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祈祷会メッセージとお祈りの課題

キリストの内に神が、私たちの内にキリストが満ちている

「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。」コロサイ2:9-10

コロサイ人への手紙に入りました。コロサイ人への手紙は、パウロが牢に囚われている時に書いたと考えられています(4章参照)。そして2:1によると、この手紙を書いた時にはパウロはまだコロサイに行ったことがないようです。しかしコロサイで福音が伝えられ、多くの人が救われ、またコロサイ教会が愛の行いに励んでいることを聞いたパウロが喜んでいる様子が書かれています(1:4, 6-7参照)。この手紙を読んでいますと、キリストを中心として生きることについて多く語られているように見えます。キリストのなして下さった救いについて、キリストに現わされている栄光と希望について、そして世にある他の希望とは比べ物にならないのだという事について語られています。

1章の中盤では、この世界がキリストによって創造されたことが記されています。「万物は御子にあって造られた」「御子のために造られた」「御子にあって成り立っています」とパウロは述べています(1:16-17)。パウロはこの世界がキリストを中心としていることを語っているのです。神様が設計された世界はキリストが中心でした。キリストのうちにこそすべての知恵と知識と富が隠されているのです。私たちはかつては神を離れ、キリストにあるこれらのものを受け取らずに生きていました。しかし今は、キリストの十字架によって贖われました。今はパウロのいう通り、キリストのうちにこそすべてがあると信じています。

パウロは2:9で「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」と言っています。キリストは神様ご自身です。神様の愛、きよさ、誠実さ、すべてがキリストのうちに満ちています。福音書にあるイエス様のお姿を見ても、本当にイエス様のうちに神様のお姿を見ることができます。パウロはこのキリストが教会のかしらであって、教会の中に、救われた私たちの中に満ち満ちていることを記しています。2:10に「そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。」と書かれているとおりです。神様は私たちの心の中に住んでくださるお方です。イエス様の、神様の愛、きよさ、誠実さは信じる私たちの心のうちに注がれて続けています。私たちは礼拝、祈祷会に出席する時に、家で聖書を読む時に、教会での交わりのうちに、外に出かけている時にも、神様の祝福で満ち溢れています。これはとても感謝なことです。

多くの人がこのような祝福を受けたいと望みながら、いろいろな宗教的な事、神秘的と言われることに手を出しています。しかしこれらのことは神様からの恵みであって、私たちの努力によって手に入るものではありません。ただ神様を信じて受け取るものです。ですからパウロは人間的な力によってこれらの祝福を得ようとするのではなくて、神様の前にへりくだって感謝をもって受け取りなさいと語っています。他のこの世の知識や富に目を奪われるのではなく、それらが良い物と言われているから手を出すのではなく、ただいつもキリストを中心として、神様のレンズによって世界を見るようにしなさいと教えています。

今日も神様に満たされていることに感謝し、共に神様の愛をもって祈り合いたいと思います。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集っておられる方々、ご家族のために
  • 交換講壇礼拝のために
  • 昭島教会と南大沢チャペルの親睦会のために
  • 南平教会のために