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祈祷会メッセージとお祈りの課題

力と愛の神を信じ 2020年9月23日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌9 力の主を

動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌209 慈しみ深き

動画をアップロードして下さっている方に感謝します。

聖書

あなたがたの神、主は神の神、主の主、偉大で力があり、恐ろしい神。えこひいきをせず、賄賂を取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行い、寄留者を愛して、これに食物と衣服を与えられる。

申命記10:17-18

メッセージ

聖書通読は申命記に入りました。申命記の背景を少し説明します。エジプトを脱出したイスラエルの民は荒野への旅を終え、カナンの地へ入ろうとしていました。申命記1:3によりますとエジプト脱出から40年目11月1日となっています。荒野での40年のうちにイスラエルの民は世代交代しました。そこでモーセはカナンの地を前に、イスラエルの民に神様のみおしえの再確認を行う事にしました(1:5参照)。書名の「申命記」とは再び律法を確認することという意味です。申命記はほぼ全編が、モーセの説教になります。モーセはこの後カナンへ向かうイスラエルの民から分かれてネボ山で息を引き取ります。ですから申命記はモーセの最後のお別れの説教ということになります。

申命記はそのスタイルが宗主契約の契約分のスタイルによく似ていると言われます。宗主契約とは当時の世界で広まっていた契約のスタイルですが、その契約文には歴史の振り返り、律法、祝福とのろいが記されます。申命記にも歴史、律法、祝福とのろいが記されています。まず、これまでの神様とイスラエルの民の歩んできた歴史が語られています。その後、イスラエルの民が守るべき神様からの律法が記されています。そしてイスラエルの民が律法を守り行うなら、神様から与えられる祝福が記され、守り行わないのであればイスラエルの民が被る呪いが記されています。申命記前半には書全体の要約と歴史がおもに語られています。5章には十戒があり、6章には特に有名なシェマと呼ばれる「聞け、イスラエルよ。」から始まる言葉があります。

申命記10:12-13には「イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただあなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、いのちを尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたの幸せのために私が今日あなたに命じる、主の命令と掟を守ることである。」と、神様を愛し、神様に従うようにという勧めがなされています。これは申命記全体を通して貫かれている教えになります。モーセが申命記の中で歴史を振り返るのは、なぜ神様に愛し、神様に従うべきなのかを説明するためです。神様を知らない民により深く神様を知ってもらい、その上で神様を愛する事ができるようにです。神様はエジプトで奴隷であったイスラエル人たちを救われました。今、自由があり、自分たちの土地カナンが与えられようとしているのは、神様の恵みによるのです。神様は神の神、主の主、偉大で力があり、恐ろしい神です。神様に立ちはだかる事ができる人はいません。神様は全てに対して必ず勝利されます。またそのような超越的な力をお持ちでありながら、弱い者を愛し、あわれみ、助けて下さる愛のお方です。すべての人がお互いに思いやり、平和に過ごせることを願っておられます。イスラエルの民も、イスラエルの民に何か優れた点があったから救われたのではなく、ただ神様の恵みとあわれみによるのです。このように神様には力があり、愛のお方であるがゆえに、神様に信じ従うことが人の幸いであることをモーセは教えます。神の神、主の主、力があり、愛とあわれみに富みたもうお方を賛美し、期待して祈りたいと思います。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 教団創立記念礼拝、召天者記念礼拝のために
  • JEA宣教フォーラムのために
  • 南大沢チャペルのために

賛美 新聖歌220 恵みの光は

主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

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祈祷会メッセージとお祈りの課題

キリストにあって祝福を祈る 2020年9月16日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌264 われ贖われて

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お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌196 祈れ物事

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聖書

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。

IIコリント13:13

メッセージ

今日でコリント人への手紙の通読も終わります。今日は手紙の最後の部分を読みました。パウロは手紙の最後を祝祷で締めくくっています。IIコリント13:13の言葉を礼拝の最後の祝祷の言葉として用いている教会が多いのではないでしょうか。祝祷とは文字通り、相手の祝福を祈る祈りです。ただし、祈る人が相手に祝福を与えるのではありません。祝福を与えて下さるのは神様です。相手の祝福のために神様にお願いをしている祈り、それが祝祷です。つまり大きく言えば、祝祷もとりなしの祈りの一つです。

