説教全文

2020年4月12日(日) 私たちの主の復活祭

聖書箇所 説教全文

説教全文

「イエスは死人の中からよみがえられた」

マタイの福音書28章1-10節

牧師 若林 學

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなた方の上にありますように。アーメン。

 「わたしたちの主の復活祭」の説教の聖書箇所は、マタイの福音書28章1~10節です。そして説教題は「イエスは死人の中からよみがえられた」です。
 皆様、改めて、私たちの主の御復活のお喜びを申し上げます。主は一昨日の金曜日の日没前に、ゴルゴダの丘の近くにあるお墓に、葬られました。そして三日目の本日朝早くに、復活されました。
 イエス様はなぜ復活されたのでしょうか。それは一言で言って、イエス様が神様であられるからです。人間ならばいつかは死にますが、神様は死ぬことが有りません。ですから真の人間であるイエス様は、全人類の罪の身代わりとして、十字架に掛かって死なれました。しかし、イエス様はまた、真の神様ですから、死んだままでいることはできず、生前しばしば弟子たちに預言しておられた通り、三日目に神様としてよみがえられたのです。
 弟子たちはよみがえられたイエス様に接し、初めてイエス様が神様だと分かったのです。弟子たちは、多くの病人が癒されるところを目撃していました。イエス様が、生まれつきの盲人の目を開け、中風の人を歩かせ、ツァラアトの病の人を癒し、悪霊を追い出し、死んだラザロさえもよみがえらせたところを目撃していました。またイエス様が、湖の上を歩き、嵐を制し、五つのパンと二匹の魚から、五千人の人に食事を与えた奇蹟を見ていました。このように、弟子たちは、すごい奇跡を、それも数多く行われたことも見ていました。でも、イエス様と寝食を共にした弟子たちが、イエス様を神様と信じていないのに、イエス様にたった一回しか会ったことのない病人が、病を癒していただいて、イエス様を神様として信じ、イエス様の足元にひれ伏したのです。
 なぜ弟子たちがイエス様を神様と見ることができなかったのでしょうか。「灯台下暗し」と言いますが、遠くまで光を届ける灯台は、その根元が暗いのは、根元を照らすのが目的でないからです。イエス様の弟子たちも同じことです。灯台であるイエス様の目的は、遠くまでご自分の力を及ぼすことが目的でした。その遠くまで力を及ぼしている間、弟子たちを教え、訓練し、ご自分が天国戻られた後、弟子たちに伝道者として働いてもらうために、敢えて弟子達の目に、鱗をかぶせて、曇らせ、弟子達の目を暗くしておられたとしか、考えられません。そして本日、イエス様は復活したご自分の姿を弟子たちに現わし、その目の鱗を落とさせたのです。

 さてイエス様が葬られたお墓は、マタイの福音書27章58節から61節を見ますと、サンヘドリンの議員のであるアリマタヤの金持ち、ヨセフの持ち物で、新しく掘ったお墓であることが分かります。またヨハネの福音書19章38節と39節を見ますと、アリマタヤのヨセフの他に、ニコデモが、没薬とアロエを混ぜた埋葬用の薬剤を、30㎏ばかり持って来ています。この二人は、イエス様の弟子達でしたが、公に弟子であることを口にしていませんでした。二人はイエス様の十字架刑を見て、イエス様の埋葬の準備を相談したのでしょう。新設のお墓を持っているヨセフは、総督ピラトにイエス様の下げ渡しの許可を願い、許可を受けます。この様な時、社会的に地位のある人の力は効果が有ります。また、ニコデモは埋葬用の薬剤を調達しました。このヨセフとニコデモの二人が中心となって、イエス様の遺体を、十字架から遺体を取りおろし、ヨセフのお墓の前に運び、そこでイエス様の遺体をアロエと没薬を混ぜた薬剤で覆い、亜麻布で丁重に包み、お墓の中に埋葬したと思われます。
 マタイの福音書27章61節には、ガリラヤから付いて来た婦人達が、イエス様の遺体が葬られるお墓を、良く見ていたと記されています。婦人達は、愛するイエス様の葬りのために、自分達の出番がなかったことに、とても悲しく残念な思いをしていたと推測されます。
 そういう訳なのでしょう、マルコの福音書16章1節を見ますと、土曜日の安息日が終わる日没を待って、市場に行き、イエス様に塗る香料を購入しています。そして日曜日の朝早くお墓にやって来ました。婦人達が心配していたことが一つありました。それは誰が、お墓の入り口を塞いでいる、大きな石の扉を動かしてくれるかでした。
 しかしその心配は無用でした。婦人達が目指すお墓に着くと、大きな地震が起こり、お墓の入り口を塞いでいた、あの大きな石は倒れ、その上に天使が座ったのです。驚いたのは、婦人達だけではありません。お墓の入り口の見張りをしていた番兵たちは、自分達の目の前で、あっという間に大きな石が倒れ、その上に稲妻のように光り輝く顔を持ち、雪のように真っ白い衣を着た御使いを見て、その恐ろしい姿に震えあがり、死人のように動けなくなりました。

