「夫婦への日々の御言葉」著者:韓国教会情報センター金ハンアン牧師/日本語訳:姜泰進(日本ナザレン教団赤坂教会牧師)

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8月31(木)

同居 or 別居?

結婚したら、両親と別居して暮らすべきか。あるいは、同居すべきか。
最近では、創世記にある「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。」という一節を根拠にして別居を選ぶ若者が増えています。

しかし、この御言葉が「精神的」な事柄を示しているのか、或いは「物理的」な状態を示しているのかどうかによって判断が異なるでしょう。この「離れる」という言葉は、「諦める」とか、「関係を断絶する」という意味ではありません。

聖書は「同居すべきか否か」の是非は問うていません。あなたがた夫婦と両親の、互いの立場を考慮して判断して欲しいと思います。聖書には「その父と母を離れて(創世記2:24)」という言葉がありますが、「あなたの父母を敬いなさい。(出エジプト記20:12)」とも記されているのですから。

それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一體となるのである。

創世記2:24


8月30日(水)

女性は愛の化身

愛は男性にとって一部分です。
しかし女性にとって愛は命そのものです。
男性の愛は一度芽生えれば充足を覚えますが、女性の愛は日々新たに生まれます。
それは力です。
新しい命を産み出す時、夫は妻が陣痛に苦しむのを見て、怖がって逃げ出しますが、妻は歯を食いしばって山場を乗り越えます。

女性はまさに愛の化身です。

ところが、主が言われた、「わたしの惠みはあなたに対して十分である。
わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、
キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。

−第2コリント12:9−


8月29日(火)

夫婦の距離

夫婦揃ってテレビの前に座って熱心にドラマを見たり、野球中継を観る事が夫婦の交わりの時間ではありません。たとえ体は傍にいても、心が近くにあるとは限らないからです。それはただ同じ時間の流れの中に一緒にいるに過ぎず、却って、離れている時に交わす愛情のこもった電話一本の方が夫婦の絆を高めるでしょう。

一緒にテレビを観るにしても、時には肩を寄せあったり、手を握ったり、視線を合わせる等して、夫婦のふれあいを持ちましょう。妻が夫の口におやつを入れてあげたり、そっと手渡してあげる、そのような光景の何と微笑ましい事でしょう。

ここちよい言葉は蜂蜜のように、魂に甘く、からだを健やかにする。 

−箴言16:24−


 

8月28日(月)

愛はすべてのとがをおおう

夫婦ほど相手を熟知している関係は他にはありません。お互いの弱さも足りなさも誰よりもよく知っています。だからこそ夫婦は、お互いに相手の咎を隠してあげる立場であるべきです。

もし新たな欠点を見つけたとしても、一度驚けばそれで十分です。その後は、理解する事に努め、豊かな愛で覆ってあげてください。あなた以外に誰がそのような愛で包んであげる事が出来るでしょうか。

誰も包む者がなければ、彼は(彼女は)自分の弱点の故に劣等感にさいなまれ、苦しむだけで、何も良い結果は表れません。しかし、あなたの愛の行為は、必ずや夫(妻)から咎を脱ぎ去らせる事となるでしょう。

憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。  −箴言10:12−


8月27日(主日)

アマチュアとプロ

家事において、夫がアマチュアであるのに対し、妻はプロです。
夫の場合、事を始めはするものの、結局、中途半端なまま終えてしまいます。それに比べ、妻は喜びをもって事を成し、その仕事は完璧で最後まで確実にやりこなします。

家庭について夫は「自分がいなくても大丈夫」という思いを持ちますが、妻は「自分がいなくてはならない」という意識を持ちます。その結果、自然とその道のプロフェッショナルになるのです。

まさに、妻こそ家庭になくてはならない存在であり、その家庭の専門医と言えるでしょう。

賢い妻はその夫の冠である、恥をこうむらせる妻は夫の骨に生じた腐れのようなものである。

−箴言12:4−


8月26日(土)

