9月7日 出エジプト記12:14-28 「罪からの解放を忘れません」

12:14 この日は、あなたがたにとって記念となる。あなたがたはその日を【主】への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟として、これを祝わなければならない。

12:15 七日間、種なしパンを食べなければならない。その最初の日に、あなたがたの家からパン種を取り除かなければならない。最初の日から七日目までの間に、種入りのパンを食べる者は、みなイスラエルから断ち切られるからである。

12:16 また最初の日に聖なる会合を開き、七日目にも聖なる会合を開く。この期間中は、いかなる仕事もしてはならない。ただし、皆が食べる必要のあるものだけは作ることができる。

12:17 あなたがたは種なしパンの祭りを守りなさい。それは、まさにこの日に、わたしがあなたがたの軍団をエジプトの地から導き出したからである。あなたがたは永遠の掟として代々にわたって、この日を守らなければならない。

12:18 最初の月の十四日の夕方から、その月の二十一日の夕方まで、種なしパンを食べる。

12:19 七日間はあなたがたの家にパン種があってはならない。すべてパン種の入ったものを食べる者は、寄留者でも、この国に生まれた者でも、イスラエルの会衆から断ち切られる。

12:20 あなたがたは、パン種の入ったものは、いっさい食べてはならない。どこでも、あなたがたが住む所では、種なしパンを食べなければならない。」

12:21 それから、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び、彼らに言った。「さあ、羊をあなたがたの家族ごとに用意しなさい。そして過越のいけにえを屠りなさい。

12:22 ヒソプの束を一つ取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血を鴨居と二本の門柱に塗り付けなさい。あなたがたは、朝までだれ一人、自分の家の戸口から出てはならない。

12:23 【主】はエジプトを打つために行き巡られる。しかし、鴨居と二本の門柱にある血を見たら、【主】はその戸口を過ぎ越して、滅ぼす者があなたがたの家に入って打つことのないようにされる。

12:24 あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫のための掟として永遠に守りなさい。

12:25 あなたがたは、【主】が約束どおりに与えてくださる地に入るとき、この儀式を守らなければならない。

12:26 あなたがたの子どもたちが『この儀式には、どういう意味があるのですか』と尋ねるとき、

12:27 あなたがたはこう答えなさい。『それは【主】の過越のいけにえだ。主がエジプトを打たれたとき、主はエジプトにいたイスラエルの子らの家を過ぎ越して、私たちの家々を救ってくださったのだ。』」すると民はひざまずいて礼拝した。

12:28 こうしてイスラエルの子らは行って、それを行った。【主】がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。

導入

 前回12章の始めに主はモーセとアロンにエジプトの地の全ての長子を打つ、殺すという最後の災いを下すことを告げられました。そして、その中でイスラエルの民がその災いから逃れるための、過越しの子羊の血による守りについて語り、命令されました。

 そして今日の聖書箇所で、これからこの日を記念として、代々守るべき永遠の掟として祝うべき祭りについてのことが語られました。

本題

 この祭りは神様ご自身によって定められました。そしてモーセとアロンに祭りを定めるように命じられました。この祭りはとても重要だったからです。この祭りは毎年行われるべきであり、イスラエルの永遠の定めとなりました。

 パン種つまり酵母は悪を、種なしパンは義を象徴します。パン種、酵母はエジプトの奴隷制の悪を象徴するものでした。そして、種なしパンは、約束の地での新しい人生、神の導きと支配の下での義なる人生へと急いで歩み出すことが絶対に必要だということを永遠に示していくものでした。

 種なしパンの祭に関し次のような神の命令がありました。

 祭りは七日間行われ、七日間種なしパンのみを食べることが求められました。これは、この祭りが神にとっていかに重要であったかを示しています。神様は、民が七日間のすべてを、エジプトの悪からの命がけの逃亡を思いながら過ごし、自由と約束の地カナンへの歩みに心を馳せて過ごすよう望んでおられました。

  人々は、最初の日に、家と自分のまわりから、悪を象徴するすべてのパン種を除き去らなければなりませんでした。

 そして神の民は、二つの特別に聖である礼拝の日を守ることを求められました。一回目は、第一日目の過越の祭りの日で、七日間続く種なしパンの祭りの始まりでした。2回目は七日目の種なしパンの祭りの終わりでした。大切なこととして、この二つの特別な礼拝の間は、個人的な仕事は一切行わず、唯一許された仕事は、食事のための準備だけでした。

