与えられる聖霊

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。と聖書の有名な箇所があります。このルカによる福音書の箇所の結論は天の父は最もよいものとして聖霊をくださるとあります。私たちが求めていく時聖霊が注がれるというのです。ある意味本来求めていたものではないもの。またそれ以上のものとして聖霊が与えられるとあるのです。聖霊を通して自分の求めていたもの、捜していたもの、たたいていたものをもう一度見直していく時になにが神様あって、そして自分にとっても最善であったかを見いだすことができるようになっていきます。聖霊様と歩むプロセスは私たちの人生にとって委ねるということがとても大切であり、またチャレンジに満ちたものです。聖書を見ていく時に聖霊様が働かれる時にいままでのあり方や伝統などが大きく新しく作り替えられます。すべてが無駄になるのではなく、その延長線上にあるよりよいものを見いだすことができるようになるのです。聖霊によって奇跡が起こり、聖霊によって死人がよみがえり、聖霊によって新しい道へと導かれ、聖霊によって生き方が変えられ、聖霊によってすべてのマイナスはプラスに変えられます。主に信頼しましょう。約束してくださったイエス様は真実な御方です。そして求め続けましょう。聖霊様は今も変わらず私たちのところへ臨んでくださいます。主に期待してどんな時も神様を見上げて歩んでいきましょう。主は私たちの歩みを確かなものとしてくださいます。


聖霊の働きとみことばの成就

 

聖霊の働きを現代の教会の中で見ていくと圧倒的な聖霊の御業というほかないような事柄も多くあると共にこれは聖霊の働きだろうかと疑問を持つような霊的な働きもあります。それらひとつひとつをどのように吟味し、また受け入れたり、また時に修正していけば良いのか非常に悩むところであると思います。人間的な枠をつくってしまうと聖霊の働きは去ってしまうことになるでしょう。しかしカバーリングになる大枠は必ず必要です。みことばに立ち、イエス・キリストをより求めていく方向性、またキリストの品性に似せられた者と日々変えられていくプロセス、そしてキリストの花嫁であり体である教会を建て上げていく方向性により強く導かれていく、そして宣教に開かれていくなどの方向性を聖書から汲み取り見ていく時に働いている霊が聖霊様なのか、自己満足なのか、また悪霊の惑わしなのかが見えてきます。初代教会において異邦人に聖霊が臨まれたことがきっかけとなりエルサレム会議が開かれます。そして元パリサイ派のクリスチャンはより律法的な背景から来る意見を当然言いました。しかし最終的にはペテロ、パウロ、バルナバ、ヤコブの体験と導かれたこと、そしてそれを裏付けるみことばによって会議の結論は出されました。それは神学的にも非常に大きな転換でした。この聖霊の働きに対する柔軟性を持っていく時に聖霊様がどのような御方かをより知ることが出来るとともに聖霊様の働きを体験していくことが出来ます。心を開いて委ねていきましょう。主は新しいことを成してくださいます。旧約にも新約にもそのようなチャレンジの連続であるように今日においても信仰によって踏み出す者となりましょう。