主へのささげ物 2020年7月1日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌391 慕いまつる主なるイエスよ

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お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 讃美歌66 聖なる 聖なる

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聖書

ただし、人であれ家畜であれ、自分の所有の畑であれ、自分の持っているすべてのもののうちで、主に対して聖絶したものは、何であろうとそれを売ることはできない。また買い戻すこともできない。すべて聖絶の物は最も聖なるものであり、主のものである。
レビ27:28

メッセージ

レビ記の最終章を読みました。レビ記は捧げ物やいけにえに関する細かい規定が書かれています。またそれぞれの生活全般において、神様の前に聖なる生活を保つための規定、もし規定を破ってしまった場合の贖いの規定が記されています。神様はこれらのレビ記の記事を通して、聖なる神様とはどのようなお方なのか、そして聖なる神様と生きていくことはどのようなことであるのかを示しています。具体的な細かい規定が書かれていますが、これらの細かいルールに則って生活する時、見えてくるのは境界線です。神様と人との間には境界線があるのだということが分かってくるのです。目には見えない線ですが、何か神様と人とは決定的に違うのだという事が分かってくるのです。レビ記の中心は神様の聖です。聖とは第一義的に「違う」ということです。創造者と被造物の間には決定的な違いがあり、それを超えることはできません。しかし愛のお方である神様は、この違いを超えて、私たちを愛し、私たちを聖なるものへと作り替えようとしておられるのです。

27章には誓願について細かく記されています。神様は人が神様の前に誓いを立てることを推奨してはいません。むしろ守ることのできない誓いを立てるよりは、誓いを立てずともただ純粋に神様に従って行く事を喜ばれます。それでも人が神様の前に誓いを立てたいと思う場合、絶対的で聖なる神様を前にして誓いを立てるのだということを忘れてはなりません。これは神様に捧げ物をする際にも求められることです。人が何かを神様に捧げる場合、何であれそれは神様のものになります。誰かにプレゼントをする時、それは相手の物になります。神様に捧げ物をする場合も同様です。神様の前に誓いを立てるとは、ある意味で、自分自身を神様に捧げる行為です。ですから、誓いを立てた人は、自ら進んで神様の物となったということです。神様へささげたのですから、後から「自分は自分だ」と言い張ることはできません。

神様は目に見えないお方です。そして私たちに大きな自由を与えて下さっています。ですから私たちは神様を信じて歩むと言う時、私の信念に基づいて神様に仕えようとしてしまいます。しかし神様に従う、神様に自らを捧げようと思うのであれば、本当は自らの信念を脇に置かなければいけないのかもしれません。神様に捧げ物をする時、奉仕をする時、神様に捧げますと言いながら、自分の思うように事をなそうとしているのであれば、本当に神様に捧げようと思っているのか考え直さなければいけないのかもしれません。

神様は私たちのそのような弱さをご存知で、神様に徐々に従えるようになることを赦しておられるように思います。27章には聖別と聖絶という言葉があり、区別されています。神様に捧げ、聖別されたものは神様の物ですが、人が代金を払って買い戻すこともできます。驚くべきことですが、一度プレゼントしますと言って渡しておきながら、やっぱりやめたということができるということです。しかし聖絶のものは決して買い戻すことはできません。一度お捧げして神様の物になったのですから、人の自由にできないのは当然です。本来神様へのささげ物はすべて聖絶の物となっても良いのかもしれません。人間同士での贈り物であれば、そのように行うのが当然です。ところが神様は段階を設けておられます。私たちは神様への配慮を感謝しながら、ゆくゆくは全てを神様に捧げ、神様の御心のままに歩みたいと思います。それこそが私たちが全く神様の物となったということであり、一番安心できる状態のはずです。

 

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • 宣教地のため
  • 南平教会のために

賛美 新聖歌391 皆献げまつり

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主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

2020年6月24日 静まりの祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌232 弱き者よ われにすべて

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お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