 婦人達も、この稲妻のように輝く顔と、雪のように真っ白い衣を着た御使いを見て、震え上がりました。その震え上がって、縮こまっている婦人たちは、心の中でこの様に心配していました。「お墓の入口は空いたけれど、今度は御使いが入口の前で陣取っている。イエス様の遺体はまだあるのだろうか。」その心の内を御使いは見て、婦人たちに答えました。「恐れてはいけません。あなたがたが、十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」

 マルコの福音書16章5節を見ますと、婦人たちはお墓の中に入り、そこで御使いに会っています。そしてイエス様の遺体がないことを確認しています。いずれにしても、婦人たちは、顔が稲妻のようにピカピカ輝く御使いの様子に、すっかり度肝を抜かれ、恐ろしくはありましたが、「イエス様が死人の中からよみがえられた」と聞かされ、信じたのです。それで喜びに溢れて、弟子たちに知らせに走りました。彼女らが最初の宣教者ですね。
 イエス様の復活を信じる者には必ず褒美が伴います。婦人たちが弟子たちに知らせに走って行くと、なんと、復活された当のイエス様が、ご自分の復活を信じた婦人たちに現れてくださったのです。イエス様は婦人たちに出会って言われました。イエス様は何と言われたのでしょうか。ギリシャ語聖書は「喜びなさい」と言っています。婦人たちは、このイエス様の言葉に安堵を覚え、イエス様は生きておられる、という思いに満たされ、ひざまずいて御足抱いたのです。多分、幽霊でないことを確認したのかもしれません。彼女らは、しっかりとした足の感触を感じて、「ああ、あのイエス様だ。幽霊じゃない。イエス様は死人の中からよみがえられたのだ。本当にイエス様は神様だ。」という思いに満たされ、今度はイエス様の御前にひれ伏して、心からイエス様に礼拝を捧げたのです。

 ご自分を心から信じた婦人たちにイエス様は言われました。「恐れてはいけません。」何を恐れてはならないのでしょうか。婦人たちは、復活したイエス様にお会いして、即ち、真の神様にお会いして、恐れ多くもその神様の御足を抱いてしまったことを恐れたのです。イエス様としては今まで通り接して欲しいと願っていたのではないかと思われます。ご自分が神様と知られてしまい、婦人たちが御自分との距離を置くようになってしまうのを心配されたのです。
 このことは次のイエス様の言葉からうかがえます。イエス様は婦人たちにこのようにいわれました。「行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」イエス様は弟子たちを「私の兄弟」と言っておられます。ところが弟子たちは、恥ずべきことに、ゲッセマネの園で、イエス様がユダヤの官憲に捕まる時、イエス様を置いて逃げてしまいました。その上一番弟子のペテロは主を3回も否みました。そのような不甲斐無い弟子たちを、なんとイエス様は「私の兄弟」と呼んでくださったのです。イエス様が弟子たちを「私の兄弟」と呼ぶ時は、弟子たちの過ちを全て赦していることを表しています。そうでなかったら、親密な兄弟関係は保てません。ですから、この素敵なイエス様の横に、私達が兄弟姉妹として立てることは、とても名誉なことではないでしょうか。イエス様を長兄としてクリスチャンは兄弟姉妹の交わりを持ち、一人の父なる神様を持つのです。兄弟姉妹が一つの相続として天の御国を継ぐ者となるのです。イエス様がご復活の偉大な日に得たものは、ご自身のために得たのではなく、イエス様の全ての兄弟姉妹のために得たのです。
 イエス様は「私の兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」と言われました。イエス様はガリラヤで大宣教命令を出されます。本日の聖書箇所には入っていませんが、28章19節と20節をお読みいたします。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
 イエス様は、この大宣教命令で、「あらゆる国の人々を弟子としなさい」と言われました。言い換えれば、「あらゆる国の人々を私の兄弟姉妹としなさい」となります。イエス様はあらゆる国の人々に、御自分の兄弟姉妹になって欲しいと願っておられることが分かります。イエス様の期待に応え、兄弟イエス様のために共に働きましょう。

 このように、イエス様は本日朝早くに「死人の中からよみがえられました。」このイエス様のよみがえりによって、弟子たちは初めてイエス様が、神様であることを知りました。そして喜びに溢れ、イエス様を神様として礼拝するようになりました。イエス様は私のため、またあなたのため、そして全ての人のために十字架に掛かり、私の罪やあなたの罪、そして全ての人の罪の代価をご自分の命で支払ってくださいました。皆様の罪はもう赦されています。あと残されているのは、私達がイエス様の十字架の死を自分の罪のためと認め、イエス様を信じることだけです。そうすれば私達もイエス様の兄弟姉妹に加えていただけます。この兄弟姉妹の交わりは、喜びに満ち溢れています。死人の中からよみがえられたイエス・キリストを信じ、有意義で、価値ある人生、悔いの無い喜びの人生を送らせていただきましょう。

 全ての人々の考えに勝る神の平安が、あなた方の心と思いを、キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。アーメン。


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