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祈祷会メッセージとお祈りの課題

愛をもって行動する

だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。(ローマ13:8-10)

ローマ人への手紙は、12章から具体的なお勧めが記されています。13章はまず、権威を持っている人に対する接し方について書かれています。私はどちらかというと、反体制派というか、上に立つ人を信用できない性格のため、ここを読むときにいつも反省します。なんとなく、中学、高校の先輩や先生方を見ていて「ただ従え」というやり方になじめず反発ばかりしていたんですね。いまでもそれを引きずっているようなところがあります。ただ「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。コロサイ3:23」と聖書の他の箇所にもありますから、神様に仕えるようにしていきたいと反省します。

パウロは、権威ある人に対しての次に、みつぎものについて、つまり現代で言えば、税金についてもしっかりと納めるように教えています。そして、8-10のまとめのような言葉を書き記しています。それは愛によって行動しなさいという言葉です。さきほど、コロサイの言葉を述べましたが、「主に対してするようにしなさい。」これも、神様を愛している人は、じゃあ他の人も愛そうと思うということですね。神様を愛してない人は、じゃあ、他の人も愛さないということになってしまうわけですが。パウロは何事をするにもパウロ自身が中心において考えていることは、愛によって行動するということです。13:9の言葉は、イエス様の言葉を思い起こします。マタイ22:37-40ですね。そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」このイエス様の言葉と同じことをパウロは言っていると言えます。イエス様が教えているのは、律法の文字を全て覚えて、序列をつけて実行していく事よりも、何が愛であるのかをよく考えて実行しなさいということでした。そうすれば、パウロが13:10で言っているように、愛は害を与えませんから、律法を全うすることが出来るのです。

8節でパウロは、もう一つ興味深いことを語っています。だれに対しても、何の借りもあってはいけません。借りという言葉を使っています。ナタリー・サルトゥ・ラジュという人が「借りの哲学」という本を書いています。これは借りということについて哲学的に考えた面白い本です。借りというのは、人を縛る効果があります。昔は借りがある人に対しては、絶対服従してしまうほど強い効果を持っていました。しかし資本主義は借りをお金に換算することで払い戻すことを可能にしたというのです。なるほどという感じです。しかしこの人が主張したいのは借りにもいい面があるということです。それは誰かに借りがあるということは、人を謙虚にさせる、優しい人にさせるという効果があるということです。私たちは神様から絶対に返すことのできない大きな借りを受けています。いのち、日々の見守り、救い、そして栄光の体の約束です。これらは絶対に返すことはできません。このような借りを私たちは神様から受けていると自覚するとき、私たちは謙虚になり、他の人にも優しくしようとと思います。なぜなら、神様はこのような大きな借りを愛によって私たちに与えてくださっているからです。愛による借りは、人を縛りません。むしろ人を喜ばせます。神様が私たちに見返りを求めていないということが分かるからです。愛は見返りを求めません。パウロが8節で言っている。借りがあってはいけない。ただし愛し合うことは別だと言っているのは、そういう事だと思います。誰かに贈り物をしたりすると、借りを作ることになるから贈り物をするのはやめようと考えるなということです。むしろ積極的に贈り物をしなさい。見返りを求めない愛をもって贈り物をしなさいということをパウロは勧めています。

私たちもぜひ愛をもって行動するようにしましょう。

今日は、阿部宣教師のレポートが届きましたので、みなさんで共に祈りました。ウィクリフの働きのために覚えてお祈り下さい。