神様の正しさと救い 2020年7月8日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌19 救いをなし給う

参考Youtube
動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌230 十字架のもとぞ

参考Youtube
動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

聖書

イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです。」
マルコ10:27

メッセージ

聖書通読はマルコの福音書に入りました。マルコの福音書は新約聖書にある4つの福音書の中で一番短い福音書になります。イエス様の教えのエッセンスが凝縮されています。今日の通読箇所は9-10章となっていました。マルコの福音書の内容は8章で折り返し点を迎えているように思います。イエス様が弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と質問すると、ペテロが「あなたはキリストです。」と答えました。キリスト、すなわち救い主です。するとイエス様は救い主は人々の罪のために十字架に架かっていのちを落とし、三日目に復活されることを話し始められます。しかし弟子たちにはその意味が理解できません。なぜ救い主は死ななければならないのでしょう。

9-10章でイエス様と人々の感覚のズレが広がり、すれ違いが多くなっているように思います。人々の感覚で「この程度は良い」と思っていることが、イエス様、すなわち神様の基準からすると「良くない」ことがあるからです。10章の始めには離縁することについて、イエス様と人々が論じ合っている箇所があります。律法に詳しいパリサイ人は「モーセは、離縁状を書いて妻を離縁することを許しました(10:4)」と言います。これは脚注を見ますと、申命記24:1-4に記されていると書かれています。実際に申命記24:1-4を開いてみると、ある夫が妻を一度離縁し、その妻が他の男性と結婚するがその男性も離縁した場合、もう一度その元妻と復縁してはならないという教えです。何ともややこしい教えですが、これは男性の都合によって、女性を離縁したり、復縁したり、好き勝手なことをしてはならないという教えと見る事ができます。律法学者たちはこの箇所を取り上げて「神様は離婚を許可している」と考えていました。果たしてその通りでしょうか。イエス様はマルコ10:5で「モーセは、あなたがたの心が頑ななので、この戒めをあなたがたに書いたのです。」と言います。そして結婚とは、神様が世界を創造された時に聖定された聖なるものであり、人間の都合でくっつけたり、離したりしていい物ではないと仰います。しかし人間のいろいろな事情により、離婚があることは仕方のないことです。ただし結婚の本来の姿を忘れていいという事ではありません。

これは神様の聖なる基準と、人間の力の及ばなさを表しています。結婚以外にも、神様が良いとみることと人間が良いとみることのズレが、9聖書にはたくさん記されています。そして当時の人々が驚いたように、神様の基準に達している者は歴史上、一人もおらず、「それなら誰が救われるのだろうか」という事になります。聖書は良い事を教えます。しかし、良い事は人間の弱さを考慮して「これ位なら悪い事をしても良い」と作られるべきものではありません。しかし神様はあわれみ深いお方なので、人間の罪を赦す救いを与えて下さいました。それは全ての人に代わって、イエス様がその罪の咎を負い、十字架によって処罰するという方法でした。救い主が十字架で死なれる理由は私たちのためなのです。私たちは自分の力で律法を全うし、神の国に行くことは出来ません。罪を抱えています。しかしイエス様の十字架によって罪を赦され、神様の愛を与えられ、神の国に入る事ができるのです。自分の罪を認め、しかし救いを備えて下さった神様に感謝したいと思います。

 

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • 守谷教会のために

賛美 新聖歌261 流し給いし

参考Youtube
動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

主へのささげ物 2020年7月1日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌391 慕いまつる主なるイエスよ

参考Youtube
動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 讃美歌66 聖なる 聖なる

参考Youtube
動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

聖書

ただし、人であれ家畜であれ、自分の所有の畑であれ、自分の持っているすべてのもののうちで、主に対して聖絶したものは、何であろうとそれを売ることはできない。また買い戻すこともできない。すべて聖絶の物は最も聖なるものであり、主のものである。
レビ27:28

メッセージ

レビ記の最終章を読みました。レビ記は捧げ物やいけにえに関する細かい規定が書かれています。またそれぞれの生活全般において、神様の前に聖なる生活を保つための規定、もし規定を破ってしまった場合の贖いの規定が記されています。神様はこれらのレビ記の記事を通して、聖なる神様とはどのようなお方なのか、そして聖なる神様と生きていくことはどのようなことであるのかを示しています。具体的な細かい規定が書かれていますが、これらの細かいルールに則って生活する時、見えてくるのは境界線です。神様と人との間には境界線があるのだということが分かってくるのです。目には見えない線ですが、何か神様と人とは決定的に違うのだという事が分かってくるのです。レビ記の中心は神様の聖です。聖とは第一義的に「違う」ということです。創造者と被造物の間には決定的な違いがあり、それを超えることはできません。しかし愛のお方である神様は、この違いを超えて、私たちを愛し、私たちを聖なるものへと作り替えようとしておられるのです。

