恵泉女学園大学客員教授である谷口先生は、日本のキリスト教の歴史を専門とし、人物研究を中心に幅広くキリスト教について教鞭をとっていらっしゃいます。
宣教メッセージは「交わりの宗教」(Ⅰヨハネ1:1~10)
大学受験浪人生時代のリアルなエピソードやある牧師との出会い、キリスト教会での聖霊体験、赦しと祈り、受洗などを通して、神のみわざ、今に至る神の導きの証しをうかがいました。
Ⅰヨハネ1:1「初めからあったもの、…(略)…すなわちいのちこのことばについて」の「ことば」とは「ロゴス(表顕)」であり、外にあらわすのは言語だけでなく、神をも意味している。神と人が交わるためには、神はちがう存在を地上に送り出す必要があり、神はイエスキリストを地上に送ってくださった。それまで神と人とは縦の関係だったが、キリストが神と人を横の交わりへと変えてくださった。
私たちは歳を重ねるにつれて失うものが多いと感じますが、谷口先生のご両親が救いに導かれるエピソードの中から、「老いは神の贈り物」という言葉が印象に残りました。老いは鎖を外していく過程であり、それを謙虚に受け入れることでもっとも良い仕事「祈り」を与えられていると。
新札5千円の顔となった津田梅子の生涯について講演していただきました。梅子は、父仙と母初子の二女として1864年江戸に生まれ、1871年岩倉使節団に交じって6歳でアメリカに留学した人物です。アメリカ滞在中8歳で受洗、私立女学校を卒業し、11年間の留学生活を終えて帰国した梅子ですが、アメリカと日本の文化、風土の違いになじめず、「学校を作りたい」という希望を実現するために24歳で再度留学を果たします。そして帰国後に念願だった「女子英学塾」(津田塾大学の前身)を創設したのでした。
講演では、DVDで梅子の生涯をたどった後、パワーポイントでさらに詳しく梅子の人物像に迫りました。当時の日米の時代背景や志を貫くための困難や苦悩などたくさんのエピソードの中でより等身大の津田梅子をとらえることができました。今から130年ほど前、明治初期の時代です。女性の地位が低く理解者の少ない中、社会に貢献する女性を送り出す学校を作るために、世界にネットワークを広げ、資金調達に奔走した当時の苦労は想像に難くありません。良妻賢母の育成が主流だった当時の女性教育の中で、家庭内だけでなく社会での地位向上に尽力した生涯でした。梅子の「自分の強みを見つけなさい」という精神は、現代の私たちへのエールでもあります。
原田靖彦師は、福音宣教活動の一翼を担うために現在も日本語教師として仕えながら、これまで各教会で宣教の働きを協力奉仕として携わっています。
宣教メッセージは「神の中に生き、動き、存在する」-生き抜く力-(使徒17:22~28)
私たちは日々の生活の中で、不安や怖れを抱えて生きています。攻撃や批判を受けることもあります。安心できる居場所、つながりだと思っていても卒業や別れによってそのつながりが断たれることもあります。そして、ダメな人間だと自信を失ったり、加齢などによって有能感が失われることもあります。しかし、神はご自分の魂を土に練りこみ、最高の作品として価値あるものとして私たちを創り上げられました。そして十字架といのちの復活によって、私たちは神の中に生き(所属)、神の中に動き(有能)、神の中に存在(価値)している者とされました。それは決して失われることも奪われることもありません。
日々落ち込んだり一歩が踏み出せないことが多い者ですが、神は私たちの「欠け」をも用いてくださっていること、主の栄光をあらわすのに無駄なものはないと気づかされました。
大田尾師は、これまで酒々井キリスト教会、福島県の郡山聖書バプテスト教会など牧会を経て、現在は狭山市のぞみ教会の協力牧師として宣教を続けていらっしゃいます。
宣教メッセージは「教会の前進」(使徒9:31)
現在の日本におけるプロテスタント教会は約8000ほどです。聖職者の高齢化、宗教離れなどにより教会の数が減少している現在、「教会とは何か」「教会の前進の4つの要因」について語っていただきました。
「教会とは何か」… 初代教会では、教会は神の宮、霊の家であり建物ではなかった。現在は、全世界の信仰を持った人々の集まりである「目に見えない教会」と、地域教会、制度としての教会などの「目に見える教会」がある。本質的には教会は1つであり、独語Kirche(英Church)は‘神の物’‛主の物’を意味し、教会は「神のもの」であると同時に創造主イエスキリストに向かって祈る「祈りの家」である。そして「祈り」とは、自分の思いを祈るのではなく、神の声を聴いてそれに応えることである。
