「夫婦への日々の御言葉」著者:韓国教会情報センター金ハンアン牧師/日本語訳:姜泰進(日本ナザレン教団赤坂教会牧師)

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7月31日(月)

家庭教育の大切さ

父母がその子どもをどれほど愛しているかを知る目安は、子どもの教育目標をどこに置くかによって計ることができます。しっかりとした教育目標のない家庭は、不実な実を結ばざるを得ません。

訓練とは、出来ないことを出来るようにさせることであり、弱いところを強くさせる事です。訓練を受けずに成長した子どもたちは、やがて訓練に耐えられない大人となり、社会に出ても人間関係や社会生活に於いて様々な支障をきたす結果となります。

子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。

 −箴言22:6−


7月30日(主日)

幸せな結婚生活の秘訣

口では「夫を愛している」と言っても、実際に夫を喜ばす事が出来ないなら、その言葉に真実はありません。また、自分では夫に気を配っているつもりでも、妻の行動が無意識に夫を傷つけているとしたら、その配慮は意味がありません。

夫を楽しませる事は難しいことではありません。友達と噂話にあけくれたり、長電話をしたり、凝った化粧に時間を割く程度の時間さえあれば十分です。

幸せな結婚生活を築くには、妻が如何に夫を楽しませるコツを学び、実践するかにかかっているのです。

そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、
キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。 

−ピリピ1:6−


7月29日(土)

美しい言葉を語っていますか?

夫の感謝の一言が妻に生き甲斐をもたらす事となり、妻の愛しい一言が、夫に勇気を与える肥料となり、親の褒め言葉が、子どもたちにとって未来を翔る翼となります。

今あなたの一言は何を語るでしょうか。蜂蜜のような言葉が溢れ出ていますか?それとも毒の水を溢れさせていますか?

家庭の中で、妻や夫が怒った時などに頻繁に使っている言葉にどのようなものがあるかを一度記録してみませんか?癖になっている言葉が意外に多い事に気がつくかも知れません。

ここちよい言葉は蜂蜜のように、魂に甘く、からだを健やかにする。 

−箴言16:24−


7月28日(金)

あなたは素敵!

一日一度くらいは、あなたの夫や妻に励ましや褒め言葉をかけましょう。
あなたのその一言は、他の人から百の褒め言葉を聞かされるよりはるかに嬉しいものです。

それに自分の夫や妻を「おしゃれだ」と思わなければ、一体誰が自分の大切な人を素敵に見るでしょうか。

普通のコーヒーよりも、高価なコーヒーをおごってもらう為に誉める人々の言葉は、懐事情を困らせるだけです。

おりにかなって語る言葉は、銀の彫り物に金のりんごをはめたようだ。

−箴言25:11−


7月27日(木)

妻にも小遣いをあげましょう

小遣いをもらう事は誰でもうれしいものです。それは、妻にとっても例外ではありません。あなたの妻の支出が、生活費だけになってはいませんか?妻が、はばかる事なく自由に使える小遣いをあげましょう。あなたの愛する妻に、その小さな喜びを味あわせてあげましょう。きっと妻の喜びは、夫の喜びとなるでしょう。

その小遣いを妻がどう用いたかを夫は知る必要はありません。決して無駄遣いする妻ではありません。

さっそく今日から実践してみましょう!

人が新妻をめとったときは、その者をいくさに出してはならない。
これに何の義務をも負わせてはならない。彼は一年の間、自分の
家のために自由の身になって、めとった妻を喜ばせなければならない。

 −申命記24:5−


7月26日(水)

素敵な妻

妻は、常に美しくあるべきです。家の中だからと言って、化粧もせず、服装もおかまいなしであってはなりません。妻自身が美しく飾る事によって、その家が輝くからです。

また妻が美しくなればなるほど、夫も自分の足りない部分に気付き身だしなみを整えるように努めるでしょう。なぜなら素敵な妻には、素敵な夫がふさわしいのですから。夫を素敵にするか否かは、妻にかかっています。

あなたがたは、髪を編み、金の飾りをつけ、服装をととのえるような外面の飾りではなく、
かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、
身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。 

−第1ペテロ3:3〜4−


7月25日(火)

火の柱、雲の柱となって…

あなたの夫、或いは妻が未信者の場合、先に信じて救われた者が果たすべき役割は大きいです。何故なら、彼らは信じる者を通して神様をみようとするからです。

言葉は要りません、行動が重要です。イスラエルの民を荒野で導いた火の柱や雲の柱は一言も語ったことがありません。真理は必ず自由の実を結ばせます。

なぜなら、不信者の夫は妻によってきよめられており、また、不信者の
妻も夫によってきよめられているからである。もしそうでなければ、
あなたがたの子は汚れていることになるが、実際はきよいではないか。 

−第一コリント7:14−


7月24日(月)

楽しい家族旅行

歳を取ると旅行をしたくてもなかなかできなくなります。子どもたちが成長するに連れ、一層出かける機会いが減ってしまいます。たまには、日常の生活を離れて、素敵な思いで作りの旅に出かけては如何でしょうか。