相手のために祝福を祈ること、とりなしの祈りをささげることは牧師だけの特権ではありません。礼拝の祝祷は牧師が代表して祈りますが、日常生活においては誰でも他の人のために祝福を祈る事ができます。祈る人には何の力もありませんし、祈って相手がどんな祝福を受けるか、祈る人には分かりません。すべての決定権は神様にあります。しかし祈る人には力がなく、弱くても、相手のために神様に祝福をお願いすることができる、それがクリスチャンの特権でもあります。パウロがIIコリント13:4でこう語っています。「キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対しては、神の力によってキリストとともに生きるのです。」クリスチャンはいついかなる時も、キリストと共に生きています。ですからクリスチャンは弱くても、共にいて下さる神様が力ある方なので、希望を持つことができ、他の方のために祝福を祈る事ができるのです。ですから祝祷は決して無責任な祈りではありません。必ず神様が聞いてくださって、導いて下さると確信をもって祈るからです。

パウロはコリント人への手紙第一、第二の中で、コリント教会の多くの課題について触れてきました。もしかしたらこれらの課題の根本的な部分には共通のものがあるのかもしれません。それは自分の力で生きるのか、キリストの恵みによって生きるのかということです。私たちは神様の救いを知る前は何でも自分の力で生きてきました。それが当然のことだったからです。しかしキリストの救いを受け取った時、自分の力で生きて来たと思っていたこれまでの生活はすべて、神様の力で支えられていたのだという事に気づきました。またいかに自分が自己中心的で、弱い者であるかを知りました。そんな弱い自分であるにもかかわらず、神様は救いを与え、これからは私たちの内側に住んでくださると述べて下さっています。ですからパウロが言いたいのは、これからは私たちの内に住むキリストに全てを導いて頂きなさいということです。私たちは弱いのですが、神様は強いからです。私たちは相手のために祝福を与えることはできませんが、神様は全てを働かせて益とする事ができます。

これからも私たちは誰かのために祈りの必要を覚えると思います。ぜひとも私たちと共にいて下さる神様を覚えて、心から相手のために祈る者でありたいと思います。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 教団青年集会TTQ、教団創立記念礼拝のために
  • 川越教会のために

賛美 新聖歌386 ナルドの香油

主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

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祈祷会メッセージとお祈りの課題

自らを捧げ、神様の御業に参与する 2020年9月9日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌324 主と主の言葉に

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お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌341 恐れなく近寄れ

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聖書

そして、私たちの期待以上に、神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ、私たちにも委ねてくれました。

IIコリント8:5

メッセージ

IIコリント8-9章には献金についての教えが書かれています。今回は献金について考えたいと思います。注意して頂きたいのは、パウロも手紙の中で「私は命令として言っているのではありません(8:8)」と言っているように、これは命令ではありません。今現在の経済的事情は人それぞれであると思います。実際に、いくら捧げるのが正しいとか、いくら捧げた方が素晴らしいという事ではなく、献金の本質は何かという事を考えて頂ければ幸いです。

コリントの教会はエルサレム教会への献金を捧げようとしていました。ところが何か問題があったようで、思うように集まらなかったようです。そこでパウロはコリントから海を挟んで向かい側の地域、マケドニアの教会たちの例を挙げています。マケドニア教会は喜んで「自分自身を主に献げ(8:5)」、献金をパウロたちに託しました。献金の本質は神様に自分をささげることです。献金という呼び方をしていますが、献身と言った方が本質的な意味を表すことができるかもしれません。献金のモデルはキリストだからです。8:9でパウロは「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。」と書いています。キリストは栄光に富む神であられたのに、私たちを救うために貧しくなられました。そして十字架の死によって、自らの全てを捧げられました。そのキリストの捧げ物のゆえに、私たちは救われて、キリストの恵みに満ち溢れています。ですから私たちも神のために、他の人のために何かをしたいと思うなら、それはキリストの思いの現れです。キリストの愛がそうさせて下さっています。私たちは神のために、他の人のために何かをしたいなら、自分自身を神に捧げ、他の人に捧げる決意をしましょう。

