Welcome! Joyful Praise Church!

ジョイフルプレイズチャーチHPへようこそ! 私達の教会はプロテスタントに属するキリスト教会です。 神様の愛に包まれ、聖書を土台として健やかな人生を共に歩みましょう!

信仰によって義とされる~ローマ4:7-25

信仰の父としてアブラハムという人物が聖書ではひとつの柱として書かれています。旧約で登場する人物ですが新約においても信仰による義、救いと愛によって働く信仰をこのアブラハムの信仰を通して教えています。「行いのない信仰は死んでいる」とヤコブは記していますが逆に行いがないと救われないという強迫観念を持つことも間違っています。神様を信じ、期待する時にそのように備え、また行動するのは自然なことです。誰かの誕生日を祝おうと思ったら「おめでとう」と声をかけ、また時には喜んでくれたらとプレゼントを探し、そして買いに行って準備するでしょう。これは思いから出て来る自然な行動です。また思いがあるから行動しているのですが行動を見て思いがあることも分かります。また思いがあっても行動出来なかった時に「なにかプレゼントしたいと思ったのだけど準備が間に合わなかったからまたなにかお祝いさせてね」と声をかけることもあるでしょう。これも思いがあるからです。この関係のスタートは何かを行動する前にある思いであることが分かります。まずそれで喜ばしいことですし、その先の行動までいけばそのことをよりきちんと認識することが出来ます。神様を信じる信仰と行いというのはこのような自然な関係から流れていきます。プレゼントを選ぶ時に何を喜ぶのかをいろんな情報や経験から選ぶように成熟したクリスチャンは神様の思いを知っていてそのことを満たそうとして行動することが出来ます。自分が好きか嫌いかではなく神様が喜ばれるから喜んでするのです。信仰によってより神様との関係を深め、共に集まり、歩んでいきましょう。 [Read more...]

人の期待と神の期待~マタイ11:2-19

私たちが日常生活の中でサンプルや見本というもの、また説明を見て色々と予想して期待以上、期待以下という評価をしながら生活しているところがあると思います。メニューの写真と現物が思っていた以上に違ったとかいうこともあるでしょう。「どれくらい辛いのか」という主観的な質問に対して「大して辛くないですよ」という返事が来ても辛く感じるか感じないかは受ける側の主観によるとところが多いものです。また人に対する期待も様々な情報、期待、先入観、固定概念によって変わってきます。 マタイ11章にはバプテスマのヨハネとイエス様ご自身が当時ごく一部の人と信じたいが受けていた悪評について書かれています。そこには預言者やメシヤについての先入観と期待とのギャップから来るものを見てとることが出来ます。表面的な部分や一部の言動での評価がなされていることが分かります。新約にはいってから旧約と比べると様々な点で大きな変化があったことを私たちは聖書から知ることが出来ますが、当時の人々の中には混乱があったことが分かります。 現代に至るまで主は新しいことをなさっています。私たちはその表面上のものではなく、本質的なものを汲み取るべく、霊の目を開き、霊の耳を開いていただくように柔らかい心で主を見上げていきましょう。「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ」と箴言25章にあるように主の御心を求め祈っていきましょう。 [Read more...]

主に対する愛を持って仕える~Iコリント12:26-31

 初代教会が建て上げられていく中で当時のシナゴーグでの礼拝や集まりの形態から変化して行きました。それはシナゴーグが地域の集会所や会議をする場所、そして礼拝する場所という特徴と比べて初代教会は使徒達が福音をのべ伝えるようにとイエス様に言われていたその使命を土台として建てられている点が大きく異なります。地域コミュニティの必要を満たす場所から主の必要を満たす場所へとシフトしていったのです。  事実、初代教会は異邦人の地にも宣教していくことを可決し、そしてそのような働きを展開しました。そしてその背後にはパウロやペテロのような使徒達に示されて解き放たれていくということがありました。  しかし、Iコリント12章にはひとりひとりがキリストの体の器官として尊いことが書かれています。お互いがキリストの体の尊い器官として繋がっていく時に体全体が動き出します。  賜物やポジションの違いはあったとしても、主に対する愛によって一致していくことが大切です。その愛を土台とし、また追い求めて共に主に仕えていく時に主はそこに大きな恵みを注いでくださいます。  主の愛に生かされ、主の愛を流し出す器となっていきましょう。 [Read more...]