6/21 Ⅰヨハネ2:7-11「愛によって光にとどまる」

これまでの箇所で、私たちは光と愛について、そしてそれらを結び付け、私たちをとりなしてくださるお方イエス・キリストについて教えられました。罪の現実の中に生き、神様との間に大きな隔たりを抱く私たちのために、弁護人として立ち、宥めのささげものとして命を捨てられたお方がおられます。私たちの罪は、私たち自身でなく、救い主なるイエス・キリストによって贖われ、義とされ、神様と永遠にともに生きる道に確信を抱くことが出来ました。そして、イエス様の示された模範を見て、私たちも神様への愛を全うするクリスチャンとして歩みを進めるよう招かれました。

今回の箇所では、その歩みについてさらに具体的な愛を示されました。それが兄弟への愛です。信仰における愛と光について私たちはヨハネの手紙を通して何度も深めてまいりましたが、私たちの目はこの地に、兄弟という横のつながりへと向けられます。イエス様が示された愛、イエス様が私たちにくださった古くて新しい命令について共に見ていきたいと思います。

本論

ヨハネは光に歩むことの意味と大切さについて語った後、手紙を通して兄弟たちにこのように呼びかけました。

1John 2:7  愛する者たち。私があなたがたに書いているのは、新しい命令ではなく、あなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いているみことばです。

1John 2:8  私は、それを新しい命令として、もう一度あなたがたに書いているのです。それはイエスにおいて真理であり、あなたがたにおいても真理です。闇が消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。

前の節でヨハネはイエス様が歩まれたようにと語られましたが、そのイエス様の生涯はいのちを捨てるほどに自己を犠牲とした愛の歩みでした。ヨハネはこの愛の命令について、まずあなたがたが初めから持っていたものであることを語ります。これまで聞いたことのないような新しいことを命じるのではなく、実はすでにあなたがたが知っている古い命令です。初めからというのは、この手紙を読んでいる者たちがクリスチャンとしての生活の始めからということです。それは、すでに聞いているみことばのことを指しています。イエス様を通して語られたみことば、福音のメッセージをヨハネはこの手紙において書き記していると語るのです。イエス様が活動を通して人々に愛の戒めについて教えてから、ヨハネがこの手紙を書き記すまでの間に、人々の間に「互いに愛し合う」という命令は広まり、教えられてきたため、彼らにとってこの愛の戒めは古い命令であり、すでに聞いたみことばとなっていました。

そしてその御言葉をヨハネは改めて新しく彼らに語るのです。そしてそれが手紙を書いた理由でもあります。イエス様が語られた御言葉とこのヨハネの手紙は連続性を持っており、もう一度、改めて読者である私たちにその御言葉を教えるのです。この一見すると矛盾している2節の表現ですが、ヨハネが何か新しい命令を人々に加えているのではなく、彼らがすでに知っていて受け取っている古い命令を、思い起こさせて改めて命じているのです。

この古くて新しい命令について、ヨハネは真理であるとも語っています。イエス様が人々に与えたこの命令は、イエス様がご自身の姿をもって模範となって示されたためにイエス様にあって真理であると言うことが出来ます。しかしそれだけでなく、この命令は手紙を読む私たちにおいても同じなのです。この真理という言葉は、基本的に偽りに対する真実を意味し、また「本当の」「本物の」という意味も持ちます。しかしこの文脈で示される意味は、真に表現されるという意味です。そしてそれはイエス様だけでなく、私たちのうちにも確かに表れ、実を結ぶものだと教えられています。愛し合いなさいという命令自体は、古くは旧約聖書のレビ記から語られていました。しかしイエス様がこの世に来られ、新約の時代に入り、愛し合うという意味をご自身の姿を模範として教えられました。イエス様を通して私たちに与えられたこの愛という命令は、私たちのうちでそれが真理となる、つまり事実として表れる。愛という原則は昔からありましたが、古臭い教えとして廃れることなく、イエス様を通して、私たちのうちにあって新しくされ、今日においても現実性をもって与えられるのです。

ヨハネは親し気に「愛する者たち」と呼びかけ、彼らにおいても愛し合うという教えが表されることを信じ、この愛の命令を思い起こさせました。ヨハネが私たちにとっても新しい命令として存続していると信じる理由として「闇が消え去り、まことの光がすでに輝いているから」だと語ります。闇の中にまことの光であるイエス様が来られたことによって、闇は消え去りつつありました。この地上に置いて、神様からの光が輝き、福音宣教によって光はいよいよ広く、明るく、その輝きを増しています。光がこられたことによって消え去る闇というのは、罪が支配する領域、世界を指しています。その中に、闇が決して打ち勝つことの出来ない光であるイエス様が世に輝き続けます。この8節において「消え去る」という動詞は現在形という形になっています。イエス様が来られるまではまことの意味で愛が示されていなかった闇の時代は消え去りつつあり、イエス様を通して神様からの本当の愛が世に現れ、そして愛による光が今現在も広がり続けているのです。世にはまだ完全に沈んだ闇の場所はありますが、初代の弟子たちを始めとして、信じる者たちはそのような世の中で光を歩み、そして光を照らす者となるのです。太陽の光を受けた月が闇夜を照らすように、イエス様という世の光がまず到来して、それを受けた私たちもまた光として闇の中で輝き続ける広がりを見せることになります。そのために、イエス様において真理であるだけでなく、私たちにおいても真理として、愛という古くて新しい命令が実在性をもって表れるのです。光の時代において、私たちはこの命令に従って、愛に生きるという道を進むことを語られます。

