2018年7月29日 主日礼拝メッセージ

「罪赦された恵みを喜ぼう」 詩篇32篇1節~11節  金田洋介牧師

この詩篇は、ダビデの恐ろしい罪と過ちが背景にあります。しかしダビデは、神の大いなる憐みによって罪の赦しをいただきました。ダビデはこの詩篇を通して悔い改めの大切さと、罪が赦された恵みと喜びを伝えています。

罪赦される恵み(1節~2節)

まず、ダビデは1~2節で、主なる神に罪を許された彼自身の体験を告白します。「とが」「罪」「不義」に表れる、神への反抗と背信、神の御言葉への不従順による罪(的外れ)の歩み、不道徳や不誠実の罪を赦される者は幸いであると歌っています。

罪を隠していた時の苦しみ(3節~4節)

3節~4節は、罪を告白する前のダビデの苦悩です。「言い表さなかった」とは、神の前に罪を隠している状態です。「あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かった」という表現の中に、悔い改めを迫る神の存在を自覚していることが伺えます。

認罪と悔い改めと神の赦し(5節~7節)

「その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。」(5節)この「ゆるされた」とは、神の記憶から消し去られることを意味します。神のゆるしは、私たち人間のように、思い出して責めると言うことがないのです。ダビデが「自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった」と告白しているように、自分の罪を認め、罪を告白し、悔い改めることによってもたらされるのです。

教訓的勧め(8節~11節)

ダビデは自分の失敗と神の赦しの経験を通し、神の前に頑なであってはならないこと(9節)、不信仰者には心の痛みがともない、信仰者には神の恵みと慈しみが取り囲み(10節)神への感謝と喜びがあふれることを教えています。

今日、私たちはイエスの十字架の贖いによってもたらされた救いによって、ダビデのように、「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。」と告白することができます。赦しの恵みに心から感謝し、日々主と共に光の中を歩み続けましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、やまてらし、あじさい、トルコキキョウ、フロックス、アルストロメリア、かすみ草です!

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、炊き込みご飯、ホクホクかぼちゃの天ぷら、かきたまじるです。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。