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祈祷会メッセージとお祈りの課題

いつも御心を問う

ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。私は、すべての教会で、このように指導しています。(Iコリント7:17)

Iコリント7章では、結婚について、離婚について、奴隷であることについて、世の富の用い方について、様々な具体的なことが書かれています。前章6章では、教会内で兄弟姉妹が互いのことを裁判所に訴え出るというようなことが書かれていました。おそらく、神学的な内容についてではなく、結婚やその他具体的な人間関係について裁判沙汰になったのだと思います。そのような教会の現状を受けて、パウロは7章を記しています。このような問題は、現代にも十分起こり得る話です。むしろ私たちの暮らす現代社会はこのような問題であふれていると言ってもいいかもしれません。それはまさに士師記に記されているように、「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた(士師記17:6)」結果と言えます。何が正しいのか、それは文化の多様性が受け入れられると共に、正しい事も多様性があるかのように考えられています。しかし私たちの心には罪があるので、自分勝手に正しい事を考えようとすると、失敗してしまいます。それを忘れてはいけないと思います。

パウロは、このような具体的な問題を前にまず、聖書に教えられている原則を示しています。10-11節です。「命じるのは、私ではなく主です。」と加えたうえで、離婚してはならないことを述べています。これは確かにイエス様も仰ったことです(マタイ19:4-6)。原則を述べたうえで、12節でパウロは「これを言うのは主ではなく、私です。」と書いてから自分の意見を述べています。パウロの書いていることは、ケースバイケースです。離婚しないのが正しいとも、離婚するのが正しいとも書いていません。パウロは17節でこう言います。「おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。」つまり「神様の命じておられるようにしなさい」ということです。なぜなら16節にあるように「妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。」ということです。救いをなして下さるのは神様です。全てを良きに計らって下さるのも神様です。その神様のお考えを伺うこと無しに、私たちが「どれが正しいか?」と考えても結論は出ません。

パウロはこの7章の中で、「おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。」ということを繰り返しています。改めて聖書の中を振り返ると、同じようなメッセージが多いことが分かります。静まっていなさい。主がなさることを見ていなさい。そのようなメッセージがとても多いです。神様は私たちとは違う時間の流れにいます。時には私たちの考える時間よりも神様の時間の方が早い時もありますが、多くの場合は、私たちの時間の流れよりも、神様のほうがゆっくりに感じます。しかし神様の方がゆっくりに感じるのは、もしかしたら私たちが神様に御心を伺う時間があまりにも短いからかもしれません。神様の前に静まる時間よりも、他の事をする時間の方が優先されているからかもしれません。私たちは、ふだんから神様に祈ることを大切にしたいと思います。そしてパウロがここで取り上げている問題はでろもとても大きな問題ですが、人生の大きな変化の時にこそ、神様の御心を伺い、静まる一時をより多く取りたいと思います。

お祈りの課題

  • 8月の諸集会のために
    • 新機関紙委員会、キッズフェスタ、聖餐礼拝、伝道礼拝・改築感謝会
  • 昭島教会のみなさんのために
  • 小金井教会のために