2018年8月26日 主日礼拝メッセージ

「絶望が希望に、災いが祝福に」 エレミヤ書29章10節~14節  金田洋介牧師

この箇所はとても有名な箇所で、特に11節の「あなた方のために立てている計画…それは災いではなくて、平安を与える計画…将来と希望を与えるものである」の御言葉に、誰もが慰められ、力づけられてきたと思います。誰でも、穏やかで平和な毎日、明るい未来を願います。それこそ、神の計画が災いではなく、将来と希望を与えるものであるなら、それほど嬉しい話はありません。しかし、現実は甘くはなく、思いもよらないトラブルに見舞われることがありますし、「災いだ」とまではいかなくても、「不幸せだ」と呟くばかりの毎日に疲れを覚えることがあるのではないでしょうか。人生は悩みと不安の連続で、それは神を信じるクリスチャンであっても例外ではありません。そのような現実に、神の御言葉が虚しく思えてしまいます。実は、この「将来と希望を与える」という恵みの約束は、私たちが何の苦しみも、不安も、痛みもない人生を過ごすことができることを保証するというものではありません。本来、この御言葉は、バビロンに国を滅ぼされ、バビロンに補囚された、まさに絶望のどん底にあるイスラエルの民に向けて語られた言葉です。しかも、彼らの国が滅び、補囚されたのは、度重なる神に対する背信の罪が原因でした。それにもかかわらず、神は補囚民に対して将来と希望の約束を与えられたのです。神は70年という長い補囚の時間をかけて、イスラエルの民とご自身との関係の回復を導かれました。民は絶望の中で「神を呼び求め祈ること」と「一心に神のみを尋ね求めること」の大切さを改めて学び、約束を全うされる神の愛と真実を体験したのです。

私たちもこのお方を神として信じているのですから、悩み、苦しみ、行き詰まりや不安、不幸としか思えない人生の出来事の背後に、神のご計画があることを信じようではありませんか。 私たちの身に起こる全ては、私たちが神だけを呼び求め、神だけに祈り、神の御心と御言葉に心から従うものとなるための、神の愛の取り扱いなのです。そして、忘れてはいけません。私たちに対して立てておられる神の計画は、決して災いではなく、将来と希望を与える計画、恵みの約束であることを。神を一心に尋ね求めるなら、絶望が希望に、災いが祝福に変わるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花はゆり(カサブランカ)、けいとう、オンシジューム、ユキヤナギです!、