27章には誓願について細かく記されています。神様は人が神様の前に誓いを立てることを推奨してはいません。むしろ守ることのできない誓いを立てるよりは、誓いを立てずともただ純粋に神様に従って行く事を喜ばれます。それでも人が神様の前に誓いを立てたいと思う場合、絶対的で聖なる神様を前にして誓いを立てるのだということを忘れてはなりません。これは神様に捧げ物をする際にも求められることです。人が何かを神様に捧げる場合、何であれそれは神様のものになります。誰かにプレゼントをする時、それは相手の物になります。神様に捧げ物をする場合も同様です。神様の前に誓いを立てるとは、ある意味で、自分自身を神様に捧げる行為です。ですから、誓いを立てた人は、自ら進んで神様の物となったということです。神様へささげたのですから、後から「自分は自分だ」と言い張ることはできません。

神様は目に見えないお方です。そして私たちに大きな自由を与えて下さっています。ですから私たちは神様を信じて歩むと言う時、私の信念に基づいて神様に仕えようとしてしまいます。しかし神様に従う、神様に自らを捧げようと思うのであれば、本当は自らの信念を脇に置かなければいけないのかもしれません。神様に捧げ物をする時、奉仕をする時、神様に捧げますと言いながら、自分の思うように事をなそうとしているのであれば、本当に神様に捧げようと思っているのか考え直さなければいけないのかもしれません。

神様は私たちのそのような弱さをご存知で、神様に徐々に従えるようになることを赦しておられるように思います。27章には聖別と聖絶という言葉があり、区別されています。神様に捧げ、聖別されたものは神様の物ですが、人が代金を払って買い戻すこともできます。驚くべきことですが、一度プレゼントしますと言って渡しておきながら、やっぱりやめたということができるということです。しかし聖絶のものは決して買い戻すことはできません。一度お捧げして神様の物になったのですから、人の自由にできないのは当然です。本来神様へのささげ物はすべて聖絶の物となっても良いのかもしれません。人間同士での贈り物であれば、そのように行うのが当然です。ところが神様は段階を設けておられます。私たちは神様への配慮を感謝しながら、ゆくゆくは全てを神様に捧げ、神様の御心のままに歩みたいと思います。それこそが私たちが全く神様の物となったということであり、一番安心できる状態のはずです。

 

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • 宣教地のため
  • 南平教会のために

賛美 新聖歌391 皆献げまつり

参考Youtube
動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

2020年6月24日 静まりの祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌232 弱き者よ われにすべて

参考Youtube
動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

静まりの祈祷会

今日は月末の祈祷会なので、静まりの祈祷会です。心をしずめて主の御言葉をゆっくりと味わいましょう。

  • リラックスして座ります。
  • 呼吸をゆっくり整えましょう。
  • 息を吸う時に「神様。お語り下さい。」というイメージを持ち、息を吐く時に「神様。お委ねします。」というイメージを持ちます。
  • 今は神様に集中し、他の思いが出てきたら、吐く息と共に神様にお委ねしましょう。

招きの言葉

主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます。たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。 あなたが ともにおられますから。 あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。