神様は献金の額ではなく、私たちの思いを見られます。コリント教会も初めは自らを捧げる純粋な思いから献金を始めたのだと思います。ところが何か問題が発生し、思っていた額が集まらなかったのかもしれません。パウロは8:11-12で、額の問題ではなく、神様は思いを見られるから、今ある物に応じて捧げ、やり遂げなさいと勧めています。神様は無からこの世界を生み出すことができるほど、祝福に満ちた方です。ですから本来人からの施しや捧げ物を必要とはしません。神様はただ私たちの献身の思いが確かであることを見たいのです。神様は私たちからの献金を祝して献金額以上に用いる事ができます。小金井教会が始まる時、ミリカン師は母国アメリカの教会に支援献金を求めました。アメリカの教会の方々が持っている物に応じて捧げて下さった献金は2,365ドルでした。その後、小金井教会のために土地を探しました。ある土地に来ると、ミリカン師は神様からこの場所であると示されたそうです。ミリカン師が土地の所有者に価格を尋ねると、米ドルに換算すると、2,364ドル数セントだったそうです。アメリカから捧げられた献金とほぼ一致しました。このようなことは神様の計画であれば、良く起こることです。最近では昭島教会の会堂のエアコン工事も、捧げられた献金額とほぼ一致しました。神様は献金額に応じてではなく、私たちの思いに応じて御業を行われます。献金は私たちがその御業に関わる一つの手段です。キリストの救いの業に感謝し、自らを捧げ、神様の御業に参加させて頂きましょう。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 教団青年集会TTQのために
  • 宣教地のために
  • 守谷教会のために

賛美 新聖歌392 主の愛の汝が内に

主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

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祈祷会メッセージとお祈りの課題

律法の務め、御霊の務め 2020年9月2日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌218 汚れと辱との

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お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌136 御霊よ降りて

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聖書

石の上に刻まれた文字による、死に仕える務めさえ栄光を帯びたものであり、イスラエルの子らはモーセの顔にあった消え去る栄光のために、モーセの顔を見つめることができないほどでした。そうであれば、御霊に仕える務めは、もっと栄光を帯びたものとならないでしょうか。

IIコリント3:7-8

メッセージ

通読はコリント人への手紙第二に入りました。第一と同じくパウロがコリントの教会に宛てて書いた手紙です。時期も第一から1-2年後に書かれたものと思われます。聖書にはコリント人への手紙は2通納められていますが、多くの学者が第一と第二の間にパウロは少なくとももう一通の手紙を書いているのではないかと言っています。それはIIコリント2:4で触れられている「涙の手紙」と呼ばれる手紙です。第一の手紙は激しい非難する内容の手紙であり、その後、「大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに(IIコリント2:4)」書いた手紙が送られました。もしかしたらその他にも手紙を書いたかもしれませんが、これらによってコリントの教会の人々が悔い改めたという知らせがパウロに届きました。その後、この第二の手紙が記されたと考えられています。

3章でパウロは文字に仕える者と、御霊に仕える者について書いています。聖書の律法の言葉(文字)は、私たちに神様のことを教えてくれます。神様の愛について教えてくれます。よく言われる事ですが、新約聖書は優しさと愛をにあふれた神様を想像しやすいですが、旧約聖書の神様はとても厳しく、失敗を赦さないように見えます。これは新約、旧約双方に書かれている教えから受ける印象もあるかもしれません。新約聖書は互いに愛し合いましょうのように、積極的で優しさを追い求める雰囲気があります。旧約聖書にある教えは、「~をしてはならない」のように、禁止条項が多く消極的です。また律法を破った時の刑罰についても多く記されていて、失敗が赦されないように感じます。パウロはそのような特徴を2:9で「罪に定める務め」と「義とする務め」と表現しています。言うなれば旧約聖書は「何が罪か」について書かれている書物であり、新約聖書には「神様が罪人を救うこと」について書かれている書物です。どちらかが大切という事ではなく、両方とも聖なる、栄光ある教えであり、両方揃って神様の御心を表しています。

