説教全文

2020年11月15日(日) 聖霊降臨後第二十四主日

聖書箇所 説教全文

説教全文

「良い忠実なしもべ」

マタイの福音書25章14~30節

牧師 若林 學

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたの上にありますように。アーメン。

 本日の説教はマタイの福音書25章14節から30節まで。説教題は「良い忠実なしもべ」でございます。本日の話題は「どのようにしたら良い忠実なしもべになることができるのか」です。反対に言うと、「天の御国から追い出されないためにはどのようにしたら良いのか」です。
 先々週11月3日にアメリカ合衆国の大統領選挙が終わり、先週末、全ての州での選挙結果が出そろい、最終的な選挙人の獲得数は、バイデン氏が306人、トランプ氏が232人となりました。先週までの報道では、トランプ氏は法廷闘争をちらつかせ、ホワイトハウスに居座るつもりらしいと聞きましたが、とうとう、ホワイトハウスから追い出されそうです。人生は「引き際が大切だ」と言われます。美しい引き際は後世まで語りつがれますが、醜い引き際は、恥さらし以外の何物でもありません。
 しかし私たちは、この教会暦の「終末節」において、本日の聖書箇所を通して「どのようにしたら天の御国から追い出されない『良い忠実なしもべ』となれるのか」、が問われております。本日の聖書箇所を通してイエス様はその方法を教えておりますので、御言葉に聞いて参りましょう。

 さて、11月1日の全聖徒の日から始まった「終末節」は、来週で終わりとなり、教会暦の一年が終了します。そこで今回の説教を準備するにあたり、先週の説教箇所に続く、本日の聖書箇所、マタイの福音書25章14節から30節を見たら、商売の話が書いてあるではありませんか。先週の説教箇所のともし火をもって花婿を出迎える10人の乙女たちの話と、どのように繋がっているのか、チンプンカンプンでした。この世も終わりとなるこの終末節に、「なんで商売の話なの」、とお話をされたイエス様の意図が汲み取れませんでした。気を取り直して、いつもの如くギリシャ語の翻訳を始めたら、文の初めにギリシャ語の「ガル」という単語が有るのに気づきました。「ガル」は、日本語で「(というのは)・・・であるからです。」という意味の接続詞です。これで分かりました。本日のタラントのお話は、先週の花婿を出迎える10人の乙女たちの話の続きで、特に直前の13節の言葉「目を覚ましていなさい」を説明しているのだ、と分かったのです。イエス様は理由があって、本日の聖書箇所をお話になられたのです。「目を覚ましている」ということが、どのような状態なのかを説明しているのが、本日の聖書箇所なのです。
 こういう大事な言葉の翻訳を無視している点で、日本語訳の聖書は問題が有ります。私たちが今用いている新改訳聖書2017も、以前用いていた新改訳聖書第三版も、この大事な接続詞「ガル」の翻訳を省略していました。新しく聖書を購入した時についていた帯封を見ますと、「②原点に忠実」とうたっているのです。それなのに、どうして原典に忠実に翻訳していないのか不思議です。イエス様はマタイの福音書5章18節で言われました。「まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」こう言う翻訳はとても問題だと私は思っています。