詩篇23:3-4

聖書の言葉

ゆっくりと3回、読みましょう。

哀歌3:19-41

19 私の苦しみとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ。

20 私のたましいは、 ただこれを思い出しては沈む。

21 私はこれを心に思い返す。 それゆえ、私は言う。「私は待ち望む。

22 主の恵みを。」実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。

23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は偉大です。

24 主こそ、私への割り当てです」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。

25 主はいつくしみ深い。主に望みを置く者、主を求めるたましいに。 26 主の救いを静まって待ち望むのは良い。

27 人が、若いときに、くびきを負うのは良い。

28 それを負わされたなら、ひとり静まって座っていよ。

29 口を土のちりにつけよ。もしかすると希望があるかもしれない。

30 自分を打つ者には頬を向け、十分に恥辱を受けよ。

31 主は、いつまでも見放してはおられない。

32 主は、たとえ悲しみを与えたとしても、その豊かな恵みによって、人をあわれまれる。

33 主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。

34 地上の捕らわれ人をみな足の下に踏みにじり、

35 人の権利を、いと高き方の前で曲げ、

36 訴訟で人を不当に扱うのを、主は見ておられないだろうか。

37 主が命じられたのでなければ、だれが語って、このようなことが起きたのか。

38 わざわいも幸いも、いと高き方の御口から出るのではないか。

39 生きている人間は、なぜ不平を言い続けるのか。自分自身の罪のゆえにか。

40 自分たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。

41 自分たちの心を、両手とともに、天におられる神に向けて上げよう。

黙想

  • 御言葉について思い巡らしましょう。
  • 心に留まった御言葉、思い巡らしたことを短くメモしておきましょう。
  • 思い巡らしたことについてお祈りしましょう。
  • 今は、御言葉から離れないようにお祈りしましょう。

賛美 新聖歌379 主よ わが罪と汚れをきよめ

参考Youtube
動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 教団聖書塾のため。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • 青梅教会のために

主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

神様との関係を保つ 2020年6月17日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌341 恐れなく近寄れ

参考Youtube
動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌372 聖なる者と

参考Youtube
動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

聖書

「イスラエルの子らに告げよ。交わりのいけにえを主に献げる者は、自分の交わりのいけにえのうちから、そのささげ物を主のところに持って行かなければならない。その人は自分の手で主への食物のささげ物を持って行く。その脂肪を胸肉と一緒に持って行き、胸肉を奉献物として主の前で揺り動かす。
レビ7:29-30

メッセージ

聖書通読はレビ記に入りました。レビ記は捧げ物やいけにえの規定から始まります。そして8, 9章で神様の命じられた通りにイスラエルの民が捧げ物を行ったことが記されています。まず8章で祭司として任命されたアロンとその子どもたちが捧げ物を捧げ、9章で祭司たちを通してイスラエルの民全体が捧げ物を捧げました。こうして、イスラエルの民全体は神様の聖なる国民となったのです。

捧げ物といけにえの規定はとても細かく決められています。それまでイスラエル人たちはエジプトで奴隷であったため、人として扱われていませんでした。自分たちの文化も持たず、教育も受けていませんでした。そのような民に、神様の聖なる律法が与えられました。神様の聖とは何か、神様の愛によって生きるとはどういうことか律法には記されています。レビ記前半に記されている捧げ物、いけにえの規定は、特に神様との交わりを保つための教えです。イスラエル人たちは神様の民となりました。神様との交わりと持ちながら生きているのです。神様を礼拝する方法、罪を犯して神様とのつながりが立たれそうになった場合、どのように回復するのか、そういったことが捧げ物といけにえの規定の中心と言えるでしょう。イスラエル人は自分が神様と関係を持っているということを、自分の生活の中で意識して過ごします。誰かに任せるのではなく、自ら神様への捧げ物を選んで持って行きます。罪を犯してしまった場合にも、誰かに償いを任せるのではなく、自らいけにえをもって神様の前に出ます。

レビ記以外にも言えることですが、神様の律法の中で繰り返される特徴的な言葉は、律法を破ってしまった時、「その人は自分の民から断ち切られる」という表現だと思います。現代の法律の場合、法律を破って処罰を受ける時、「罰金いくらを支払う」「禁固何年」という表現が一般的かと思います。あるいは最も重い刑の場合は「死刑」です。聖書の律法の場合、興味深いのは「その人は自分の民から断ち切られる」という表現が使われている事です。これは「追放処分」とも言えますが、もっと重要な意味は「神様の民でなくなる」ということです。いのちの源である神様とのつながりを断たれる、つまり永遠の滅びという意味なのです。ですから聖書では最も重い刑罰と言えるかもしれません。それほどまでにイスラエルにとって、また人間にとって神様とのつながりは重要なものです。

神様と人とのつながりを表す捧げ物やいけにえ、その時に仲介役を果たすのが祭司たちです。祭司たちはイスラエルの民が神様にささげ物やいけにえを捧げる手助けを行います。また自分たちも神様にささげ物やいけにえを捧げ、神様の前に聖なる祭司であることを保ちます。私たちにとっての仲介者はイエス様です。永遠の聖なる祭司であるイエス様が私たちと神様のつながりを保ってくださっています。いつもイエス様を通して賛美し、感謝して過ごします。また罪を犯してしまった時には、イエス様の十字架の犠牲によって救われていることを覚えます。いつもイエス様によって神様とのつながりが保たれていることを感謝し、過ごしたいと思います。

