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 小針福音ルーテル教会へようこそ! 

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ルーテル教会とは


MartinLuther

ルーテル教会は、聖書をクリスチャン 信仰と実践の唯一の権威としていることは他のプロテスタント教会と同じですが、異なるところはルター主義の上に立っている教会であることです。ルター主義 は、当時ローマ・カトリック教会の神父でありドイツのヴィッテンベルグ大学の神学教授であったマルチン・ルター博士(1483−1546)によって1513年から1530年にかけて の神学上の発見から始まりました。今日のルター主義(ルーテル教会)は初代教会や中世教会の伝統を多く取り入れています。もちろん、それらの伝統はプロテ スタントの聖書主義に一致するように見直しされています。そして、伝統的な典礼式文を用いることによって、歴史的に途切れることなく続いている神の民の一 員である意識を醸成しています。

マルチン・ルター博士がローマ・カトリック教会に反抗した話はよく知られています。ルターの立場を、端的にまとめるならば、教会と教皇は霊的な事柄に対して神から何の権威 も与えられてはいず、良心に対して最終的な権威を持つのは、祭司や教会ではなく、聖書である、というものでした。「何であれ、聖書に逆らわないものは聖書 のためにあり、聖書は聖書のためにある。」とルターは言いました。人が罪を赦(ゆる)され無罪とされるのは、良い行いをしたからとか儀式を行ったからではなく、また 特に、ローマ・カトリック教会から発行された贖宥状(しょくゆうじょう、免罪符ともいう)を買ったからでもなく、聖霊によって導かれた罪から神への悔い改めによるものである、とルターは考えていました。義とされることは信仰によるのであって、儀式によるのではない。そして、信仰は教会の命令に同意することではなく、キリストに対する心からの真 摯な信頼である。「義人は信仰によって生きる」というのが最初から最後までルターの考えでした。ルターは、「個人の良心は神に対してのみ責任がある」と考 え、また、「聖書は明白で、完全で、霊感によって書かれた信頼できる神の言葉であり、人類のための案内書である」と考えていました。神と、良心と、聖書、こ の 3つの上にルター主義は建てられています。

1529年、ルターは小教理問答書、大教理問答書を書きました。その一年後に、信仰の声明書であるアウグスブルグ信仰告白書がルターの同僚であったフィ リップ・メランヒトンによって執筆されました。1537年にシュマルカルド条項がルター、メランヒトン、それにドイツの宗教改革者たちによってまとめられ ました。ルターの死後、1577年には根本信条宣言が作成されました。これらの信仰告白に関する書物が、1580年に『一致信条書』としてまとめられ、ルーテ ル教会共通の信仰告白書となりました。ルターの観念や神学の解釈としてのこれらの文書はルター主義の教義上の基礎となっています。

(Handbook of Denomination in the United States by Frank S. Mead, Abingdon Press 1995, pp174-175より、若林學訳)


宗教改革記念日 10月31日

宗教改革はマルティン・ルター博士が、大勢の人々が教会に集まる、全聖徒の日(111)の前日であった15171031日に、ドイツのヴィッテンベルク市にある城教会の扉に意見交換を呼びかける95ヶ条の提題」を張り出したことが発端となりました。
 ルター博士の有名な言葉は「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」で、宗教改革の三大原理となっています。


95ヶ条の提題
                    95ヶ条の提題 (1522年に刊行されたもの)

免罪符〔正式名称:贖宥状(しょくゆうじょう)〕販売の大口上


 10月31日は宗教改革主日です。2017年の今年は500周年記念の年です。今から丁度500年前の1517年ヨーロッパ中の町々でこのような大口上が聞こえました。

この免罪符の布告は、経験のある販売人である、ドミニカンのテッツェルに委任された。彼は町に近づくと、高位高官たちに出迎えられた。その人たちは、それから彼と共に、おごそかな行列を作って町にはいった。法王の紋章のついた十字架が彼の先に立ち、免罪符の法皇勅書が、金の刺繍をしたビロードのクッションにのせて高く支えられていた。市の立つ広場に十字架をおごそかに立てて、説教が始まった。


