されたヨナは、神から再び召命を受けます(2節)。以前は神の御顔を避けたヨナでしたが、「主の言葉に従い、立って、ニネベに」かいます(3節)。

Ⅰ.すべてを裁かれる神

ヨナは、ニネベへの神の裁きを叫びました。ニネベの人々からすれば、ヨナを遣わされたイスラエルの神と自分たちとは無関係のように思えるでしょう。これは今日の日本にも通ずることで、「キリスト教は外国の神で、日本には日本の神がいる」との言葉をよく聞きます。しかし、真の神の御前にそれらの理屈は通じません。聖書の神は「人をそれぞれのしわざに応じて、公平にさばく」(Ⅰペテロ 1章17節) 唯一のお方です。聖書は、善悪共に裁かれる神を恐れ(認め、信じ)、その御言葉を守ることこそが人間の本分であることを教えています(伝道の書 12章13節 )。

Ⅱ.悔い改めの姿を見ておられる神

神の御言葉にはたましいを救う力があります。(ヤコブ 1章21節)。ヨナの言葉を聞いた人々は、身分の高い低い関係なく、全ての人が罪を悔い改めたのです。その悔い改めは、行動の伴うものでした。彼らは悪い道から離れ、暴虐と横暴なふるまいを止めたのです。「神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ」(10節)とありますように、神はその悔い改めが真実であるかを見ておられます。神の御前にごまかしは通用しないということです。どうか、私たちの悔い改めが神の御前に真実で、実際の行動の伴うものでありますように。

Ⅲ.ニネベの罪を赦された憐れみ深い神

ニネベの人々の悔い改めをご覧になられた神は、「彼らの上に下そうと言われた災いを思いかえして、これをおやめになった」(10節)。ニネベの悪が大きいことは神ご自身が認めるところでした。(1章)。真の神を恐れず、その行いは強暴に満ちていました。しかし、愛なる神は深い憐みをもってニネベを赦して下さったのです。神は「あわれみと恵みに富み、怒りをおそくし、いつくしみと、まこととに豊かな」(詩篇 86篇15節)お方です。神は聖書の御言葉を通して、常に私たちに語っておられます。日々、御言葉に生き、もしも罪が示されたなら、神の憐れみを求めて御前に悔い改めましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ゆり、トルコキキョウ、ベニバナ、アルストロメリア、あじさいです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。今週のメニューは、シチュー・オン・コーンライス、きゅうりと昆布の漬物です。このコーンは缶詰でなく、生コーンをご飯と一緒に炊いたものです。お当番さんの「本気」が表れています。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。