すべき事をしたに過ぎません

車を運転する人が交通法規を守るのは当然のことです。それが何か特別でもあるかのように賞を得る事を期待するのは却っておかしい事です。

また家庭の主婦や家長が、家族のために成すべき働きを行ったからと言って賞賛を求めるでしょうか。自分の務めが理解されていない、と愚痴をこぼす必要もありません。

同じように、神様の御言葉を守り、その通り行ったとして賞を得る事を期待するのも愚かなことです。

同樣にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、
『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに 過ぎません』と言いなさい」。 

−ルカ17:10−


8月25日(金)

「ダメ!」と「ダメ!」の対決

あなたの過去の過ちを掘り起こし、弱点を指摘する人がいたら、あなたは決してその人を好きになれないでしょう。

子どもたちも同じです。「何をやっているの!」「違うでしょ!」「ダメです!」という否定的な言葉より、「よくやった!」「あなたは出来る!」「やっぱり私の子だ!」という肯定的な言葉を受けてこそ、勇気を持つ事が出来るのです。

人間は、人の長所よりも短所に対して敏感である故に、どうしても先に小言が出てしまいます。しかし、小言は親の特権でも何でもありません。

あなたが口から出した言葉をのみ込んだ子どもたちは、いずれ同じ言葉をもってあなたに立ち向かうでしょう。

心に憂いがあればその人をかがませる、しかし親切な言葉はその人を喜ばせる。 

−箴言12:25−


 

8月24日(木)

それは言葉ですか?

言葉とは何でしょう。人の口から発するすべてのものが言葉ではありません。言葉らしい言葉こそ、真の言葉であるべきです。では、次のものを、あなたは言葉であると認めますか?

「あんな夫と暮らす物好きは私くらいだ」
「あれでも夫か」
「悪いところは父親そっくりで」
「こんな子を育ててみれば私の気持ちがわかるでしょう。」

このような話しを聞く相手は、あなたをどう思うでしょう。そんな夫や子どもと暮らすあなたを賞賛するとでも思いますか?確かに、あなたの前ではうなづいて、憐れみの表情を浮かべるかも知れません。しかし、心の中の、あなたをあざ笑う表情までは読取れないでしょう。

それでも、それらを「言葉である」と信じて疑わずに口から吐き出すのですか?

あなたがたはいつまでわたしを悩まし、言葉をもってわたしを打ち砕くのか。

−ヨブ19:2−


8月23日(水)

夫の浮気と妻の浮気

浮気に走る時期やその方法、或いは考え方など、男性と女性とでは捉え方が異なります。男性にとっては一過性の出来事のように思えても、女性にとっては生涯を左右する重大な出来事となりうるのです。

夫に浮気された妻は大方、浮気相手の女性にその刃を向けます。浮気した夫に対してよりも、夫を誘惑した(と、妻は信じている)女性を憎みます。しかし、妻に浮気をされた夫は自分自身を責めるか、浮気した妻を恨むのです。

いずれにしても、不幸を招くところには走らない方が懸命です。

あなたの泉を、外にまきちらし、水の流れを、ちまたに流してよかろうか。
それを自分だけのものとし、他人を共にあずからせてはならない。

−箴言5:16〜17−


 

8月22日(火)

何故ならば・・・

何故妻は夫に従うべきなのでしょうか。それは、イエス・キリストがお命じになったからです。主は、妻が夫に従うべき理由について、何も語られていません。また、私たちも「何故なのか?」と、問う必要はありません。教会がキリストに対して抱くのと同じ思いで、夫を愛し従うべきです。

それでも、敢えて問うならば、その理由を述べましょう。それは、キリストの御言葉だからです。

同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、

 −第1ぺテロ3:1−


8月21日(月)

何が常識?何が基本?

