そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。(一節)
オネシポロの道を進め
パウロの逮捕によって、動揺するキリスト教会の中で、勇敢に信仰に生き切ったオネシポロについて紹介したパウロは、「それゆえ、あなたは」と語りかけていきます。残念ながら、新改訳は「あなたは」という大事なことばを翻訳しないでいるのですが、この一節の冒頭は、「あなたは」と強調された形での呼びかけから始まります。多くの人は、キリストから離れていった。しかしオネシポロは離れなかった。「それゆえ、あなたは」とパウロは言うのです。あなたはオネシポロの道を進んで来なさいというのです。
「わが子よ」という呼びかけは、先生が弟子に対して呼びかける言葉です。パウロとテモテの結びつきが確認されると同時に、弟子の責任が呼び起されているのです。あなたは、わが子、わが弟子なのだから今からいうことを心して聞くようにというわけです。これまでもそうでしたが、ここからパウロは、いくつもの命令を重ねていきます。今日はその最初の命令を学びましょう。
恵みのうちで強くされる
「キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい」というのが最初の命令です。けれども、この日本語訳は、誤解を招く訳だと思われます。ギリシャ語のニュアンスを正確に訳すなら「キリスト・イエスにある恵みのうちで、強くされ続けなさい」ということになります。どこが違うかを確認していくと、パウロが伝えたかったことが見えてきます。
まず、「強くされ続けなさい」という動詞の部分です。「強くなりなさい」というと、一回きりのことという印象があるかもしれません。けれどもこれは継続の命令。日々、毎時間、毎分、毎秒、この命令は続くのです。次に「強くされ」という部分です。「強くなれ」というと、主語はテモテの側、私たちが自分で自分を強くするような印象を与えます。けれどもこの動詞は受け身の形です。だから「強くされ続けなさい」と訳しました。あなたが自分を強くするのではありません。あなたは強くされる、神によって強められるということです。強くするのは神であり、人間ではないのです。
このように訳し直すことで「キリスト・イエスある恵みによって」という部分が生きてきます。私はここを「キリスト・イエスにある恵みのうちで」と訳しました。「恵みによって」と訳すと、恵みが道具のような印象を受けます。それは「強くなる」という動詞の主語が人間ならば、意味の筋が通ります。けれども、「強くされる」という場合、恵みによって、では意味が通りにくい。「恵みのうちで」と訳すと、恵みの降り注がれる場、空間に人が来て、そこで神によって強められる、ということが見えてきます。恵みの中に入ること、恵みの中にとどまることは、人間の責任で、そこで人を強くするのは、神の仕事です。
へりくだる場所こそ、恵みの場
キリスト・イエスにある恵みが注がれる場所、とはどこでしょうか。それは教会の建物でしょうか。特定のパワースポットでしょうか。そうではありません。あなたが、恵みを必要とし、神の前に弱さを認めてへりくだるなら、どんな場所でも、キリスト・イエスにある恵みが注がれる場所になるのです。反対にいえば、神の恵みがなくても大丈夫、何とかできる、そう思っている時、そう思っている場所では、恵みによって強くされることはありません。
ですから、ここでパウロが言っていることは、へりくだって力を受けよ。ということです。神様の命令というのは、ある意味で厳しく、ある意味で優しい。厳しいというのは、言い訳ができないからです。私には無理、だって能力が、エネルギーがという言い訳はできないのです。なぜなら、恵みによって強くされれば、人間の持ち前の力の大小など意味をなさないからです。優しいというのは、必ずできる命令だけがなされるということ、命令を成し遂げるために必要なものは全部、神様の側で用意されている、ということだからです。
信仰の成長というのは、恵みなしには何もできないようになっていく、ということです。恵みを求めて、恵みを受けて、恵みを必要とするのだというへりくだりのうちに、歩みたいと思います。
© Masayuki Hara 2017
