【神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。】 ヨハネ3章16節

神様は聖なるお方であり、義なるお方です。そしてそれと同時に愛であるお方です。愛は単独では存在しません。神様はご自身を父なる神、子なる神イエス・キリスト、聖霊という交わりの中で三位一体というかたちでご自身を現わされました。そしてその愛は私たちが滅びることではなく、永遠のいのちを持ち、ともに交わり、過ごすことを望んでおられます。

神様に愛されているということが、私たちの人生の土台になるときに私たちの人生は大きく変わります。いてもいなくてもいい存在、ダメな存在、劣っている存在・・・・劣等感に苛まれたり、自分に価値が見いだせず苦しんだことはありませんか?自分の人生の中で「あの頃は燃えていたなぁ」と過去形で過去の自分がうらやましくなってしまったり、若かったと割り切ってしまっていることはありませんか?過去の失敗や挫折に苦しんでいませんか?そんな私たちの弱さも、心も神様はすべてご存じで私たちと親しくありたいと願っておられます。そして私たちの人生に意味も意義も価値も与えることがおできになるお方です。神様の御手に自分の人生を委ねて歩む時に人生は情熱的で、困難にも耐え、打ち勝つことが出来るものに変えられていきます。

教会は聖い人の集まりと思われていることがよくありますが、神様を中心に集められた人たちの集まり、赦された罪人の集まりです。神様の前に自分の罪や弱さを認めて悔い改め、自分の救い主としてイエス・キリストを信じ、そして洗礼を受けて神様と人の前にも自分の生き方を変えたいと表明した人たちが集まるところです。まず知ること、そしてつながるところから始めてみませんか?神様はあなたのことを愛し、待っておられます。

神様はまずありのままの私たちが救いを得ることが出来るように行いによる救いではなく、信仰による救いをイエス・キリストの十字架と復活によって示してくださっています。洗礼とは古い自分に死に、イエス・キリストにあって新しく生まれるという意味があります。

自分の救い主としてイエス・キリストを信じて共に歩みませんか?

洗礼の喜びに溢れた様子