女性は常に女らしくあることが常識であり、基本だと思いますか?それは違います。その考え方は、あくまで男性にとって都合のいい考えに他なりません。夫が妻に女性らしさを求めるのは、真の妻の役割を知らないからです。

女性は周期的に「おしゃべり」になり、定期的に「うつ」になります。その時、夫は女性らしく、暖かな思いやりをもって柔軟に対応しなければなりません。

これが常識であり、基本です。

夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、
知識に従って妻と共に住み、いのちの惠みを共どもに受け継ぐ者として、
尊びなさい。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである。   

−第1ペテロ3:7−


8月10日(木)

仮の誕生日と真の誕生日(二つの誕生日)

私たちは、それぞれこの世に誕生した日があり、その日を祝っています。しかし、その誕生日は、罪あるこの世で生きて行かなければならない苦しみの扉が開かれた日でもあります。なぜなら、罪の風呂敷に包まれて生まれた日だからです。

それに対し、イエス・キリストを信じてバプテスマ(洗礼)を受けた日は、天国の命の書に自分の名前が記された素晴らしい日です。この日こそ、真の誕生日ではないでしょうか。

仮の誕生日を喜び楽しむよりも、真の誕生日をより喜び祝う家庭になりましょう。

自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを 受けた。 

−マタイ3:6−


8月9日(水)

的はずれの矢

夫婦が円満であってこそ家庭の平和が保たれます。しかし、時として意見がすれ違い、お互いの感情がぶつかりあう事があります。そのような時こそ冷静さが必要です。相手を言葉で攻撃するような事があっては決してなりません。夫婦になったからと言って、互いを中傷したり屈辱する事が許されていると思うのは大きな間違いです。

会社の上司や知人に対しては寛容な夫(妻)が、こと夫婦の関係になると感情を抑えることが困難になるのは何故でしょうか。たとえ、どのような場合であっても、相手の人格を傷つける言動は容認されるものではありません。

喧嘩が起こりそうになった時には、先ず、その原因を探るべきです。そして、その原因がはたして自分にありはしないか考えてみましょう。相手に攻撃の矢を向ける事が、必ずしも的を射た結果とはなりません。却って的外れな矢となって、互いに傷を受けるだけです。

夫婦喧嘩の最もよい解決方法は、「ごめんなさい」の一言であることを忘れてはなりません。

怒りやすい者は愚かなことを行い、賢い者は忍耐強い。

−箴言14:17−


8月8日(火)

幼子のようになりなさい

季節は夏!うだるような暑さが連日続きます。
とは言え空調の利いた部屋でじっとしてばかりではよくありません。

こんな日は思い切って外に出て、夫婦で一緒に洗車でもしてみませんか?一人が洗剤をつけて洗い、もう一人が水で流します。せっかくの夫婦共同作業です、押し黙ったままではつまりません。たまには童心にかえって、水をかけあうなどして遊び心も働かせましょう。

車もきれいさっぱりになるし、水遊びで気分もさっぱりになること請け合いです。子どもっぽいと思いますか?そんな事はありません。イエス様も「幼子のようになりなさい」と言われていますから。

何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。

−第1コリント4:8−


8月7日(月)

失敗から学ぶ

どんな失敗であっても、失敗は失敗として終わらせた方がよいのです。くよくよしていても何の益にもなりません。

特に夫婦生活における失敗は、却って成功の鍵となります。失敗から学ぶことは、勝利から学ぶことよりも何倍も価値があります。

一度失敗したとしても、再び失敗するとは限りません。自らの失敗を素直に認め、与えられた教訓を糧としてチャレンジすることの方が大切です。

そして失敗は過ぎ去った事とし、速やかに気持ちの中から消去しましょう。いつまでも失敗したことに捕われていると消化不良で苦しむだけです。

次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。
悟りのある人はいない、神を求める人はいない。
すべての 人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。
善を 行う者はいない、ひとりもいない。」

−ローマ3:10〜12−


8月6日(主日)

お金の鎖から解き放つ十一献金

聖書は語っています。
信仰と愛で神様の御国に貢献する者に祝福すると…

十一下献金は、あなたの家庭をお金の鎖から開放させる妙薬であると同時に祝福の扉です。
捧げる時には惜しむ心ではなく、喜びと感謝が満ち溢れる中で捧げましょう。
十一献金は神様に自分自身を捧げる献身のしるしであり、すべての所に愛の火を
つける愛の種火です。

神様は、あなたが十一献金を捧げる事によって、家庭には溢れる喜びを、夫婦には幸せを、子どもたちには智恵をボーナスとして与えてくださるでしょう。

あなたの財産と、すべての産物の初なりをもって主をあがめよ。
そうすれば、あなたの倉は満ちて余り、あなたの酒ぶねは新しい酒であふれる。

 ー 箴言3:9〜10−


8月5日(土)

見たとおり聞いたとおり

あなたは幼い時何を見て、どう思っていましたか?