 そこでこのギリシャ語の「ガル」、日本語で「(というのは)・・・であるからです。」を入れて13節から続けて読みますとこの様になります。「ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。というのは、天の御国は、旅に出るにあたり、自分のしもべたちを呼んで財産を預ける人のようであるからです。」
 先週私たちは、10人の乙女が持っているランプの油は「信仰」あるいは「イエス・キリスト」と学びました。イエス様はマタイの福音書5章16節で言われました。この「内なる信仰」あるいは「内なるイエス・キリスト」を燃やして「あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。」この様にイエス様は私たちに良い行いをしなさいと命じられました。この良い行いをするために、イエス様が私たちに与えられたのが、タラントです。
 イエス様はご自分を旅に出る人に例えられ、間もなく天の御国にお帰りになることを示唆されました。そして財産をしもべと言われている弟子たちに預けました。イエス様は弟子たちの能力に応じてご自分の財産を委ねられました。大きな能力のある弟子には5タラント、中くらいの能力のある弟子には2タラント、あまり能力の無い弟子には1タラントです。この5タラント預かった人と2タラント預かった人と1タラント預かった人は、一人一人能力の異なる全てのクリスチャンと見ることができます。このタラントの金額はいくらか分かりますか。15節の脚注を見ますとこの様に書いてあります。「一タラントは六千デナリに相当。一デナリは当時の一日分の賃金に相当。」計算が簡単なように一日分の賃金を一万円とすると、1デナリは一万円で、1タラントは6,000万円となります。ですからしもべたちが預かった金額は、5タラントのしもべが3億円、2タラントのしもべが1億2千万円。1タラントのしもべが6,000万円となります。半端ない金額ですね。またタラントは英語のタレントの語源となっており、「才能」を意味します。商売の才能、芸術の才能、運動の才能、人を教える才能、ものづくりの才能、園芸の才能、政治の才能、研究の才能、発明の才能、家事の才能、語学の才能、その他諸々、様々な才能が有ります。五つの才能を持っている人もいれば、二つの才能を持つ人も居り、中には一つの才能しか持ち合わせていない人もおります。しかし求められていることは、与えられたタラントを使って増やすことです。
 そこで、5タラント預かった人は、直ちに出て行って、商売を始め、他に5タラント儲けました。同じ様に2タラント預かった人も後に続いて出て行き、2タラント儲けました。しかし1タラント預かった者は、最後に出て行って、地面に穴を掘り、主人のお金を隠しました。
 旅に出た主人はかなりの時がたってから帰って来て、しもべたちと清算しました。この「かなりの時」とは、十分長い時間で、大金を預かった者が十分儲けることのできる期間であり、失敗しても立ち直ることのできる期間であり、失敗を悔い改める期間とも言えます。人は、自分が今まで歩んで来た人生は、本当に正しかったのかと反省し、イエス・キリストを信じるようになるためには時間が必要なのです。こういう訳で、主人が旅から帰ってきた時とは、この世の終わりの時を示します。即ちイエス・キリストの再臨の日のことを表しています。この再臨の日、全ての人々はよみがえらされ、イエス様の前に集められます。
 まず5タラント預かった人がイエス様の前に呼び出されて清算をします。彼はこのように言いました。「ご主人様。私に5タラント預けてくださいましたが、ご覧ください、私はほかに5タラントをもうけました。」この5タラント預かったしもべは、預かった3億円を目の前にして、自分を信用して大金を任せてくださった主人に感謝しました。そしてその感謝の気持ちで働いたのです。そうしたら、何と不思議なことに、事業がトントン拍子に進み、そして気が付いてみたら5タラント儲けていました。彼はこの大金を目の前にして、これは自分の力ではない、神様が働いてくださったからだ、と神様を誉め称えたのです。ですから10タラントの大金を目の前に差し出されて、主人は言いました。「よくやった。良い忠実なしもべだ。お前はわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」
 「よくやった。良い忠実なしもべだ。」この言葉は、主人がほめる最大の褒め言葉です。主人は「忠実」という言葉を二度使っています。「忠実なしもべだ。」、「忠実だったから」。この様に与えられた仕事に忠実に行うことが私たちに求められています。これはどの世界においても同じことです。一番嫌われる事は、好い加減に行うことです。忠実に行うためには、知恵が求められており、熱心さが求められており、継続する力が求められています。この様なことは人間の力ではなかなかできることではなく、神様の力、イエス様の力で行う時、可能になります。ですから祈りつつ行うことが求められています。私たちが祈りつつ行ったことは、イエス様の力によって助けられて行なうので、良いと認められ、忠実にやったと受け入れていただけるのです。私たちがこの世で行う仕事は、人に対して行っていますが、実は神様に対して行っているのです。ですから何をするにも祈りつつ行うことが求められています。祈りつつ行ったものは、美しさに溢れています。私たちが祈りをもって行う時、イエス様が私たちの先に立って働いてくださるからです。
 2タラント預かったしもべも、主人の前に儲けた2タラントを差し出して清算し、主人から同じように褒められました。