「教会の前進の4つの要因」… 1.築き上げる、成熟を目指す(エペソ4:13)2.神との平和、平安を持つ(ローマ5:1、14:19)3.主を恐れる(箴言1:7、8:13、伝道者12:13)4.聖霊の励ましを受ける。
私たちは横軸でこの世に暮らしていますが、縦軸では主の十字架の平安と平和の中にいます。生まれる前から救いに選ばれ(エペソ1:4)、この時代この場所に生まれました。ラインホルド・二ーバーの「変えられないものを受け入れ、変えるべきものを変える勇気を」の言葉が印象的でした。
2014年に初回のミュージックフェスタを開催してから、今年で9回目を迎えることができました。
今年は、成東ヴォーカルアンサンブルの出演に加えて、東金市を拠点に活動しているくりコーダーアンサンブル(リコーダー)、ウクレレとギターの演奏、テナーサックスとピアノのデュオ、そして当教会の信徒による手話賛美(「輝く日をあおぐとき」)など、みなさんの日頃の練習の成果をたっぷりと楽しませていただきました。
また、原田牧師によるショートメッセージでは、「主」という漢字に着目。「王」の上にある「、」は灯を意味し、「主」は常に私たちの中心にいてくださり、隅々まで照らしてくださる存在であることをわかりやすく伝えていただきました。
センド国際宣教団の宣教師として、長い間伝道の働きをしてこられたリーズナーご夫妻をお迎えしました。午後には、ご夫妻のこれまでの働きと八街福音キリスト教会へのご奉仕への感謝を思いをもって感謝会のときを持ちました。
宣教メッセージは「神を待ち望む」(詩編25:1~10)
私たちはたくさん祈りますが、自分のことを祈ることが多いもの。神が望むようにと神に委ね、’神に出会った’と知ることができるまで祈りを持って待ち望むこと、すべては神からいただくこと、神の知恵とみこころを優先するということが大切であり、それが「神を待ち望む」ことであると語っていただきました。
昼食会に続く感謝会では、ご夫妻と有志の教会員による「破れ口に立つ」の賛美に耳を傾け、レトロなかき氷機でのかき氷をいただき、真夏の午後に祝されたひとときを持ちました。
北海道北広島市の北広島チャペルで約25年間牧会を続けていらっしゃる木村恵一師をお迎えしました。
宣教メッセージは「我苦しむ者 貧しき者なれば」。
私たちは誰しもが心穏やかに生きていきたいと願っています。しかし日常は違います。木村師は「苦しみのあるところには恵みが満ち溢れている。そしてそれが賛美へと変わっていく」、そして「私たちはこの世のものではないのです。苦しみや悲しみは決して不幸でもマイナスでもありません」「悩む者であっていい、主に求め、祈った時が恵みであり、その時すでに成就されているのです」と力強いメッセージをいただきました。
礼拝に続く昼食後の懇談会では、木村師の異色の経歴(若い頃の右翼活動のエピソード)に興味津々。献身に至るまでの主の導きとみわざの不思議を味わったひとときでした。
聖霊の特別な御業が始まって復活の主を頭とする教会がエルサレムに誕生した日を記念するペンテコステ(五旬節)記念礼拝。
センド国際宣教団の宣教師として来日され、日本の諸教会の要請に応え、福音の奉仕を長年続けてくださっているリーズナー先生をお迎えしました。宣教メッセージは「わたしたちは どうしたら良いでしょうか?」(使徒の働き2:22-24,32-39)
救い主であるイエスキリストを、人々は十字架につけて殺してしまいました。わたしたちはどうしたらいいのでしょうか。その問いの答えは、悔い改めること、信じること、洗礼を受けること。神から離れた生き方、自分のための生き方を止め、神のもとに立ち返ることです。神はその賜物として聖霊を授け私たちを変えてくださいます。静かにしかし力強く。私たちがどうしたらいいか迷ったとき、イエスが寄り添い続けてくださり、私たちを成長させてくださいます。感謝。
グリーフサポーターのリーズナー智恵子さんを講師にお迎えして、4回目となるグリーフケアの集いを開きました。
「グリーフ」とは、深い悲しみ、悲嘆や苦悩を示す言葉です。過去のこの集いでは、コラージュの作成を通して、無意識に抱えている自らの心の状態に気づいたり、アロマを使ってのハンドオイルトリートメントを2人一組で体験し日頃の疲れを癒したりしました。
そして今回は、「もしバナゲーム」を通して、人生の最期にどう在りたいか、という話題にグループに分かれて取り組みました。ふだん避けがちな話題ですが、このゲームを通して、友人や家族に私たちの願いを伝え理解してもらうことは大切であり、その良いきっかけ作りとなることを体験できました。
講座の終盤には参加者のみなさんに穏やかな笑顔が戻り、前を向いて歩み出せる力をいただきました。