泊まり旅が難しければ、日帰り旅行でもいいでしょう。家族みんなで楽しめる場所を計画しましょうて。田舎道をドライブしながら風景を楽しむ家族の対話が、家でごろ寝したり、或いは必死で働くよりも大切であることが分かるでしょう。

地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。

−詩篇24:1−


7月16日(主日)

蹴飛ばされるべき夫

人の人生は出会いの連続です。出会いのない人生は死を意味します。当然、男性も女性も結婚前の出会いがあるでしょう。もしも、夫が妻の過去の出会いを執拗に詮索したり追究するとしたら最低の男です。そのような夫は蹴飛ばされるべきです。

過去に捕われて生きる人は、未来に対する希望がなく、常に暗い雨雲の中に自分を閉じ込めて生きることになります。

また猜疑心を抱いて妻を監視するのは愚か者のすることです。もしも、誰かが妻に関心を持つなら、むしろ喜びなさい。誰も目もくれない女性と暮らすほど気の毒な男性はいないのですから。

どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、
聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。

−ローマ15:13−


7月15日(土)

十代の子どもを持つ父母へ

1.過去に固執することなく、現在に生きるよう世代の格差を縮めましょう。
2.共に目標を立てて実現のために祈りの衣を着せてあげましょう。
3.神様の御計画の素晴らしい青写真を見るように信仰を養いましょう。
4.子どもの前で卑屈な姿を見せないようにしましょう。
5.権威ある父母になる為に、言葉に責任を持ちましょう。
6.愛に満ちあふれた言動で子どもと接しましょう。
7.賞賛と訓戒はきちんと区分し、目的を見失わないようにしましょう。
8.言葉ではなく、行動で模範を見せましょう。
9.性の問題に対しては、聖書に基づいた原則を示しつつ、対話の扉を開いていきましょう。
10.過度な目標を立てたり、急がせたりしないようにしましょう

わが子よ、もしあなたがわたしの言葉を受け、わたしの戒めを、あなたの心におさめ

−箴言2:1−


7月14日(金)

泣く者と共に泣く

泣く人と共に泣き、痛む人と共に痛むことは、とても尊い事です。しかし私たちの思いが同情で終わってはなりません。悲しむ者に慰めを与える者となる必要があります。慰めとは、「力を与え」、「勇気を与える」ことです。

夫婦は喜びを分かち合う事よりも、互いの苦しみを分かち合おうとする心によって一つになる事ができます。そして、夫婦が互いに似た者となるのです。

互いに似た者となる時、相手を罪に定めるのではなく、その過ちを自分の過ちのように思い、神様の前に慈しみを求め祈る事ができます。そのような関係において、「泣く者と共に泣く」真の慰めを与える事が出来るのです。

喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。

    −ローマ12:15−


7月13日(木)

妻は家族の憩いの場所

母の暖かい胸は夫や子どもたちが安らかに休憩を得る場所です。
また、平和な家庭、よく整えられた清潔な室内、明るくて心休まる会話と音楽が流れる所、そのような家庭こそ正に最高の憩いの場所ではないでしょうか?
妻の憩いの時間は、ひとりで過ごす時ではありません。夫と子どもたちが休憩を取るために、妻もその空間にとどまるときです。
わずらわしいと思わないでください。その瞬間が妻にとって喜びのある天国となるのですから。

争い怒る女と共におるよりは、荒野に住むほうがましだ。

箴言21:19


7月12日(水)

こんな父と母が嫌です

1、祈らない父母―父母の中にイエス様が見えません。
2、危脅的な父母―父母の権威が自分の中から消え去ります。
3、お金で解決する父母―父母が常に負けるように思います。
4、怒るばかりの父母―自分の感情を制御できない弱さを感じます。
5、説明を疎んじる父母―親切に教えてくれる他人の方がましです。
6、皮肉る父母―父母の性格的歪みを感じます。
7、怠惰な父母―無能力者のように見えます。
8、聖書御を読まない父母―気の毒な人のように見えます。

正しい人の父は大いによろこび、知惠ある子を生む者は子のために楽しむ。


7月8日(土)

要塞か武器か

対話は、イエス・キリストに在る家庭になくてならない要素です。より良い対話は夫婦や親子の関係を守る要塞となります。

しかし、イエス様を家庭の王座に据えず、各自が思いのままに語るならば、却って言葉が恐ろしい武器となります。

聖書のエペソ書4:25〜32節を夫婦で交読し、お互いに感じた事を話合ってみましょう。はたして、我が家の対話が堅固な要塞として用いられているのか、それとも、武器となっているのかを。

悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。
必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、
聞いている者の益になるようにしなさい。−エペソ4:29−


7月7日(金)

家庭に遣わされた宣教師

宣教師が宣教地に赴いた時に、現地の風習や文化を無視し、それまで自分が行ってきた慣習に固執するなら、はたして宣教の務めを全うする事が出来るでしょうか。
宣教師であれば、そこに住む人々の言語や、習慣などを学び、彼らの生活にとけ込むよう努力する必要があります。