 「さて、お聞きなされ、神と聖ペテロがお前さん方を呼んでおられるのだ。お前さん方の霊魂や、亡くなった愛する人たちの霊魂の救いについて、とくと考えなさるがよい。司祭・貴族・商人・娘さん・ご婦人・青年・お年寄り方よ、聖ペテロの教会であるお前さん方の教会に、今おはいりなされ。お前さん方の前に立って、いつもお前さん方を熱心に求めておられる十字架に、参詣なされ。お前さん方は、世間の誘惑と危険のまっただ中で、恐ろしい嵐に打たれているし、お前さん方は、この死ぬべき肉体ではなくて、お前さん方の不死の霊魂の港へ、着くことができるかどうかを知らないのだ、ということを考えなされたのか。よいかな、痛悔をしていて懺悔し、寄進した人人はみな、凡(あら)ゆる罪の完全なお赦(ゆる)しを得るのだ。お前さん方の愛する亡くなった親戚たちや友人たちが、お前さん方に歎願して、『わしらを可哀そうだと思っておくれ。わしらは恐ろしい苦しみに会っている。お前さん方はほんの僅かの喜捨(献金)で、わしらをその苦しみから救い出すことができるのだ。』と言っている声に、耳を傾けなされ。お前さん方はそれをしたくないのか。耳をほじくって、父が息子に、母が娘にこう言っているのを聞くがよい、『私たちはお前を産み、養い、育て上げ、お前に財産を残した。ところで、お前は残酷で、無慈悲だ。今お前はほんのすこし私たちを自由にすることをも喜んでいない。お前は私たちをこの焔の中にいさせたいのか。私たちの約束されている栄光を遅れさせたいのか。』と。お前さん方は、かれらを救い出すことができるのを、忘れなさるな。なぜなら、

箱の中で硬貨(お金)が鳴るやいなや、

霊魂は煉獄(れんごく)から飛んで出る

からだ。お前さん方は、それじゃ、四分の一フロリンでこの免罪のお符をいただきたくないのか。このお符によって、お前さん方は、神聖な不死の霊魂を、パラダイスの祖国へ連れ込むことができるのだよ。」

(「我ここに立つ―マルティン・ルターの生涯」ローランド・ベイントン著、青山一浪・岸千年共訳、日本ルーテル文書協会、1954年10月1日発行、73−75頁)

 

この免罪符販売による多額の売上金が、ローマに建立中の聖ペテロ大聖堂の建築資金に使われていました。この免罪符販売に疑問を呈したのが、当時ローマ・カトリック教会の司祭であり、ヴィッテンブルグ大学の神学教授であったマルティン・ルター博士です。博士は、罪の赦(ゆる)しをお金で買うことができるのだろうかと多くの人々に考えてもらいたいと思い、討論会を計画しました。そこで博士は、討論してもらいたい項目を95箇条にまとめ、多くの人々が礼拝に集まる「全聖徒の日」の前日、10月31日に、ヴィッテンブルグの城教会の入り口の扉に掲示したのです。この「95ヶ条の提題」はすぐにラテン語からドイツ語に翻訳されて、印刷されてドイツ中に知れ渡りました。この討論会開催の通知が発端となって、宗教改革が始まったのです。

〔ちなみに、「現在の価値の比較すると、このころの労賃などから考えて、(3.5gの)金貨1枚=12万円、1gの銀貨=3000円くらいと想定します。(食料や物の値段を基準にすると、もっと少ない金額になります)」出典: http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/E024.html〕



ルーテルの名前の由来

現在、全世界で約7,400万人のクリスチャンがルーテル教会の信者です。こんなにも多くの数のクリスチャンがマルチン・ルターの名前で呼ばれるようになったことは歴史上の偶然によって起こりました。ルターは1521年のローマ教皇勅書によってローマカトリック教会より公式に破門されました。加えるに、その勅書はルターの追随者を『ルーテル』と呼んで異端者で分派主義者の烙印を押しました。当然、ルターと彼の追随者はそのような状況の元で個人的な名前が使われることに抗議しまし た。それで最初の50年間、ルターの追随者達は『福音派』あるいは『改革教会』として知られていました。しかし、ルーテル教会と改革教会派(ジョン・カルバン派)教会の区別がはっきりとされるに及んで、ルーテルの名前はだんだんと浸透していき、30年戦争の終わり(1648年)頃には一般的に用いられるようになりました。
The Religious Bodies of America by F. E. Mayer, CPH 1961, p127 若林學訳)
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    ルターの紋章