よくある質問
世界では3分の1を占めるクリスチャンも日本では1%以下ということもあって、
キリスト教会は多くの方にとってよく分からないところでしょう。
そこで、いろんな疑問や不安に答えてみたいと思います。
どの方も、すべての人が、神に創られ、愛されている存在です。教会はすべての人に開かれています。どなたでも安心してお越し下さい。(泥酔しての来会と会堂内での喫煙はご遠慮頂いています。)
教会は、きよい人の集まりではありません。
「自分なんてふさわしくない」と思う方のためにキリストは十字架にかかって、聖なる神と不完全な人との間の架け橋となって下さいました。
教会は、そのお一人ひとりと共に万物の創造主であり万物を治めておられる神を礼拝し、祈り、一方的に注がれた神の愛を感謝して味わいつつ、成長途上の人たちが交流を持つところです。
歴史の授業で「宗教改革」というのを聞いたことがあるでしょうか。
ヨーロッパの教会が政治・権力と癒着して腐敗し、免罪符を売るなどしてキリストの十字架のみによる恵みの救いを歪めてしまった16世紀に
本当に大切な信仰に立ち返るためにルターが宗教改革を行ないましたが、
当時の(カトリック)教会は真実に立ち返らずルターを追い出してしまったため、プロテスタント教会が別に誕生しました。
その後、何を大切にして信仰生活を送るのかを追求する中で(救い自体が異なる宗派ではなく)各々の教派が生まれました。
現在、キリスト教会には、強調する教えや礼拝のスタイル・雰囲気の違う教会・教派がいろいろありますが、
キリストの十字架と復活のみによる救いを信じている教会は皆、
プロテスタントの諸教派・単立の教会もカトリック教会も、同じ信仰でキリストの恵みの福音を伝えています。
簡単に言えば「地域になくてはならない 役に立つもの」という意味です。
この教会の名前にある「地の塩」とは、キリストが主を信じる人たちのことを純粋な塩に例えて語られた次の言葉に由来しています。
「あなたがたは地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるでしょう。」
塩は人間の体内に何パーセントか、必ずなくてはならないものです。
そして、料理をおいしくします。また、食べ物が腐らないようにしてくれます。
私たち自身は小さな者であっても、神から日々頂いている「塩気」を地域社会や関わる方たちに放っていくことによって、
神が、この地域と人とをより一層おいしくし、きよめ、祝福して下さるように、と願って
キリストの愛の計画がこの地に成ることを祈りながら、当教会の働きは始まりました。
(「当教会と栗山町 ~栗山町の教会の始まりと地の塩の働き」もぜひご参照下さい。)
どうぞ普段着でお越し下さい。
礼拝プログラムには、神さまに向けて賛美をしたり、お祈りしたり、聖書の言葉を皆で読んだり、聖書が私たちに何を語っているか説き明かすメッセージなどがあります。
献金の時もありますが、会費や義務ではなく、神さまに頂いた恵みをお返しするもので、信仰者を中心に、想いのある方だけが自発的に献金箱にささげに行きます。
最初は意味がわからないことばかりでしょうから、ただ賛美歌・祈り・メッセージなどを聞きながら雰囲気を味わうだけで大丈夫です。
教会は、そのお一人ひとりと共に万物の創造主であり万物を治めておられる神を礼拝し、祈り、一方的に注がれた神の愛を感謝して味わいつつ、成長途上の人たちが交流を持つところです。
心配ありません。子どもや赤ちゃんの声が教会堂内に響くことは次世代にいのちが引き継がれているうれしいことですので、ぜひご一緒にお越し下さい。
小さなお子さまや乳児とご一緒にいらしても大丈夫なように親子室を完備して、子ども向け絵本なども用意しており、メッセージなどを聴きながら子どもを遊ばせたり、母乳をあげることもできます。また、幼稚園以上のお子さんでしたら、礼拝前のお子さま向け「ジョイジョイキッズ」に親子で参加するのも良いですし、
メッセージの後に、子どもや初心者でもわかりやすく楽しい、猫のパペットを使ったメッセージのおさらいの時間もあり、お子さまも一緒に楽しめたらと願っています。
行きたいけど行けないという方もLINEグループでのネット礼拝の場を提供しております。
幼稚園以上のお子さんでしたら、礼拝前のお子さま向け「ジョイジョイキッズ」に親子で参加するのも良いでしょう。
事前にご連絡下さればご一緒に一番良い形を考えられますので、気軽にお問い合わせ下さい。
手ぶらでも大丈夫です。聖書(新改訳聖書2017)と賛美歌集(讃美歌・聖歌・ワーシップソング)を教会でお貸ししています。
ご自分の聖書をお持ちの方はぜひご持参下さい。
祈り会では、聖書を開いて神の語る言葉を聴き、教会につながっている方々やそのご家族、お互いのために祈り合ったり、世界・日本・地域の必要のために祈ったりしています。
天地万物を造られた唯一なる神は、造った後はそのまま放置しているではなく、1つの得意分野しかできないたくさんの神がいるのでもなく、全知全能であり、お一人一人に忍耐強く関わりながら、世界大ですべての事を御手の内に治めている、とクリスチャンは信じています。ですので、私たちはどんな人間的な努力にも先立って、まず神に聴き、神に祈り求める事を大切にしているのです。
よくわからなくても、お祈りなんてした事ないという方も、目を閉じるだけ、あるいは一緒に神に向けてなんとなく心を合わせるだけで大丈夫です。
現在祈り会に集う方は少数ですので、突然礼拝に行くのはちょっと抵抗があるという方は、試しにまず祈り会にお越し下さい。