 さて、最後に1タラント預かったしもべが呼び出され、主人と清算しました。しもべは主人に言いました。「ご主人様。あなた様は蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集める、厳しい方だと分かっていました。それで私は怖くなり、出て行って、あなた様の一タラントを地の中に隠しておきました。ご覧ください、これがあなた様の物です。」こう言ってしもべは土の中に隠していた1タラントを差し出しました。
 このしもべの言葉、「蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集める、厳しい方だと分かっていました。」から、このしもべは自分の主人を、嫉妬深く、自己中心的な異教の神のような受け取り方をしているように見受けられます。つまりこの人は、キリスト教の神様を異教の神々と同じと見ているように見えます。ですからこの人は、恐らく、クリスチャン生活の長い人かもしれませんが、まだ罪の悔い改めの経験がなく、イエス様から罪を赦していただいた喜びを持っておられなかったのでしょう。主人はそのことを知っておられたので、1タラント預けて、どのように儲けるのか見ておられたのだと思われます。案の定、このしもべは1タラントである6,000万円を預かっても、主人のために働く気が起こらず、下手に投資して大損したり、あるいは盗まれたりしてしまうことを恐れ、地面を掘って隠しておいたのです。この人はまだ、イエス様の力でイエス様のために儲けるということを知らなかったようです。
 このしもべに主人は言いました。「悪い、怠け者のしもべだ。私が蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集めると分かっていたというのか。」この言葉は恐ろしい裁きです。「悪い、怠け者のしもべだ。」という言葉は、先の5タラントと2タラント儲けたしもべに与えられた言葉「よくやった。良い忠実なしもべだ。」の全く反対です。クリスチャン生活が長くとも、悔い改めが無いならば、イエス・キリストも異教の神々と同じように、恐ろしい神様にしか見えないのです。ですから、まずイエス様から罪を赦して頂くという経験をすることが求められています。そうすればイエス様は優しい神様だと分かるのです。
 主人はさらに続けました。27節です。「それなら、おまえは私の金を銀行に預けておくべきだった。そうすれば、私が帰って来たとき、私の物を利息とともに返してもらえたのに。」安全な預け先として銀行が有りました。今は超低金利で、大した利息は尽きませんが、かつては年利8%の時代が有りました。もし8%で10年預けておくとすると4800万、12年半で6,000万円になります。1タラント儲けることができます。たとえ低金利の時代でも、元金よりは増やすことが出来ます。この様にイエス様とつながっていれば、色々と知恵が浮かんできます。ですから、なぜ銀行に預けなかったのかとイエス様は問われたのです。
 しかしイエス様の再臨の時となってからは、時すでに遅しです。イエス様は御使いたちに命じました。「だから、そのタラントを彼から取り上げて、十タラント持っている者に与えよ。」その理由は「だれでも持っている者は与えられてもっと豊かになり、持っていない者は持っている物までも取り上げられるのだ。」確かに10タラント持っている者は、儲け方を良く知っているので、無能なしもべの1タラントを受け取り、さらに増やすことができます。しかし持っていない者は、イエス様のために働く気が無いので、宝の持ち腐れになるだけです。「良い忠実なしもべだ」とは預け主の気持ちを第一とするので、多く与えられ、「悪い怠け者のしもべ」とは、主人の帰るのが遅いと知って、何もしていないので、持っていたものまでも取り上げられるのです。

 主人は御使いに命じました。「この役に立たないしもべは外の暗闇に追い出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。」外の暗闇とは地獄のことです。この1タラント預かったしもべは、結局、名前だけのクリスチャンであったことが分かります。

 この終末節の時期、私たちは、心して自分のクリスチャン生活を省みて、果たして自分が2タラントや5タラントを預けられた「良い忠実なしもべ」なのか、それとも、1タラントを預けられた「悪い怠け者のしもべ」なのか、チェックすることが求められています。イエス様は私たち全てに「良い忠実なしもべ」となることを望んでおられます。その為には、私たちは毎日悔い改め、イエス様に罪を赦していただきましょう。そして毎日聖書を読みましょう。私たちが毎日ご飯を食べるように、毎日聖書を読んで、内なる霊の糧とするのです。そして何をするにも祈りをもって、イエス様の力で行いましょう。祈りの無い行いは、自分の力で行うので、美しく無いどころか、良くもありません。しかし祈りをもって行うなら、たとえそれが上手くできなくとも、イエス様が愛(め)でてくださいます。そしてだんだんと上手くできるように導いてくださいます。クリスチャンとは、祈りを通してイエス様とつながっている人のことです。絶えず祈りましょう。そうすれば、喜びに満たされ、感謝に溢れ、「良い忠実なしもべだ」と褒められます。このように、「良い忠実なしもべ」として天の御国から追い出されない、天の御国の永住者とならせていただきましょう。

 全ての人々の考えに勝る神の平安が、あなた方の心と思いを、キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。アーメン。


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