静まりの祈祷会

今日は月末の祈祷会なので、静まりの祈祷会です。心をしずめて主の御言葉をゆっくりと味わいましょう。

  • リラックスして座ります。
  • 呼吸をゆっくり整えましょう。
  • 息を吸う時に「神様。お語り下さい。」というイメージを持ち、息を吐く時に「神様。お委ねします。」というイメージを持ちます。
  • 今は神様に集中し、他の思いが出てきたら、吐く息と共に神様にお委ねしましょう。

招きの言葉

主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます。たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。 あなたが ともにおられますから。 あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。

詩篇23:3-4

聖書の言葉

ゆっくりと3回、読みましょう。

哀歌3:19-41

19 私の苦しみとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ。

20 私のたましいは、 ただこれを思い出しては沈む。

21 私はこれを心に思い返す。 それゆえ、私は言う。「私は待ち望む。

22 主の恵みを。」実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。

23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は偉大です。

24 主こそ、私への割り当てです」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。

25 主はいつくしみ深い。主に望みを置く者、主を求めるたましいに。 26 主の救いを静まって待ち望むのは良い。

27 人が、若いときに、くびきを負うのは良い。

28 それを負わされたなら、ひとり静まって座っていよ。

29 口を土のちりにつけよ。もしかすると希望があるかもしれない。

30 自分を打つ者には頬を向け、十分に恥辱を受けよ。

31 主は、いつまでも見放してはおられない。

32 主は、たとえ悲しみを与えたとしても、その豊かな恵みによって、人をあわれまれる。

33 主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。

34 地上の捕らわれ人をみな足の下に踏みにじり、

35 人の権利を、いと高き方の前で曲げ、

36 訴訟で人を不当に扱うのを、主は見ておられないだろうか。

37 主が命じられたのでなければ、だれが語って、このようなことが起きたのか。

38 わざわいも幸いも、いと高き方の御口から出るのではないか。

39 生きている人間は、なぜ不平を言い続けるのか。自分自身の罪のゆえにか。

40 自分たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。

41 自分たちの心を、両手とともに、天におられる神に向けて上げよう。

黙想

  • 御言葉について思い巡らしましょう。
  • 心に留まった御言葉、思い巡らしたことを短くメモしておきましょう。
  • 思い巡らしたことについてお祈りしましょう。
  • 今は、御言葉から離れないようにお祈りしましょう。

賛美 新聖歌379 主よ わが罪と汚れをきよめ

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お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 教団聖書塾のため。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • 青梅教会のために

主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

神様との関係を保つ 2020年6月17日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌341 恐れなく近寄れ

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お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌372 聖なる者と

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聖書

「イスラエルの子らに告げよ。交わりのいけにえを主に献げる者は、自分の交わりのいけにえのうちから、そのささげ物を主のところに持って行かなければならない。その人は自分の手で主への食物のささげ物を持って行く。その脂肪を胸肉と一緒に持って行き、胸肉を奉献物として主の前で揺り動かす。
レビ7:29-30

メッセージ

聖書通読はレビ記に入りました。レビ記は捧げ物やいけにえの規定から始まります。そして8, 9章で神様の命じられた通りにイスラエルの民が捧げ物を行ったことが記されています。まず8章で祭司として任命されたアロンとその子どもたちが捧げ物を捧げ、9章で祭司たちを通してイスラエルの民全体が捧げ物を捧げました。こうして、イスラエルの民全体は神様の聖なる国民となったのです。

捧げ物といけにえの規定はとても細かく決められています。それまでイスラエル人たちはエジプトで奴隷であったため、人として扱われていませんでした。自分たちの文化も持たず、教育も受けていませんでした。そのような民に、神様の聖なる律法が与えられました。神様の聖とは何か、神様の愛によって生きるとはどういうことか律法には記されています。レビ記前半に記されている捧げ物、いけにえの規定は、特に神様との交わりを保つための教えです。イスラエル人たちは神様の民となりました。神様との交わりと持ちながら生きているのです。神様を礼拝する方法、罪を犯して神様とのつながりが立たれそうになった場合、どのように回復するのか、そういったことが捧げ物といけにえの規定の中心と言えるでしょう。イスラエル人は自分が神様と関係を持っているということを、自分の生活の中で意識して過ごします。誰かに任せるのではなく、自ら神様への捧げ物を選んで持って行きます。罪を犯してしまった場合にも、誰かに償いを任せるのではなく、自らいけにえをもって神様の前に出ます。

