2018年6月24日 主日礼拝メッセージ

「限りない神の愛」

ヨナ書4章1節~11節、エペソ人への手紙3章16節~19節 金田洋介牧師

神はニネベの悔い改めをご覧になり、彼らに対する裁きを思い直されました(3章)。神がヨナに託された預言は成就しませんでしたが、ニネベの人々が神の裁きを免れたことは幸いなことです。ところがヨナは、この結果に不満を爆発させました。ヨナは神が恵み深く憐れみ深いお方であること(2節)を知っていましたが、イスラエルの敵であり、罪深いニネベに神の憐れみが臨んだことに納得がいかず怒ったのです。神は「あなたの怒りは正当なのか」とヨナに問いますが、彼は何も言えず黙っていました。ヨナの複雑な気持ちが伺えます。ヨナは神が何事かをニネベの町に行われるのではないかと期待し、町の様子を眺めていました。すると神は、ヨナを厳しい陽射しから守るために唐胡麻を備えてくださいました。彼はこれを非常に喜びました。ところが、神が備えた虫によって唐胡麻は枯れてしまったのです。唐胡麻を惜しんだヨナはまたもや怒りますが、神はこの怒りに対しても「あなたの怒りは正当なのか」と問われます。さらに神は、ヨナが「労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びた(10節)」唐胡麻でさえ惜しんだように、たとえ善悪の判断がつかないようなニネベの人々であっても、彼らに対する愛と憐みを惜しむことはできないと語られたのです。

ヨナの書は神の問いかけで終わっていますが、限りない神の愛を知ったヨナは、神の内に満ちている憐れみと愛に満たされて、その生涯を全うしたのではないでしょうか。なぜなら、本日ヨナ書とともに開いたエペソ3章16節~19節で、パウロは祈りの中で「神の愛に根ざし、この愛を基として生活することによって(17節)、その神の愛の広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ(18節)、神に満ちているものの全てを守って満たされる(19節)と告白しています。ヨナのように狭く(限定された人だけ)、短く(長続きしない)、低く(神の高い御思いに全く及ばない)、浅い(上辺だけ)かもしれません。イエスの十字架に現された限りない神の愛を知り、その愛に根差し、 愛を基として生きていくなら、神の愛の性質を知ることができるばかりか、その愛に私たちも満たされていくのです。

神の御言葉の約束を信じ、限りない神の愛によって愛の実を広く、長く、高く、深く結ばせていただこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、アレカヤシ、カサブランカ、ひまわり、グラジオラスです!

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、丸天うどん、ご飯、お漬物でした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。
初めての方も無料です。