妻とは、まさに夫の家庭に遣わされた宣教師です。宣教師は言葉だけではなく、行いをもって与えられた使命を果たさなければなりません。そして、何事においても寛容を示し、率先的に働きます。自己犠牲こそ宣教師にとって何よりも大切な精神です。

さて、あなたは家庭に遣わされた宣教師としての役割を果たしているでしょうか?現在の自分のあり方が、夫や夫の親族にどのように反映されているかを鑑みては如何でしょうか。

そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたの
よいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

−マタイ5:16−


7月6日(木)

名前を呼ぶ日

名前は、その人の存在を表す固有名詞です。相手の名前を呼ぶ時、或いは呼ばれる時には何らかの意味があります。

あなたたち夫婦は、お互いをどのように呼んでいますか?天国に行って、夫を「あなた」と呼ぶなら、どれほど多くの人が振り向く事でしょうか。

一人に一つだけの名前、美しいその名前をあなたが呼ばなければ、他の誰が呼んであげる事が出来るでしょう。一日に一度も自分の名前が呼ばれないのは淋しいことです。

時には互いを名前で呼び合ってみては如何でしょう。特別に、「名前を呼ぶ日」を定めるのも良いですね。
家に電話して、愛する妻の名前を呼んでみましょう、「○○さん、私○○です」と。

門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く、そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。

ーヨハネ10:3−


7月5日(水)

夫が妻に、妻が夫に

時には、夫と妻が入れ替わってみては如何でしょうか。もちろん、衣服まで取り替える必要はありません。

妻に扮した夫は、朝早く起きて朝食を準備したり、洗濯や掃除、ゴミ捨て、買い物などなど、普段妻がこなしている主婦業を行ってみましょう。

逆に妻は、夫よりも遅く起きて、新聞を持って来るよう指示したり、出された食事を食べたりと、普段夫が行っているように行動してみるのです。

夕食後に、それぞれが感じた事を話合ってみましょう。

正しく歩む貧しい者は、曲った道を歩む富める者にまさる。

−箴言28:6−


7月4日(火)

私はこんな夫が嫌い

衣食住に関する事は、ある程度我慢ができます。しかし、夫に問題がある事は、妻にとって、この上ない苦しみです。では、妻に嫌われる夫とは、どのような夫でしょうか。

1.人を無視して自分の事しか考えない利己的な夫

2.言葉や腕力によって暴力を振るう夫

3.悪癖(酒、タバコ、博打)を正当化する夫

4.他人(特に妻の実家)に依存して生きようとする夫

5.時間を虚しく浪費しながらも全く緊張感のない夫

6.不満不平の言葉が口から絶えない夫

7.見栄っ張りで浪費家の夫

8.他人には太っ腹だが、家族に対してはケチな夫

9.気まぐれで、その日の気分で機嫌が変わる夫

10.人生の目標もなく、毎日つまらなさそうに生きる夫

 

自分の家族を苦しめる者は風を所有とする、愚かな者は心のさとき者のしもべとなる。

−箴言11:29−


7月3日(月)

性生活の意義

性生活は、夫婦の愛を再確認する手段の一つとして神様から与えられたものです。そこは二人がひとつになる密やかな出会いの場です。そして、惜しむ事なくすべてを与え、共有する愛の実践の場です。

何ものをも、二人の神秘的な愛の瞬間を妨げてはなりません。妨げとなるものは、あらかじめ除いておく配慮も必要です。それがたとえ電話のベルであっても・・・。

愛は大水も消すことができない、洪水もおぼれさせることができない。
もし人がその家の財産をことごとく
与えて、愛に換えようとするならば、
いたくいやしめられるでしょう。   −雅歌8:7−


7月2日(主日)

家庭経済の危険信号

私たちの日々の生活にとって、お金はなくてならないものです。健全な家庭経済に危険信号が点滅するのに気がついたなら、支出に気をつけなくてはなりません。

面目を立てる為に、むやみに新しい物を手に入れようとする欲を押さえる事が出来なければ、子どもたちが苦しむ事になります。

人がする事を自分もしようとする対抗意識は持つべきではありません。また、目を惑わすバーゲンセールに安易に飛びついたり、無分別なカードの使用は避けるべきです。

あなたの家の経済信号は、今何色ですか?今一度家計を点検してみましょう。

富める者の宝は、その堅き城であり、貧しい者の乏しきは、その滅びである。

−箴言10:15−


7月1日(土)

100%の投資

結婚の目的は真の幸せです。

もしも、誰かが「私が結婚で得るものは何だろう。」と結婚生活の利益を計算するなら、その人は利己的な人となります。

「結婚を通して受けたものよりも与えたものの方が多い。私ばかりが損をした。結婚は私に何の利益ももたらせなかった。」と損得勘定で結婚を計る人は不幸な人です。幸せは、受けることによってではなく、与える事によってもたらされるものです。

結婚とは、「私が半分、あなたが半分」、と50%ずつの投資によって実現するのではなく、お互いを完全に差し出す「100%対100%」の投資においてなされるものです。幸せな結婚とは、自分自身をすべて与えることです。

主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。

−創世記2:24−