・    私の父母は毎日のように喧嘩していた。
・    誰かがとても怒って叫んでいた。
・    父は争いにならないよういつも母の顔色を伺っていた。
・    お互いを罵倒しあう両親を見るのは悲しかった。
・    両親が喧嘩すると私たち子どもに当たり散らし、時には暴力を振るわれた。
・    いつも喧嘩の発端は母であったような気がする。
・    父が気の毒に見えた。
・    常に争いの種は父だった。
・    父は喧嘩の時、いつも母に暴力を振っていた。
・    母はいつも泣いていた。
・   両親が喧嘩する度、どちらかが家を出てしばらく帰って来なかった。
・   父(母)はわざと相手を怒らせて、喧嘩を楽しんでいるようだった。

これらの現象が今あなたにあらわれてないですか?

争いの初めは水がもれるのに似ている、それゆえ、けんかの起らないうちにそれをやめよ。

−箴言17:14−


8月4日(金)

夫婦喧嘩のタイミング

夫婦喧嘩は、夫婦二人だけでいる時は絶対に避けましょう。なぜならば、どちらか弱い方が傷を受けることになり、その傷は長い間持続するからです。

妻の側に支援者が多くいる時に喧嘩しましょう。普段だんまりを決め込む夫も思わず口を開かずにはいられないでしょう。

愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終るだけである。

−第2テモテ2:23−


8月3日(木)

愛は怒りません

1.私の怒りは果たして正しいものか?根拠のない怒りではないか?

2.悔しさに出会った時、怒るより愛を施す機会とするだろうか?

3.譲ることなく自己主張だけをする利己主義者ではないか?

4.権利よりも義務を行うことこそ憤りを解かす愛であると信じるのか?

5.夫婦の間で起こる不和は日を送らせず解決しているのか?

6.投げたり、壊したり、蹴るなどして怒りの感情を、物にぶつけてはいないか?

7.人を赦すことは絶対に出来ないと思うか?

8.怒りを爆発させることによって損失を被る覚悟は出来ているか?

9.怒りは心の病を誘発する要因であることを認識しているか?

10.怒りは、激憤、憎悪、暴動、妬み、攻撃、中傷、揶揄、復讐心、悲痛、悪意、不平、嫉妬、後悔、偏狭、非難、恨み、などを引き起すことを知っているか?

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず

−第1コリント13:5−


 

8月2日(火)

私が欲しいものを知っていますか?

親が良いと思うものが、必ずしも子どもが欲しがるものとは限りません。逆に、親にとって不必要と思われるものでも、子どもにとっては、とても大切なものがあるのです。では、子どもたちが、本当に欲しいと願っているものとは何でしょうか。

たとえば自由に遊べる環境や勉強が出来る環境、自分の持ち物に対する愛着や所有権。一人だけになれる空間、父母の話し合いに参与する連帯感、喜びを分かち合うパートナーとしての存在価値、などなど。

子どもに一方的に押し付ける父母ではなく、子どもが本当に必要なものを見極めることこそ正しい父母としてのあり方です。

わたしは知惠の道をあなたに教え、正しい道筋にあなたを導いた。
あなたが歩むとき、その歩みは妨げられず、走る時にも、つまずくことはない。  
 
−箴言4:11〜12−


8月1日(月)

智恵ある夫婦と愚かな夫婦

ソロモンが、神様から智恵を与えられたのは、彼が確固たる信仰をもって一千回ものいけにえを神様の前に捧げた故でした。

知恵のある夫婦は、自分たちの思いよりも、神様の御心を優先する生活を送りますが、愚かな夫婦は神様は二の次で、まず自分の思いが先行するため、思わぬミスを招きます。

蒔いたものは、必ず芽が出てきます。誤った出発は誤った結果を刈り取らなければなりません。愚かな夫婦は神様さえもどうにもならないようです。

あなたがたのうち、知惠に不足している者があれば、その 人は、とがめもせずに
惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

−ヤコブ1:5−