愛についての教えと、イエス様と私たちのうちにある愛の現れについて、ヨハネはさらに踏み込んで9節でこのように語られます。

1John 2:9  光の中にいると言いながら自分の兄弟を憎んでいる人は、今でもまだ闇の中にいるのです。

愛の具体的な実現として兄弟への愛を示します。そしてヨハネの手紙が書かれた時代、この兄弟を愛せず憎む偽りの教師とその勢力が教会に存在していました。光と闇、愛と憎しみ、そして神様とこの世との対比を浮き彫りにして、彼らの矛盾を訴えかけます。自分は光の中を歩んでいる、自分は神様を知っていると主張することは出来たとしても、その歩みに愛という形が表れないことには本当の意味で光の中にいるとは言えず、まだ闇の中にいるのです。闇の中にいることの表れとして、ここでは同じ神様の家族である兄弟に対する憎しみに焦点が当てられています。憎しみという言葉は、単に愛が欠けた態度であるだけでなく、相手を忌み嫌うということであり、感情やその根底にある態度にまで向けられています。イエス様によってまことの光が照らされた時、私たちは光のもとに行くか、闇の中にとどまるか選択を迫られます。そしてイエス様の光は、互いに愛し合うという命令へと私たちを導くのです。かつて弟子たちの足を洗い、自らその身を低くして愛の模範を示されたイエス様に倣うとき、私たちは闇から脱出しているのです。

1John 2:10  自分の兄弟を愛している人は光の中にとどまり、その人のうちにはつまずきがありません。

1John 2:11  しかし、自分の兄弟を憎んでいる人は闇の中にいて、闇の中を歩み、自分がどこへ行くのかが分かりません。闇が目を見えなくしたからです。

光の中に歩むことの結果としてつまずきがないことが上げられています。原文のギリシャ語から直訳に近い形で10節を見ると、光の中に、つまずきの原因となるものは何もないとなります。そしてつまずきの原因となるものというのは、他の新約聖書の箇所でも登場する言葉ですが、ここでは人を罪に陥らせるものという意味を持ちます。今回の箇所では直接語られていませんが、これまでの文脈から考えると、その罪を陥らせるものというのは、教会を惑わしていた偽の教師の罪、つまり、イエス様がキリストであり、私たちの罪のために宥めのささげものとなって命を捨てられたことを否定すること、さらには光にあると言いながら神様から離れ、闇の世へと逆戻りするということになります。兄弟を憎むということは、闇を選び、神様の前から、そして神の家族との交わりから離れ、つまずいてしまうのです。ヨハネは当時の偽の教師たちに、また兄弟への憎しみを抱く者たちに改めてイエス様の愛の命令を与え、そして彼らをうちにある光を呼び求めているのです。

イエス様は、律法と預言者の言葉は全て、神様と隣人を愛するという教えに要約されていると語りました。その愛はイエス様を通して私たちにはっきりと教えられ、十字架の上で誰よりもへりくだって私たちへの愛を示されました。愛するという教えはイエス様において真理となりました。しかしそれだけでなく、聖書ではあなたがたにおいても愛の命令は真理であると語ります。イエス様が来られたことによって到来した新約の時代、新しい契約の中にいる私たちのうちにイエス様の愛が根ざし、互いに愛し合いなさいという命令を行なうことができるよう導くのです。律法を完全に成就させたイエス様が、私たちもそのように生きるための霊の力を与えてくださいました。私たちはイエス様を通して神様の愛を受け、赦され、光に招かれています。そして前回は私たちから神様への愛を実行し、全うすることを教えられました。その私たちが今度は互いの兄弟姉妹へと愛を向けていくのです。

教会生活を送る上で、私たちの間にある愛は欠かすことが出来ません。神様との愛の交わりは、兄弟姉妹に広がり、そしてその愛の交わりはこの世で光となって人々を招くのです。その愛の方向が自分にのみ向けられる時、私たちはイエス様の愛と神さまの示された光からどんどんと離れ、闇へと向かいます。教会の交わりは、愛に満たされた時、神様にあるまことの光へと輝くことになります。今イエス様の愛を再び受け取り、イエス様の命じられた互いに愛し合うという古くて新しい命令を改めて受け取りたいと思います。そして、教会の交わりが愛に満たされ、満ち溢れた愛による光が世に広がることを願います。この教会を通して世の中にキリストによる愛の交わりを広げていきましょう。

About the author: 東御キリスト教会

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