レビ記以外にも言えることですが、神様の律法の中で繰り返される特徴的な言葉は、律法を破ってしまった時、「その人は自分の民から断ち切られる」という表現だと思います。現代の法律の場合、法律を破って処罰を受ける時、「罰金いくらを支払う」「禁固何年」という表現が一般的かと思います。あるいは最も重い刑の場合は「死刑」です。聖書の律法の場合、興味深いのは「その人は自分の民から断ち切られる」という表現が使われている事です。これは「追放処分」とも言えますが、もっと重要な意味は「神様の民でなくなる」ということです。いのちの源である神様とのつながりを断たれる、つまり永遠の滅びという意味なのです。ですから聖書では最も重い刑罰と言えるかもしれません。それほどまでにイスラエルにとって、また人間にとって神様とのつながりは重要なものです。

神様と人とのつながりを表す捧げ物やいけにえ、その時に仲介役を果たすのが祭司たちです。祭司たちはイスラエルの民が神様にささげ物やいけにえを捧げる手助けを行います。また自分たちも神様にささげ物やいけにえを捧げ、神様の前に聖なる祭司であることを保ちます。私たちにとっての仲介者はイエス様です。永遠の聖なる祭司であるイエス様が私たちと神様のつながりを保ってくださっています。いつもイエス様を通して賛美し、感謝して過ごします。また罪を犯してしまった時には、イエス様の十字架の犠牲によって救われていることを覚えます。いつもイエス様によって神様とのつながりが保たれていることを感謝し、過ごしたいと思います。

 

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 教団教会運営会議、聖書塾のため。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • 八王子教会のために

賛美 新聖歌342 神の子なるイエス

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主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

私たち力ある者は… 2020年6月10日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌196 祈れ物事

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お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌384 主よ御手もて

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聖書

私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです。
ローマ15:1-2

メッセージ

ローマ15章を開きました。今日は一つの御言葉から私が思い巡らしたことについてお分かちしたいと思います。ローマ15:1には「力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり」とあります。力のある者と力のない人が登場し、力のある者は力のない人の弱さを担い、助けるべきだと勧められています。これには私たちも賛同すると思います。

しかしローマ15:1はよく見ると「私たち力のある者たち」と書かれています。あたかも私たちには力があるように書かれているのです。私たちは普段、他の人に比べて自分には力があると思っているでしょうか。私はそうは思っていませんでした。しかし私たちが思っている以上に、人付き合いにおける力関係はとても簡単に出来上がり、またとても簡単に逆転するのかもしれません。みんなで一緒に一つの作業を始めると、当然得意な人と不得意な人の差が出ます。そこには意図せずして力関係が生まれています。この時、得意な人がどのように声をかけるか、どのような態度をとるかで、人間関係は簡単にこじれます。そのように考えると、人付き合いにおける力関係は日々生まれては消えているのかもしれません。ちょっと約束の時間に遅れただけで。ちょっと声を荒げただけで。年の差が一つ違うだけで。私たちの力関係は生まれ、私たちの意識の仕方一つで、その差は大きくもなり、小さくもなります。

教団では今、ハラスメント対策をみんなで考えようと牧のひつじの学びで働きかけています。ハラスメントは力関係の差があるところで発生します。最近は日本のスポーツ界でもハラスメントの問題が大きく取り上げられています。ハラスメントを行ったとみられる側を弁護する人が会見で、「あの人にはそんなパワーはありません」と話していたことが印象的です。私たちは日々生まれては消えている力関係の差を、うまく意識出来ていないのかもしれません。

