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祈祷会メッセージとお祈りの課題

神の力に支えられる信仰

それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。(Iコリント2:5)

コリント人への手紙第一は、その名の通りコリントにある教会の人々へ宛てられた手紙です。当時コリントの教会は、多くの課題を抱えていたようです。分裂や不品行、復活についての教え、いろいろな課題が膨れ上がって、教会の中の問題を教会外の裁判所にさばいてもらう等が行われていたようです。そんなコリントの教会の人(1:11によるとクロエさん)がパウロに相談したところ、パウロはこの手紙を書きました。この手紙はとても厳しい口調で書かれた手紙でしたが、信仰について、愛についてよく教えられる内容となっています。まさに神様はこの手紙を全ての時代の人に宛てた手紙として用いられました。

この手紙の中でパウロは、具体的な問題に対するアドバイスの前に、とても重要なことを、思い起こさせています。いろいろな内容の分け方ができると思いますが、1~4章はパウロがキリスト教信仰の土台の確認をしていると言えます。今日はその中の2章です。2:2でパウロは、「私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。」と書いています。私たちを救って下さった方は、キリストです。キリストの十字架によって私たちは救われて生かされています。はじめて教会に来て、神様を信じる決心をした時に神様から教わることはそのことです。洗礼を受けるときにも、私の救い主キリストを信じますと告白して洗礼を受けます。毎週の礼拝の中でも使徒信条を通して「われは、…われらの主イエス・キリストを信ず。」と必ず告白します。しかしキリストは目に見えません。教会に集まっている人たちは目に見えます。なので私たちはつい教会に集まっている人たちに注目してしまいます。特に説教者や、司会や、目立つ人に注目してしまいます。そしていつの間にかキリストから恵みを頂く、キリストに教わるというよりは、説教者から恵みを頂く、司会者に祈ってもらうということに意識が向いてしまいます。すると誰のお話が良かった、誰のお祈りが良かったということになってしまいます。コリントの教会はまさにそのようにして分裂してしまいました。しかしパウロはまず、コリントの教会の人々に思い起こさせています。キリストが私たちを救いました。パウロでも、アポロでも、ペテロでもありません。パウロはコリントで伝道しましたが、パウロの教えを伝えたのではなく、キリストを宣べ伝えたのですと書いているのです。

パウロは、とても賢い人でしたから、いろいろな知恵比べや哲学的な議論を戦わせることもできました。そのようにして真理を追究している人でもありました。しかしパウロはそのような知恵の言葉よりもキリストが救い主ですと告白する方が良いと考えていました。それは聞いている人々が人間の知恵によって信仰を保つのではなく、神の力によって信仰が保たれるためですと書いています(2:5)。これは私は気をつけなければと思っています。私はどちらかというとうんちくをたれたくなる性格です。理屈屋です。だから理屈で感動するタイプです。理屈で感動して恵まれたような気になってしまいやすいです。だから聖書を読むときも理屈で感動したくなります。ストレートに聖書の言葉を飲み込めない時があります。そうやっていろいろな説教者の言葉にも好き嫌いをしてしまいます。多分そうやってコリントの人々も分裂してしまったんだろうと反省します。そんなときはパウロのことばを思い出したいと思います。私は理屈で信仰支えるのではなくて、神様の力で信仰を支えられているのだ。祈ろう。祈って信仰を養って頂こうと思うのです。

お祈りの課題

  • 8月の集会(FMTC、修養会、新機関紙委員会、キッズフェスタ、聖餐礼拝、伝道礼拝・感謝会)のために。
  • 暑い中、みなさんの体調が守られるように。夏の予定が守られるように。
  • みずほ台教会のために。

*今日は、道路にある看板の取付工事がありました。

駐車場看板

キレイな看板になりました。