神様が罪人を救うことには、救われた人が今後、正しく歩めるようになることも含まれています。どのようにして神様は人を正しく生きる事ができるようにしてくださるのでしょうか。それは書かれた文字によって人に教えると言う形ではなく、神様の霊、御霊を人に注ぐことによってです。神様は御霊によって私たちをキリストに似た者へと造り変えて下さいます。2:18に「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」とある通りです。私たちは自分の力では正しく生きる事が難しいかもしれません。しかし神様が神様の力によって私たちを造り変えて下さいます。私たちが自分を神様に明け渡し、委ねていく時に、神様が私たちを造り変えて下さいます。コリントの人々はパウロの手紙に刺激され、深く悔い改めて自分を神様に明け渡しました。神様はコリントの人々を御霊によって造り変えて下さいました。私たちも自分を省み、明け渡し、神様に造り変えて頂きましょう。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • 教団中高生集会FMTZ、教団委員長会議のために
  • 南平教会のために

賛美 新聖歌397 神の御子にますイエス

https://youtu.be/Epe1E8D8xjs

主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

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祈祷会メッセージとお祈りの課題

ただで受けたのですから 2020年8月12日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌357 何ゆえ御神は

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お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌428 キリストには代えられません

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聖書

いったいだれが、あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか。あなたには、何か、人からもらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。
Iコリント4:7

メッセージ

聖書通読はコリント人への手紙第一に入りました。コリント人への手紙は使徒パウロがコリントの教会へ宛てて書いた手紙です。使徒の働き18章にはパウロがコリントを訪れ、伝道したことが記されています。この時にコリント教会は誕生したと思われます。その後パウロはコリントを離れますが、使徒19章にはアポロがコリントで伝道していたことが記されています。その後、コリントの教会では何らかの問題(おそらく複数の問題)が起き、コリントの教会のある者たちがパウロに助言を求めました(Iコリント1:11参照)。そこでパウロはいくつかの手紙を書いてコリントに送りました。聖書にはそのうちの2巻が納められています。このような背景のある手紙なので、コリント人への手紙第一は全体的に厳しい口調になっています。コリントの教会が抱えた問題は私たちにも通じるものがあるので、この手紙を読むたびに自分の心を悔い改める思いです。

パウロは1-3章で人間の知恵が神様の知恵に劣るものであることを書いています。コリントはギリシャ哲学に通じる人の多い地域でした。日々研究熱心な人が多かったであろうと思います。人より賢いと自負している人も多かったかもしれません。探求熱心なことは良い事かもしれませんが、それによって高慢になることは良くない事です。そもそも人の知恵は誰かから頂いたものですとパウロは述べます。誰かとは先人のこととも言えますが、元をたどればすべては神様に通じます。この世界にある物すべてが神様の物であり、私たちは自分たちの体を含めて全ての物を神様から頂いているのです。ですからあたかもすべてを自分で手に入れたかのような振舞いは間違っています。私たちは神様からすべてを頂いたのですから、神様に感謝して過ごすべきです。そして神様から頂いた祝福を他に欲しがる人がいたら、自分の者であるかのように上から目線で与えるのではなく、喜んで分かち合うべきです。イエス様もマタイ10:8でこのように仰っています。「あなたがたはただで受けたのですから、ただで与えなさい。」これは対価を受け取るなという事ではありません。神様はみんながお互いに喜んで与えあえる関係になればと願っています。

パウロはかつてクリスチャンを迫害していました。律法に熱心であったがゆえに、クリスチャンを赦すことができませんでした。しかしそのような立場から神様によって、また愛のある人によって救われたのです。そのような過去があるのでなおさらパウロは、他の人よりも律法に通じ、知恵に通じた者であると誇らず、人々に仕えるべきだと実感していました。「私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です(ローマ1:14)」と告白しています。パウロは神様からただで頂いた福音、それも神様に逆らっていた自分に与えられた神様からの恵みだからこそ、ただで人々にあたえよう、誰かから嫌われたとしても、愛をもって福音を届けようとしていたのでしょう。それはパウロ自身がただで受けたからであり、またすべての人が必要としている福音、良い知らせであると確信していたからです。私たちも自分が頂いている物を誇らず、与えてくれた方、神様に感謝し、喜んで人と分かち合えるようになりたいと思います。

 

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • 桜ヶ丘教会のために

賛美 新聖歌428 ただ主を

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動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)