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祈祷会メッセージとお祈りの課題

神様が味方である幸い

では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31)

ローマ7章で、パウロは人の持つ罪の性質の苦しみを、切実な言葉で表現しています。7章は本当に読む人の心を打ちます。自分の内側にある罪の心、自分の力では立ち向かう事のできない罪の誘惑の強さが書かれています。このような罪に対して神様が与えて下さった救いは、イエス様の十字架による救いでした。洗礼によってイエス様の十字架と復活と同じにされた私たちは、イエス様と同じように、一度死んで、復活したのです。そして死んで復活した者たちが、これからどう生きるのか?が8章で描かれています。

イエス様の十字架と復活の救いを受けた私たちは、聖霊を受けたのだということをパウロは語っています。私たちはそのままですと、罪に引きずられる傾向があります。それは7章に書かれていた通りです。私たちは善を行いたいと思っていても、悪を行ってしまうという罪の傾向があります。神様はそのような私たちに聖霊を与えてくださいました。この聖霊の力によって私たちは初めて、罪に打ち勝ち、全を行うことが出来るようになります。8:3-4にそのことが書かれています。律法は神様から与えられた良い物ですが、律法が教える良い行いを私たちの力で行うことはできません。しかし神様の霊が私たちと一つとなってくださることによって私たちは、良い行いをすることができるようになります。

また私たちの内に与えられた聖霊は私たちの心のうめきを、神様に届けてくださいます。私たちは、罪のゆえに神様から離れていましたから、神様との距離を感じるかもしれません。私たちが苦しんでいる時に、神様は遠く離れているように感じるかもしれません。しかし私たちに与えられた聖霊は、神様の霊です。遠く離れているように感じる神様は、私たちの内側にいて下さるのです。聖霊は私たちの心の内側にある声にならない、言葉にならない思いをしっかりと受け止めてくださいます。私たちの心の内側におられますから、私たちの心をしっかりと理解してくださるわけです。そして聖霊はその私たちの思いを神様に届けてくださいます。神様は、聖霊と一つであり、聖霊の思いをよくご存じですから、私たちの思いをしっかりと受け止めてくださいます。8:26-27にそのことが書かれています。

神様の救いとは、私たちの罪を赦し、聖霊を与えて下さることです。ただ私たちの罪を清算し、あとは一人で自由にしてねということではありません。神様はちゃんと私たちと共にいて、私たちが罪の生活に戻らないように、良い生き方ができるように導いてくださいます。そのために私たちに聖霊を与えてくださいました。いつも聖霊と一つでいることで私たちは神様の導きを知ることができます。また私たちの思いもちゃんと神様に届くようになります。ですからパウロは8章の最後でこう言っています。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(8:31)」苦しみも、飢えも、裸も、神様の愛から私たちを引き離すものは何もありません。また私たちの内側にある罪の性質さえも、神様の力の前には無力です。私たちは自分の力では自分の罪の性質に抗えませんが、神様は私たちを変えることができます。ですから私たちは、神様の霊、聖霊といつも一緒にいることで安心することができます。今日も聖霊にあって、共に祈っていきましょう。

お祈りの課題

  • 工事の感謝と今後のために
  • 教団の各教会のために(祈祷課題を配布しました。)
  • みずほ台教会のために