 

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 教団教会運営会議、聖書塾のため。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • 八王子教会のために

賛美 新聖歌342 神の子なるイエス

参考Youtube
動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)

私たち力ある者は… 2020年6月10日 祈祷会

各ご家庭での祈祷会に感謝します。どうぞ教会のこと、皆様のこと等覚えてお祈り下さい。皆様の祈祷会が祝されますようにお祈りしております。

賛美 新聖歌196 祈れ物事

参考Youtube
動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

お祈り

  • 週の前半の歩みが守られたことの感謝。
  • 祈祷会を持てる感謝と、お祈りを導いて頂けますように。
  • 同じように家庭で祈祷会を守っておられる皆様のために。

賛美 新聖歌384 主よ御手もて

参考Youtube
動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

聖書

私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです。
ローマ15:1-2

メッセージ

ローマ15章を開きました。今日は一つの御言葉から私が思い巡らしたことについてお分かちしたいと思います。ローマ15:1には「力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり」とあります。力のある者と力のない人が登場し、力のある者は力のない人の弱さを担い、助けるべきだと勧められています。これには私たちも賛同すると思います。

しかしローマ15:1はよく見ると「私たち力のある者たち」と書かれています。あたかも私たちには力があるように書かれているのです。私たちは普段、他の人に比べて自分には力があると思っているでしょうか。私はそうは思っていませんでした。しかし私たちが思っている以上に、人付き合いにおける力関係はとても簡単に出来上がり、またとても簡単に逆転するのかもしれません。みんなで一緒に一つの作業を始めると、当然得意な人と不得意な人の差が出ます。そこには意図せずして力関係が生まれています。この時、得意な人がどのように声をかけるか、どのような態度をとるかで、人間関係は簡単にこじれます。そのように考えると、人付き合いにおける力関係は日々生まれては消えているのかもしれません。ちょっと約束の時間に遅れただけで。ちょっと声を荒げただけで。年の差が一つ違うだけで。私たちの力関係は生まれ、私たちの意識の仕方一つで、その差は大きくもなり、小さくもなります。

教団では今、ハラスメント対策をみんなで考えようと牧のひつじの学びで働きかけています。ハラスメントは力関係の差があるところで発生します。最近は日本のスポーツ界でもハラスメントの問題が大きく取り上げられています。ハラスメントを行ったとみられる側を弁護する人が会見で、「あの人にはそんなパワーはありません」と話していたことが印象的です。私たちは日々生まれては消えている力関係の差を、うまく意識出来ていないのかもしれません。

ローマ15:2は「私たちは一人ひとり、霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべきです。」と語ります。私たち人間はみな個人差がありますから、当然、能力差があります。その差は比較したり、弱い者を虐げるための物ではありません。弱さを担うための物であり、「霊的な成長のため、益となることを図って隣人を喜ばせるべき」ためのものです。私たちはみな、キリストのからだの各器官なのです。お互いがお互いを必要とし、互いに助け合っています。私たちは能力差による力関係が日々生まれ、変動していることを意識したいと思います。そしてお互いに尊重し、相手を自分よりも優れている者として敬い合いたいと思います。また言葉遣いに気を遣い、相手の徳を高める言葉、励まし力を与える言葉をかけ合いたいと思います。また失敗した時には素直に間違いを認めて謝罪し、赦し合いたいと思います。神様は私たちに力を与えて下さる主であり、また和解を与えて下さる主です。神様の愛と力を正しく受け取り、用いていければと思います。

 

お祈りの課題

  • 昭島教会に集う方々、ご家族のために
  • 最近、初めて来られた方々、久しぶりに来られた方々のために
  • 新型肺炎で苦しんでいる方々のために。また困難の中、神様にあって助け合う事ができるように。
  • 教団教会運営会議、聖書塾のため。
  • 今後の礼拝、祈祷会の導きのため。主の最善が成されるように
  • 桜ヶ丘教会のために

賛美 新聖歌298 主に任せよ

参考Youtube
動画をアップロードして下さっている方に感謝です。

主の祈り

天にまします我らの父よ。

ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

(出典:新聖歌)