この祭りは、神がエジプトから大きな救いをもたらしてくださったことを祝うもので、種なしパンを食べることは、新しい人生への飛躍、エジプトから逃れ、神の約束の地カナンへ飛躍する新しい人生を感謝するものでした。

 この祭を守ることは極めて重要でした。その重要なことは、神様がお与えになった一つの命令に示されています。それは、誰であれ、発酵したパンつまり悪を食べた者は、仲間から断ち切られ追放されるということでした。大切な点は、この罰はイスラエルの民の中にいた寄留人、外国人にも適用されたことです。裁きの災いの際に主を信じたエジプト人や他の民族の多くが、イスラエル人と共に約束の地へ向かう仲間に加わっていました。19節の「この国に生まれた者」とは、アブラハムの真の子孫であるイスラエル人を指しますので、これは全ての人に向けての警告です。

 迫りくる裁きから逃れるための警告があり、神様の裁きの手はいよいよ下り、十番目の災いがすぐに起ころうとしていました。そこでモーセはすべての長老たちを呼び集め、過越に関する指示を与えました。

  一つ目の指示は、家族ごとに過越の羊を選び、犠牲として屠り、その鉢の中の血にヒソップの束を浸し、家の鴨居と二本の門柱に血を塗ること。ヒソプは、液体を吸収しやすい葉を持つ小さな低木だったようです。二つ目の指示は、安全と保護に関するものでした。全員夜の間ずっと家の中にこもって、血の守りの下に留まるよう命じられました。信じている人たちは朝まで家を出ることはなく、エジプトから約束の地へ旅立つ呼びかけがあるまで、血の守りの中から離れてはいけないということでした。

 人々は、裁きと救いのメッセージを受け入れ、信じることを求められました。神様はエジプト人を裁き、打ち倒すつもりでした。そして、すべての人が神の裁きの御手に遭うことになり、各家庭の長子は、エジプト人が長い歴史の中で犯した悪のゆえに、死ぬ運命にありました。

  神様は、反対に、血によって守られた信じる者たちを滅ぼさず、通り過ぎると約束されました。

 過越の祭りは永遠の定めとして守られるべきこととして、神の民は、約束の地カナンへ到着し、そこへ入る時も、入った後も過越の祭りを守ることが求められました。

そして、その儀式の時、神の民は、過越の祭りの意味、子羊の過越しのいけにえについて子孫に伝えることと、主がエジプト人を裁かれたのに対し、神様のお言葉を信じ、過越しのいけにえの血によって守られたイスラエル人の家を通り過ぎ、家々を救ってくださったという自分たちのルーツを次世代に語り継ぐことが求められました。

 人々は神様のメッセージを聞き、神様の言葉を受け入れ、神様を認め、畏れ敬う心をもって礼拝しました。彼らが救われるため、神様の裁きから逃れるため、エジプトの奴隷制から解放されるために、神様が道を開いてくださったことに、心から感謝しました。そして神様に従い、神様が命じられたとおりに行いました。

結論

 この出エジプトの時、イスラエルの人々は子羊を屠りました。1コリント5:7でパウロは「私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。」と語っています。これは、イエス様が私たちの代わりに捧げられた完全な子羊であり、私たちの罪の罰を代わりに受けたことを意味します。イスラエルの長子たちが鴨居と門柱の血で守られたように、私たちはイエス様が十字架で流した血で守られています。

 私たちは時々これを忘れてしまいます。私たちは霊的なことを忘れてしまいがちで、救いを必要とする罪赦された罪人であることを忘れてしまいます。神様が唯一の御子を救い主として送られたことを忘れます。神様のひとり子が私たちの罪のために十字架で自らの血を流されたことを忘れます。幸いなことに、私たちを正しい信仰に戻すために、神様は私たちに記念の祭りを与えてくださいました。それが主の晩餐、聖餐式です。