ローマ15:2は「私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです。」と語ります。私たち人間はみな個人差がありますから、当然、能力差があります。その差は比較したり、弱い者を虐げるための物ではありません。弱さを担うための物であり、「霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべき」ためのものです。私たちはみな、キリストのからだの各器官なのです。お互いがお互いを必要とし、互いに助け合っています。私たちは能力差による力関係が日々生まれ、変動していることを意識したいと思います。そしてお互いに尊重し、相手を自分よりも優れている者として敬い合いたいと思います。また言葉遣いに気を遣い、相手の徳を高める言葉、励まし力を与える言葉をかけ合いたいと思います。また失敗した時には素直に間違いを認めて謝罪し、赦し合いたいと思います。神様は私たちに力を与えて下さる主であり、また和解を与えて下さる主です。神様の愛と力を正しく受け取り、用いていければと思います。

 

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 教団教会運営会議、聖書塾のため。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • 桜ヶ丘教会のために

賛美 新聖歌298 主に任せよ

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主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

主こそ救い主 2020年6月3日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌230 十字架のもとぞ

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  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌265 世人の咎のために

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聖書

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
ローマ10:9

メッセージ

ローマ人への手紙9-11章では、パウロが自分の同胞であるユダヤ人について書いています。パウロは自分と同じユダヤ人たちがイエス様を受け入れることを願っています。多くのユダヤ人たちがイエス様をキリストと認める事ができず、受け入れる事ができませんでした。神様はパウロをユダヤ人以外の民族にキリストの救いを伝えるために遣わされました。しかしパウロはユダヤ人の救いについていつも心に留めていました。使徒の働きを見ると、パウロはどの地方に行ってもまず、ユダヤ人の会堂に入っていってキリストを宣べ伝えています。それからその地方のユダヤ人以外の民族にキリストを伝えました。パウロはユダヤ人たちの救いのために必死に祈っていましたが、多くのユダヤ人はキリストを受け入れませんでした。その状況をパウロは嘆いています。

ローマ人への手紙の前半で、パウロはユダヤ人も外国人も、神様の前に罪ある者となり、イエス様の十字架の贖いのわざを必要としていると書きました。神様は罪のゆえに滅びに瀕している私たちをあわれみ、イエス様の十字架の救いを与えて下さいました。イエス様の十字架の救いが自分の為であると信じるのであればだれでも救われます。ローマ10:9で「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」とパウロが書いている通りです。神様の無償の愛を感謝します。

この神様の救いを受け入れるかどうかは、私たちの判断にゆだねられています。多くの外国人がイエス様を信じて告白し、救いを受けました。しかしイエス様を拒む者に、神様は無理強いをなさいません。多くのユダヤ人がイエス様を拒んで、救いからはみ出してしまっているのです。パウロは必死に自分の同胞であるユダヤ人たちのために祈っています。神様との契約も、律法も、聖書も、すべて元々は神様がユダヤ人に与えられた物です。それなのに今、ユダヤ人たちは聖書で約束されていた救い主イエス様を拒んでしまっています。パウロは最後には、神様がユダヤ人たちをあわれみ、救って下さると信じて活動を続けています。

パウロはこのことを通して、改めて救いの主を信じ受け入れることを書いています。神様からの救いはあくまでも神様の御心によって行われます。神様こそが真に正しいお方であり、私たちを救いに導いて下さるのです。ユダヤ人たちはそれを忘れて、律法に書かれている事さえ守ればいいのだとしています。それはあたかも、自分たちの行動の正しさを神様に突きつけて、自分たちを救うように要求しているかのようです。神様のご人格を無視しているのです。ですから外国人も油断していると同じような罠に陥ります。一度イエス様を信じたから大丈夫とか、今朝聖書を読んだから大丈夫とか、教会の牧師がこう言ったから大丈夫と考えてしまうようになります。そうではなく、あくまでも神様の愛とあわれみのゆえに救われているということをいつも心に留めたいと思います。神様こそが救いの主なのです。いつも神様に心を寄せ、神様と交わりを持ちながら歩みたいと思います。

 

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • オンライン開催の合同宣教祈祷会のため。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • 小金井教会のために

賛美 新聖歌427 ただ主を

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主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)