1章-8 勇気ある信仰の行為

あなたの知っているとおり、アジヤにいる人々はみな、私を離れて行きました。その中には、フゲロとヘルモゲネがいます。オネシポロの家族を主があわれんでくださるように。彼はたびたび私を元気づけてくれ、また私が鎖につながれていることを恥とも思わず、ローマに着いたときには、熱心に私を捜して見つけ出してくれたのです。──かの日には、主があわれみを彼に示してくださいますように──彼がエペソで、どれほど私に仕えてくれたかは、あなたが一番よく知っています。(15~18節)

オネシポロのプロファイル

この箇所に、オネシポロという人が出てきます。今回はこの人について学びたいと思います。「彼」という代名詞を受けていますので、この人は男性。出身はもちろんエペソです。彼の名前の意味は、「益をもたらす者」日本語で言うと、「益弘さん」だと言っていいでしょう。おそらく、パウロの第三回伝道旅行のとき、三年の伝道活動の中で救われ、教会のメンバーになっていたと思われます。ひょっとしたら、もっと前からかもしれません。パウロが行く前からエペソには教会がありました。「エペソで、仕えてくれた」とあります。この「仕える」というのは、ディアコニア、執事と訳される言葉の動詞ですから、オネシポロはエペソ教会で福祉的な働きをして、人々を助けていたのでしょう。パウロとテモテもその恩恵にあずかっていたことでしょう。

彼の家族は一家をあげてクリスチャン、クリスチャンホームでした。それは当時としては珍しくなかったと思いますが、家族がみな熱心であるということは少なかったかもしれません。それはオネシポロの信仰と人格に拠るところが大きかったことでしょう。

危機がふるいわけた信仰

パウロが、ローマ当局に捕らえられたという知らせは、エペソの教会を揺さぶりました。アジヤ州の中で、エペソは中心的な教会でしたから、エペソの危機はアジヤの危機でした。フゲロとヘルモゲネ、彼らはそれなりに名の知れたメンバー、おそらく長老職にあった人たちでしょう。彼らまでが転向した。パウロはそのことをテモテと、残されたエペソの教会と確認しています。

人につながっていた信仰は、人が倒れたり、不名誉になったりするとき、崩れてしまいます。それは、砂の上に立てた家のようで、試練に持ちこたえられないのです。しかし、オネシポロは違いました。人ではなく、神に結びついた信仰は、危機のときに、人を見捨てない、その人と一緒に苦しむ道を選ぶことができるのです。オネシポロは、パウロ逮捕のニュースを聞くと、家族の許しを得て、ローマへと旅立ったのです。

走り抜いたオネシポロ

パウロの監獄は、特別な場所だったようです。公の監獄ならば、オネシポロは探す努力は必要なかったでしょう。特別な幽閉状態だったと想像されます。オネシポロはパウロを見つけ出し、差し入れをし(元気を与え)、パウロの状況を教会に伝える役割をしたのだと思います。特別な囚人と親しい関係にある、ということは当然、オネシポロにも疑惑の手が伸びるということが考えられました。「恥とも思わず」というのは、恥ずかしいという気持ち以上に、パウロとかかわることからくる危険を顧みることなく、というオネシポロの勇気ある行動を指しています。

そしてどうやら、このオネシポロは、亡くなったようです。パウロより早く殉教ということになったのか、ローマで流行り病にかかったのか、パウロを憎むユダヤ人に襲撃されたのか、理由は明らかではありませんが、彼はエペソに帰ることはなく、眠りについた。それで「オネシポロの家族」について最初に出てくるのです。「オネシポロその人」については、回想されている、そして「かの日には」すなわち、再臨とよみがえりの日、そのときに、神様がオネシポロにあわれみを示してくださるように、と祈ることは、彼の願いであると同時に、オネシポロの家族を慰める祈りであったわけです。この手紙の最後に、オネシポロの家族へのあいさつが出てきますが、オネシポロその人は登場しません。ここで、パウロが二度「あわれんでくださるように」と祈る、祈りの言葉は格式を重んじた言い方で、丁寧です。そのことを考えても遺族への思いを込めての祈りだと考えられます。つまり、オネシポロは、直接的か、間接的かはわかりませんが、殉教の道を行った。この人のことをここまで書く理由は何でしょう。それはただ一つ、彼を模範にしてテモテもローマに来ることを勧めるためです。

私たちもオネシポロを見習いたいと思います。神にしっかり結びつき、かの日の主からの報いを見据えて、勇気ある信仰の行為をする人でありたいと願います。

© Masayuki Hara 2017