Welcome! Joyful Praise Church!

ジョイフルプレイズチャーチHPへようこそ! 私達の教会はプロテスタントに属するキリスト教会です。 神様の愛に包まれ、聖書を土台として健やかな人生を共に歩みましょう!

信仰の実~ルカ1:13-17

バプテスマのヨハネの父は祭司ザカリヤ、母はエリサベツという人物でした。エリサベツは不妊であったとありますがふたりは子どもが与えられるようにと祈り続けていたことが天使ガブリエルのことばから分かります。ふたりとももう高齢でしたが祈り続けていたのです。不可能と思えることを祈りによって受け取ったのです。 分別や常識というものはもちろん大切でしょう。しかし信仰がそのうえをいくことも主の導きの中で必要となる時があります。聖書を見ていくと未来完了形で書かれていることがとても多いことが分かります。メシヤ預言はまさにそうったものです。神様ご自身が時間と空間を作られたのですからその制限の外におられることが分かります。だからこそ主の御心は必ず成るという確信があるのです。 キリストの誕生と同じように預言されているのはキリストの再臨です。この誕生と再臨は聖書の中の2割強の文章量で記されている内容です。そしてその中に信仰によってつないでいく神様のご計画のバトンがあります。神様のご計画を受け止めて祈り備える人々がザカリヤとエリサベツ、またヨセフとマリヤのように主が語られた驚くべきことばを受け止め、従う人たちがそれぞれの時代において備えられていく必要があります。 それぞれの人生において神様がどのようなご計画を立てておられるのかを祈り求めること、また信仰によって祈るように導かれていることを信仰を持って受け止め直し、祈り続け、信仰の実を受け取る者、信仰の種を残す者ととなっていきましょう。 [Read more...]

バプテスマのヨハネに見る心~ヨハネ3:22-30

イエス・キリストの誕生を喜ぶと共に奇蹟的な誕生をしたもうひとりの人、バプテスマのヨハネのことをこの季節に考えていきましょう。すべての人の中で最も偉大とも言われたバプテスマのヨハネの心は人を自分につなげるとか勢力を拡大するとかではなく、イエス様の来られる道を整えるために悔い改めを説き、そして弟子達が勢力争いのようなことを意識した時もイエス様のもとに弟子達を送り、仕えるように言われたり、自分が衰えていく必要があることなどを明確に近くにいる人たちに伝えていきました。牢に入れられ、首をはねられるという地上での歩みの最後を迎えましたがイエス様が公生涯において歩まれるうえでとても重要な人物であったことに変わりはありません。また神様のご計画の中でこれほど従順に自分ではなく主の御心に従い抜いた人物はいないと思います。私たちは罪というものを認めようとしない性質を持ち合わせています。認めるとしても「あの人よりはまし」というどんぐりの背比べをしてごまかしたりしやすい者です。しかし旧約にも義人はひとりもいないとあるように自分の内面まで見ておられる神様の前に完全に立つことの出来る人はいません。主の憐れみとイエス様の恵みがなければそこに立つことは出来ません。そのために私たちは悔い改める心と主の愛を受け取る心を持つ必要があります。その備えをしたのがバプテスマのヨハネでした。ユダヤ人は十字架の出来事のあと頑なになりましたがそれによって異邦人に福音が解き放たれました。人の弱さすらも主は用いて御業を成してくださいました。主の前に砕かれた心を持って備えていきましょう。 [Read more...]

主が来られる心~イザヤ59:20-21

街が徐々にクリスマス仕様に変わっていく中で大切なことを忘れていないか見直してみたいと思います。クリスマスとはイエス・キリストの誕生を祝う時です。この部分において日本においてかなりずれがあるように感じます。主人公不在の誕生日会をするようなことをせずにしっかりとその意味を知っていくことが大切です。 イエス様が来られたのは私たちを救いに導くため、また福音を伝えるためでした。そしてその道を整えるためにバプテスマのヨハネが現れました。バプテスマのヨハネは悔い改めのバプテスマを持ってイスラエルの民の心を整えました。この心こそが神様との関係を正していくうえでとても重要な土台となります。 イザヤ書59章を見る時に捕囚となってもその場所で神様に立ち返り、悔い改めるならば主がそこに来てくださることが書かれています。神様の前に罪がない人はひとりもいません。ですが神様の前に罪を認め、悔い改めた心で出ていくということがなかなか出来ない現実があると思います。他人と比べて自分のほうがマシだと思ったり、自分の事は棚にあげたり私たちはしがちです。ですからイエス様は他人の目の塵をとろうとする前に自分の目の梁を取り除くように教えられました。それほど自分の事を正しく見るのは難しいものなのです。 しかし、聖書を見ていくなら罪とは何か、なぜ救いが必要か、神様の愛がどれほど大きいのかということを知るようになります。知ることと体験していくことは違います。自分と神様との関係を正し、悔い改めた心を持ってこの季節を歩んでいきましょう。 [Read more...]