「全能の神を信ず」(創世記17:1-2)
「 アブラムが九十九歳になったとき【主】はアブラムに現れ、こう仰せられた。
「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。 わたしは、わたしの契約を、
わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」
礼拝に於ける信仰告白として使徒信条の朗読があります。
その第1は「全能の神を信ず」です。この唯一の神の属性を深く心に留めて、信仰の生涯を歩むことの大切さを学びましょう。
★ 目には見えない霊なる神「 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
(ヨハネの福音書4:24)
★ 全 能「 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、 無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、
そうなのです。 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていた
とおりに、彼が あらゆる国の人々の父となるためでした。 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然で あることと、サラの 胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。 彼は、不信仰によって神の約束を疑う
ようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く 信じました。だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけで
なく、また私たちのためです。
すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
(ローマ4:17-25)