10/18 Ⅲヨハネ1:1-8「真理のうちに共に歩む」

ヨハネの手紙の中で、私たちは真理について教えられました。変わりゆく世の中で、私たちの中で揺るがない確かな真理であるイエス様が、私たちを支え導くお方です。この真理に従って歩むときに、私たちは永遠のいのちへと至ることができます。真理はこの世において、私たちを神様の御許へと導き、罪から解放して永遠へと招いてくれるのです。そしてそれはまさにイエス様ご自身のことであり、このお方に結びつき、共に生きていくことによって私たちはまことのいのちを受け取ることができるのです。

今日共にお読みした聖書箇所は、これまで読んできた第一の手紙と第二の手紙とは異なり、ある人物に向けて書き記されたものです。これまでの手紙では、読者である私たちに対して、真理のうちに歩むように勧め、教えていました。そして今回は、ヨハネからも愛されたガイオという人物を通して、実際に真理のうちに歩んだ読者たちに対して御言葉が語られます。そこには私たちへの励ましと勧め、そして新たな教えが書き記されています。聖書箇所を順に追いながら、私たちに語られる御言葉を共に見ていきましょう。

本論

まずこの手紙は、第一の手紙や第二の手紙と異なり、ガイオという特定の人物に向けて書かれました。このガイオという人物は、聖書の中でも何人か登場し、当時良く見られた名前でもあったため、どのガイオに対して書かれているのかはっきり判明していませんが、この手紙の著者であるヨハネが彼を愛していることがこの手紙からよく伝わってきます。1節では、彼を本当に愛していますとヨハネが語っています。この箇所の原文であるギリシャ語を見てみますと、「本当に愛しています」と訳されている言葉は、「真理のうちに愛しています」とも読むことができます。つまり、ガイオが真理のうちにいること、初めに聞いたイエス・キリストについての真理に忠実であり、つながり続けているために彼を本当に愛していると語ります。彼が真理に歩んでいることについての喜びは3節でも見られます。真理であるイエス様を信じ、神様から与えられたいのちを体験した同じ兄弟として、ヨハネは通常の感情を越えてガイオを愛していると語るのです。

手紙の冒頭は、送り主に対しての挨拶や祈りが良く書き記されています。ヨハネがガイオに対して気にかけていたのは、彼の霊的な面と肉体的な面での健康でした。教会を支え導く一人の長老として、彼の幸いを求めるために祈ります。幸いを得るという言葉は、原文のギリシャ語では「良い旅をする」という意味であり、他には「成功する、繁栄する」ことも意味します。ガイオのたましいの状態は、3,4節で見られるように健全でした。そして肉体的な健康についてもヨハネはないがしろにすることなく気にかけており、私たちもまた、自分自身のためや愛する兄弟姉妹のために、体が幸いであることを願い、祈ることです。ヨハネは、ガイオがたましいにおいて健全であるように、彼のすべてにおいて健全であり守られるように祈りつつ、話を本筋へと進めます。

3John 3  兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいることを証ししてくれるので、私は大いに喜んでいます。実際、あなたは真理のうちに歩んでいます。

3John 4  私にとって、自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません。

ヨハネが書いた三通の手紙すべてにおいて、兄弟姉妹が交わりを保ち、真理のうちに歩む時に喜びがあふれ、完全になると語られています。真理のうちに歩むと言うことは、初めに語られた福音、つまりイエス様や使徒たちを通して語られた御言葉に忠実であること、そしてそこにとどまり続けることを意味します。ヨハネは兄弟たちが何度も報告してくれた情報を通して、ガイオの信仰の状態を知り、そして喜びます。自分の子どもたちというのは、信仰における子どもということです。第二の手紙でも見られたように、教会に属する信徒のことは子どもとされ、同時にヨハネの伝道による回心者でもありました。これまでの手紙の中で何度も警告されていた偽りの者たちとは異なり、彼らの教えに惑わされることなく、ヨハネやイエス様を通して語られた御言葉に堅く立ち、真理に歩み続けていることが証しされたのです。真理のうちに歩むということは、ただ同意するだけでなく、その信仰生活の中で実際に応答し、着き従っているということです。歩みは進歩を意味することから、ヨハネにとって彼が迷うことなく真理のうちに成長し続けている様子を聞けることは、他に代えがたい喜びとなりました。福音を聞いて救われた信徒が、続けてその道を歩み続け、その信仰生活のうちに実践されたことに、確かな喜びがあるのです。

