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祈祷会メッセージとお祈りの課題

神様の公正なさばきを願う

こうして人々は言おう。「まことに、正しい者には報いがある。まことに、さばく神が、地におられる。」
詩篇58:11

詩篇58篇は、不正な権力者に対しての祈りと、神様の公正なさばきを求める祈りが描かれています。不正な権力者は、口先では義を語り、公正であること宣言しているが、心の中では不正を働いていて、国の中には暴虐が満ちていることを何とも思わない、そんな姿が描かれています。この詩篇の表題にはダビデのミクタムとあります。作者はダビデかと思われますが、どのような時に書かれた詩篇かは分かりません。それこそダビデは不正な王の前に逃げ回ることの多かった人です。そのような中で歌われた詩篇であるのかもしれません。

この詩篇は全体的に、暴力的な表現、呪いのような表現が多いのですが、よく見ると作者は争いを求めているのではないことが分かります。作者は神様の公正な裁きを求めているのです。不正な者が倒され、自分が権力者になることを望んでいるのではありません。不正な権力者の一人が倒れて、他の者が権力者になっても、人には弱さがあります。どんな権力者であっても人である以上、暴虐を留めることは難しいのです。しかし神様は公正な方であり、神様が治めれば平和であると作者は信じています。ですから神様の介入を望んでいるのです。不正な権力者が居なくなることよりも、平和が来ることの方が大事です。

7節にはその作者の思いをよく表すような表現があります。「彼が矢を放つときは、それを折れた矢のようにしてください。」折れた矢ではちゃんと飛びません。矢を打たれても、害が及ばないようにしてくださいというのが作者の求めです。矢を打つものが倒れるようにしてくださいと願うのではなく、矢が放たれてもこちらに届かないようにしてくださいと祈っているのです。矢が届かなければ平和だからです。仕返しをしようとも思っていません。現在、日本も隣国からのミサイル発射のニュースに悩まされています。私たちはこのような時になんと祈るでしょうか?この詩篇から考えさせられます。隣国が滅びるように祈るでしょうか?そうではなく、この詩篇の作者はミサイルが届かないように祈るのです。

この詩篇の表題には、『「滅ぼすな」の調べに合わせて。』とあります。「滅ぼすな」というメロディに合わせてという事でしょうが、「滅ぼすな」というメロディがどんなものであるかは分かりません。しかし「滅ぼすな」という題の意味は、もしかしたらダビデがサウルに追われていた時のことが背景にあるのかもしれないと考える学者もいるようです。夜中サウルの陣営はダビデ捜索に疲れて寝静まっていました。そこへダビデとアビシャイはこっそり侵入します。誰にも気づかれずダビデ達はサウルの寝ているところまで行きます。アビシャイは一突きでサウルを殺すことを提案しますが、ダビデはアビシャイを止めます。神様によって選ばれた王を打つことはできないとダビデは言います。このアビシャイを制止した言葉「殺してはならない(Iサムエル26:9)」の言葉が、「滅ぼすな」のメロディになったのではないかという事です。そこには、追われて苦しいけれども、追う者を滅ぼすことを求めているのではなく、追う者も悔い改めて平和になることを望んでいるダビデの思いが表されています。真の平和は、誰でもどんな人とも神様にあって信頼して助け合える世界です。イエス様も「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい(マタイ5:44)」と仰いましたが、私たちもそのような平和を願って祈りたいと思います。

お祈りの課題
  • 昭島教会に集っておられる方々、ご家族のために
  • 3, 4月に新しく来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 宣教礼拝、聖餐礼拝のために
  • 教団の代議員総会のために
  • 八王子教会のために