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祈祷会メッセージとお祈りの課題

神様と出会う場所

彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。(出エジプト25:8)

出エジプト記19章で、イスラエルの民はまことの神様だけを神とし、生涯仕えていくことを誓約しました。結婚の誓約のようなものです。互いに愛し合い、他の人、この場合は神ですね、とは誓約を結ばない。うわきしないという誓約です。この誓約があって後、20章で十戒が与えられました。21~23章はその補足のような戒めが与えられています。

25章からは、聖所と呼ばれる礼拝する場所の造り方が記されています。創世記から読み続けていくと、このあたりから、聖書通読が苦しくなりますね。イメージしづらいので。建築に詳しい人ならまだしも、その他の人にはなかなか苦しいですね。こういう時は、このような想像図があると便利です。イメージしやすいです。

聖所は、イスラエルの民の捧げものによって作られました。25:2には、イスラエルの民の中から心から進んでささげる人から捧げものを受け取って、それらを使って聖所を造るということが書かれています。先の話になりますが、35:29には、イスラエルの人々が進んでそれらの捧げものを持ってきたことが記されています。この捧げ物は、強制されてではありませんでした。自発的に行われたものです。またこの捧げ物は、神様とイスラエルの民の絆でもありました。神様ご自身は、パウロが使徒の働き(17:25)で述べている通り、人に仕えてもらう必要のないお方です。すべてを持っておられ、捧げものに頼る必要はありません。しかし神様が人からの捧げものを受け取るというのは、それが人と神様との絆だからです。出エジプト19章で交わされた誓約、真の神様だけを神様としますという誓約を捧げ物という行為を通して実践しているのです。

聖所も同じように神様と人とをつなぐ絆です。これもやはりパウロが言っていることですが、神様は地上のどこかに住んでいるような小さなお方ではありません。この世界のどこかに神様がおられて、あそこでは会えないけど、あそこなら会えるというような小さなお方ではなく、その全く逆で、私たちとこの世界が神様という大きな方の中に生きているのです。ですから、人の手によって作られたものの中には収まり切りません。しかし今日読んだ聖書箇所で神様は仰っています。神様はとても大きいので、世界には収まりきらないけれども、もし「彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。」ということです。これは私たちが本当に神様を求めるなら、あなたの望むところに神様は現れて下さるという恵みです。私たちへの配慮です。ここでもまた神様は私たち人間の自発性を尊重しています。聖所は神様と出会う場所なのです。その聖所をもし私たちが必要としていて、神様どうか私に現れてくださいと望むなら、神様はそこに現れて下さるという約束です。聖所は神様と出会うということが第一の目的ですので、その作り方もまず神様がここに現れて下さるという契約の箱の作り方から説明されています。そして順を追って、それを安置しておく聖所の建物の作り方を説明しています。

聖所の目的の中心は、私たちが神様と出会う場所を求めているかどうかということです。イスラエルの民は、60万人以上という大集団で移動していましたが、この聖所を中心にしていつも生活していました。神様がイスラエルの民の中心にいて下さいというイスラエルの民の願いでもあります。私たちはどうでしょうか?神様と出会うということ願っているでしょうか?もし願うのであれば、私たちも神様を中心に据えて生活したいと思います。

今日の祈祷課題

  • 改修工事の導きのために
  • 教団の各教会の次世代伝道、世代間交流の働きのために
  • 代議員総会のために
  • 南大沢チャペルの中高生、青年のために
  • 守谷教会のために

*今日は南大沢チャペルから、ゲストが来てくださいました。南大沢の青年、中高生の様子をうかがいましたので、みんなで南大沢のためにも祈りました。

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