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祈祷会メッセージとお祈りの課題

真心から主に求める

見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。
詩篇33:18

詩篇に戻ってきました。詩篇33篇は初めに主を賛美することの勧めがあり、次に主の偉大さが語られています。主はことばによって天地万物を造られたことが語られていて、主のことばには力があることを示しています。また主は人のはかりごとを無効にし、主の御心のみを行う方であることが示されています。主は世界を造られた後、世界に対して無関心ではなく、主の御心によって今も世界を治めていることが分かります。世界で起こる全ての事のなかに、意味のないものはありません。これは私たちの人生においてもそう言えるので、少なからず私たちに慰めを与えます。主は天から全ての人をご覧になっていて、私たち一人ひとりに御心を留めておられるのです。

それゆえにこの詩篇の後半では、主を神として生きることが勧められています。主は人の思いを遠くから読み取られるお方です。主は私たちのはかりごとを全てご存知ですので、人が見るようにはご覧になりません。人間は他の人の心の中まで見ることはできませんから、どうしても外見や印象に左右されます。詐欺被害がいつまでもなくならないのは、心の中が読めないからです。ところが神様は全てを見通されます。どんなに外見をよくしても、力を強くしても、軍隊を集めても、神様の前では無意味です。主の前に立つ者は、主を恐れる心を持つ必要があります。

18節には「見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。」と書かれています。新約聖書の中でもイエス様は仰いました。「だれでも、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。…とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう(マタイ7:8-11)。」神様は真心をもって神様に求める者に恵みを注いでくださいます。恵みというのは、買い物とは違って代金を必要としません。代わりに神様に差し出す物が無かったとしても、願うならば与えられるのです。そしてこの詩篇が指摘しているのは、主は全ての人の思いを読み取られる方なのだから、真心から求めなさいということです。

この詩篇33篇の始まりの言葉は、一つ前の32篇の終わりの言葉とよく似ています。ですから注解書では33篇は、一つ前の32篇の応答唱のような詩篇ではないかと解説されています。詩篇32篇はどんな詩篇だったかと言うと、ダビデがバテ・シェバ事件を起こし、悔い改めて赦されたことを歌った詩篇と言われています。そう考えますと、「主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方(詩篇33:15)」と言う言葉は、「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした(詩篇32:5)。」等に表されているダビデの罪の告白と通じて、とても意味深いものとなります。神様は人の全ての思いを読み取られます。良い心も悪い心も読み取られます。しかしすべて「心の直ぐな人たち」に神様は心を留めて下さり、赦しを与え、恵みと祝福を与えてくださる方です。私たちは自分の罪や弱さを認めるへりくだった心をもって、神様の日々の祝福と恵みを求めて歩んでいきたいと思います。

お祈りの課題
  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 2, 3月に新しく来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 受難週、イースターのために
  • 宣教地のために
  • 川越教会のために