若林 學(わかばやし まなぶ)牧師 略歴
1947年 6月
新潟市関屋大川前に誕生
1959年 3月
有明台小学校卒業
1962年 3月
関屋中学校卒業
1963年 6月
新潟高校一年生の時、国際ギデオン教会より新約聖書を贈呈され、初めてキリスト教に触れる
1967年 4月
東北大学工学部機械工学科入学、勉学の傍ら混声合唱団でキリスト教音楽に触れ、特に J.S.バッハに傾倒
1971年 4月
日立製作所入社 家電研究所(現映像メディア研究所)にてスピーカー、フロッピーディスク(自動シャッターバネ特許の発明者)、ビデオカメラ等の開発に従事、勤務の傍ら、指揮者濱田徳昭(はまだ
のりてる)氏の下でキリスト教合唱音楽の世界に導かれる
1977年 4月
日本ルーテル教団戸塚ルーテル教会にて受洗
1987年 4月
悔い改め、罪の赦(ゆる)しを経験
1993年12月
人工弁置換心臓手術成功を神に感謝し、牧師になることを決心
1996年 8月
日立製作所退職
1996年 9月
米国インディアナ州フォート・ウェイン市在、ルーテル教会・ミズーリ・シノッドのコンコルディア神学校入学
2002年 2月
同神学校修了、学位:Master of Divinity(神学修士号)
2003年 6月
帰国
2004年 4月
日本ルーテル教団白根ルーテルキリスト教会牧師代理着任
2007年10月
日本ルーテル教団牧師職資格認定委員会より牧師資格認定
2008年 3月
白根ルーテルキリスト教会で教職授任按手を受け牧師となる
2009年 1月
書き下ろしのバイブル・ミニ・メッセージをメールマガジン「祝福の人生を望む方に贈る聖書の話」でインターネットを通し発行開始、2018年4月に第220号を発行後、休止中
2015年 4月
同教会退職、開拓伝道のための地を探し始める
2015年 9月
現在地を与えられ、教会開設のために必要な様々な工事、寄贈された中古教会ベンチ修理塗装を含む様々な修繕を手探りで始める。
2017年 6月4日(日)
聖霊降臨祭の午後に小針福音ルーテル教会設立献堂式を行う、次週6月11日より毎週日曜日午前10時30分から礼拝開始
小針福音ルーテル教会 設立献堂式 挨拶文
本日は御多忙なところ当小針福音ルーテル教会の献堂式にご出席賜り、ありがとうございます。はじめに、私が新しい教会を設立並びに献堂することになった経緯を少し述べさせていただきます。
私は幼少時から心臓弁膜症を患っており、成人すると心臓肥大に悩まされ、心房細動で入退院を繰り返すようになりました。40歳の時、主治医より、「若林さん。このままでは天寿を全うすることができません。手術を勧めます。」と告げられ、目の前が真っ暗になりました。失敗すれば死(死刑)ですし、仮に成功しても一生薬の世話になる(終身刑)と恐れたからでした。神様が私の姦淫の罪を責めておられると受け取り、家に帰って額を畳につけて、おいおい泣き、神様に罪の赦(ゆる)しを求めました。すると、白い衣を着た方が現れ、「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」(ヨハネの福音書8章11節)と言われました。
私は罪が赦されたことを知り、今度はわんわん泣いて喜びました。手術は怖くなくなり、46歳の時受けた僧帽弁置換手術は成功。このことを感謝し、後半生を牧師になって神に献げる決心を致しました。そして神様に尋ねたのです。「私をどんな牧師にしていただけますか。」そうすると次の御言葉が与えられました。「また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」(ルカの福音書8章8節)私はこの御言葉をこの様に解釈しました。牧師を決心した私が一粒の種として良い地である神様の地に落ちるのだから、私のような牧師になろうと決心する人が私から100人生まれる。すると図らずも米国にあるルーテル教会・ミズーリ・シノッド(以下、「LCMS」)の神学校への扉が開かれ、25年間務めた日立製作所を退職し、牧師への道を歩み始めました。
LCMSは、マルティン・ルター博士による宗教改革の信仰と慣行を守るために、新大陸アメリカに移住したドイツ移民によって170年前にアメリカ中西部のミズーリ州に設立されました。牧師の衣装は黒いクラリカルシャツに白い襟をつけたもので、カトリック教会と同じ服装です。私がそんな服装でミシガン州のレストランに入った時、受付のボーイから「ファザー」(神父)と呼びかけられました。礼拝式文もカトリックと似ており、500年前にカトリック教会から分離した当時の信仰と慣行を今も引き継いでいます。
LCMSは設立当初から宣教に熱心で、アメリカ先住民から始まり、米国内だけでなく海外にも宣教師を送り、多くの姉妹教団を設立しています。戦後日本にも大勢の宣教師を送り、日本ルーテル教団を設立しました。
LCMSの神学校に入って驚いたことは、一年生の同期が約60名もおり、それも皆、ルターを心から敬愛する信仰深い学生であったことです。主を賛美する確信に満ちた彼らの歌声には圧倒されました。ある学生は500年前にルターが定めた結婚式式次第に則った結婚式を挙げたいと言い、教授らが協力するということもありました。私の英語は拙く、教授らの講義を十分に聞き取れず、また学友らとも議論できず、もっぱら静かにしていましたが、信仰の上で引け目を感じたことは一度もなく、いつも仲間に入っている感じがしました。皆、私と同じように悔い改めた信仰の持ち主であることがその言動から分かっていたからです。
その170年の歴史を通して、LCMSの神学校の牧師課程を修了した日本人は3人しかいません。一人目は米国で事業家となっており、二人目はLCMSの神学校で教鞭をとっており、三人目は私です。この度、日本ルーテル教団定年退職を機にLCMSのような保守的信仰を持つ教会、即ちルターを心から敬愛する信仰者の集まりを日本に創りたく、新しい教会を立ち上げることに致しました。ルターの宗教改革500周年となるこの記念の年に、それもキリスト教会の誕生日である聖霊降臨祭のこの日に、新教会を設立することができるというのは、奇縁であり、真に神の導きと言うほかございません。
最後に、この教会設立のために祈りを捧げてくださった方々、献金および献品してくださった方々、そしてこの設立献堂式典を共に祝うために出席してくださった皆様の上に、御父、御子、御霊の三位一体の神様の豊かな祝福がありますよう心よりお祈り申し上げます。
2017年6月4日 小針福音ルーテル教会牧師 若林 學