 イエス様は、弟子たちと最後の過越の食事を共にされた時、この福音を伝える食事を私たちに与えました。福音書は、それが種なしパンの祭りの最初の日であったと記しています。そして、弟子たちが準備をした様子が描かれています。しかし、イエス様は過越の食事を祝うだけでなく、新しい聖餐式を定められました。イエス様は弟子たちにパンを与え、「これはわたしのからだです」と言いました。次に杯を与え、「これはわたしの契約の血です」と言われました。これにより、イエス様はご自分が人々の罪を贖うためにいけにえにされた小羊であることを宣言されました。 

  私たちは、聖餐式を祝うたびに、いけにえにされたイエス様のことを思います。過越の祭りは古い契約のためでした。それは出エジプトを思い返すものでした。主の晩餐、聖餐式はイエス様がおっしゃった新しい契約のためです。それはイエス様の十字架のみわざを心の目で見つめるものです。私たちはパンをいただき、杯を飲むことでそれを祝います。なぜ私たちはそうするのでしょうか?「わたしを覚えて、これを行いなさい」とイエス様は言われました。主の晩餐・聖餐式は記憶しておくための祭です。それは、私たちがキリストのみ体と血によって救われた罪人であることを決して忘れないようにしてくれます。

 聖書は、イスラエルの民が過越の祭りと種なしパンの祭りを行うようにとの神様のご命令を初めて受けた時のことを伝えています。27節、28節で「民はひざまずいて礼拝した。イスラエルの子ら、人々は、主がモーセとアロンに命じたとおりに行った」とありますように、民は神様を礼拝し、神様に従いました。まず、手を膝につけてひざまずき、神様を賛美し、その後、神様が命じられたことを、最後の細かい部分まで正確に実行しました。

 その人々の反応が私たちにとって重要です。なぜなら、それは出エジプトの全体で描いているテーマだからです。神様がイスラエルをエジプトから導き出した目的は、ご自身の栄光のために民を救い、神様にすべての賛美を捧げ礼拝する民を造り上げることでした。そしてついにその民がそれを始めようとしていたのです。人々は以前、絶望のあまり救いの希望を捨てていましたが、今や神様が実際に人々を救い出そうとされる前に、すでに神様を礼拝し始めていたのです。人々がこの時受け取っていたのは救いの約束だけでしたが、神様はすでに完了形表現を使って彼らの救いについて語り始めていたのです。「あなたがたは種なしパンの祭りを守りなさい。それは、まさにこの日に、わたしがあなたがたの軍団をエジプトの地から導き出したからである。」と神様は言われました。神様は、ご自分の救いのお力に絶対的な確信を持っておられたため、「エジプトから導き出した」という確信を表す完了形、預言表現の完了形で、イスラエルは既に救われたも同然だという表現をしました。そして、神の民もこのことを信じたため、神様に栄光を帰し始めました。

 彼らのこの応答は、私たちが霊的に忘れてしまわないようにどうすべきかを示しています。私たちは自分の罪がいかに深刻なものなのか、イエス様のくださる恵みがいかに大きなものかを忘れてしまいます。神様が私たちに罪を犯すことをやめるように望んでおられることも忘れてしまいます。忘れないでください。「ああ、そうだ。思い出した。私たちは、イエス様の救いを必要とする罪人なんだ。イエス・キリストが栄光ある救いを与えてくださったんだ」と神様は私たちに思い出してもらいたいのです。これらをすべて思い出した時、イスラエルの民がしたように、ひざまずいて神様を礼拝することが正しい応答です。これはイエス様が教えてくださったことです。過ぎ越しの祭りの晩餐で、イエス様は聖餐式を定められました。私たちは礼拝を神様にささげますが、定期的に聖餐式の恵みにあずかる必要があります。種なしパンは私たちに永遠のいのちを与えることの出来るイエス様を表しています。子羊が流した血は私たちの罪を担い十字架の上で流されたイエス様の血を表しています。神様に似せて造られ、信仰によりイエス様と一体とされたた私たちは、聖餐式の中で、私たちの中に住んでいてくださるイエス様との交わりをさせていただきます。そのようにイエス様によって救われたことを忘れることなく、イエス様と一体とされる信仰の中で、神様と人とに仕えていくことが大切です。私たちは内に住まわれるイエス様によって霊的に成長し、神様の栄光を表すために救われたのです。

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