ヨハネはさらに、ガイオが実際に行ったことへの賛辞を述べます。

3John 5  愛する者よ。あなたは、兄弟たちのための、それもよそから来た人たちのための働きを忠実に行っています。

3John 6  彼らは教会の集まりで、あなたの愛について証ししました。あなたが彼らを、神にふさわしい仕方で送り出してくれるなら、それは立派な行いです。

彼が真理に歩んでいることは、具体的に兄弟への、よそから来た人たちへの献身、そして愛の実践によって現れていました。ガイオの働きへの励ましと継続の招きのために、彼からもてなされた者たちからの良い報告を伝えています。そしてそれは、ガイオの兄弟愛として報告されました。当時の文化では、旅人をもてなすことはキリスト者の習慣であり、特徴でもありました。当時の旅は現代よりもはるかに時間がかかり、行く先々で宿泊をしなければなりませんでした。また、当時の宿泊場所は現代とは異なり評判が良くなく、貧しい人々も多かったことから、行く先々でその地に住む人の家に訪問し、そのご厚意に与って寝泊りをしていました。前回の箇所でももてなしについて触れましたように、旅人を迎え入れてもてなすことは、ただ寝食を一晩ともにするだけでなく、旅人の立場を保証し、旅人に同意して受け入れるという、私たちの感覚以上に深い意味を持っていました。ガイオはその愛の行いを、よそから来た者に対してであっても忠実に行い、それによって真理に対する忠実さをヨハネは証ししたのです。そしてそれを続けて行うようにと勧めます。「彼らを送り出す」という言葉が6節にありますが、これは「旅行に必要なものを備える」ことを意味したり、他の聖書箇所では「旅の最初に、一定の距離を共に行くこと」としても用いられ、主に宣教を支援する意味です。ヨハネがいる教会の集まりの中で分かち合われた愛の証しは、この宣教の働きのために仕えている人々をもてなし、支え、送り出すという奉仕についてでした。

ここで語られている伝道に従事している者たちは、神様の御名によって異邦人からは受け取らずに出て行きました。ここに、彼らを歓迎して送り出す理由がいくつかあります。まず一つ目は「御名によって」出て行ったことです。この御名によってという言葉は、使徒の働きの文脈では、人々がキリストを証しするために迫害を受けた場面で用いられています。偽教師でなく、福音を伝えるために主に仕え、その御名のために献身する彼らを迎え入れることをヨハネは進めます。二つ目は、回心していない異邦人からは何も受けていないことです。教会から遣わされた伝道者たちは、異邦人に対して福音を宣べ伝えることを目的としていますが、各地を巡る中で異邦人からの援助を頼らずに旅を続けていました。そのため、キリストのもとにある兄弟姉妹からの支えが大きな力となりました。そして最後にヨハネが強調して語る三つ目の理由は8節に記されています。

3John 8  私たちはこのような人々を受け入れるべきです。そうすれば、私たちは真理のために働く同労者となれます。

ヨハネは第二の手紙で、教えを携えていない者は家に受け入れてはいけませんと教えていました。キリストの教えにとどまらずに信徒たちを惑わしていた当時の偽りの教師たちをもてなして迎え入れるということは、彼らの教えに同意し、支援し、その立場を保証することを意味するからです。しかし御名のために忠実に福音を伝える伝道者たちを受け入れ、迎え入れることは、彼らのうちにある真理を共に分かち合い、受け入れ、そして私たちも同じ御名のための働きを担うことができるのです。そのために、ヨハネはガイオに対して彼らを受け入れるように呼び掛けるのです。伝道のための働きは、出かける者だけでなく、支え、助ける者たちによっても進められます。この8節では、「私たち」と「べき」という言葉が強調されて示されています。漠然とした勧めが語られているのではなく、他でもない教会に属する兄弟姉妹である私たちこそ、福音を広めるために遣わされている人々を受け入れる必要があるのです。それは、彼らのためだけでなく、私たち自身も真理のために共に労することができる協力者として働くことができるからです。同労者として、共に真理のうちに歩むことができるのです。

現代も、多くの人々が御名のために出て行って、遣わされたところで御名のために労し、働きに出ている人たちはたくさんいます。世界中を飛び回って賛美を人々に届け、神様の愛と福音を伝える方々がおられます。日本の地で新たに教会を開拓し、遣わされた地にて伝道に従事し、御名のために働かれる開拓伝道師の方々がいます。自分たちの慣れ親しんだ土地から離れ、異文化の土地に身を置いて福音の為に献身している方がいます。そのような形で主に仕え献身している方々と私たちは同労者となることができるのです。彼らを受け入れ、支え、送り出すことによって、私たちも真理のための働くことができるのです。

結

ヨハネがガイオを喜んだのは、ヨハネたちを通してイエス様を信じた彼が今もイエス・キリストに留まり、真理のうちに歩み続けていることを知ったからでした。イエス様のいのちに与った兄弟姉妹が、この世においてイエス様に結びつき、その歩みをもっていることは大きな喜びとなります。ヨハネは偽教師たちの存在を警告し、彼らによって真理から離れてしまうことを恐れていました。しかし、荒波の時代の中でも私たちがまことのぶどうの木であられるイエス様と共にいて、光の中を歩み、神様とイエス様を持っていられることは、私たち自身だけでなく、私たちの兄弟姉妹にとっても大きな喜びとなります。反対に、私たちもまた兄弟姉妹がイエス様の真理に歩み続けているという事実を、共に喜ぶことができるのです。

また、私たちが歩んでいる真理のために働き、遣わされ、献身しておられる方々がおられます。私たちは、各地を飛び回ったり、伝道のために開拓したり、直接的な献身という立場にいなくとも、彼らを覚え、受け入れ、祈り、支え、そして神にふさわしい仕方で送り出すことによって、彼らとともに真理の働きに仕えることができます。そして、真理であられ、私たちの頭として立っておられる神様が、私たち同労者がそれぞれの賜物に応じて仕えることと、私たちを通してこの世に真理が宣べ伝えられることを喜ばれます。私たち自身が真理に歩み続けること、そして、真理のために仕える働き手を支えることによって、共に神の御名を広めていきましょう。

About the author: 東御キリスト教会

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