説教全文

2020年12月24日(日) クリスマス・イブ・キャンドル・サービス、降誕祭

聖書箇所 説教全文

説教全文

「飼葉桶に眠る救い主」

ルカの福音書2章1-20節

牧師 若林 學

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたの上にありますように。アーメン。

 皆様、大人の方々は飼葉桶(かいばおけ)を知っていると思いますが、子供の皆さんは知っているでしょうか。私の家は、新潟市中央区関屋大川前で荒物雑貨商を営んでいましたので、私は子供の頃に、飼葉桶に接する機会が有りました。今から60~70年位前の昭和20年代後半から30年代前半の頃、関屋大川前は新潟市の外れで郊外との境目でした。ですから多くの農家の方々が荒物雑貨商を営んでいた私の家の前を通って町へと出掛けて行きました。朝はまだ早いうちに、農家の方々は牛や馬に引かせた荷車の上に野菜や果物を積んで、新潟市の本町で開かれる朝市に売りに行き、帰りは懐にある農産物の売上代金で、うちの店で買い物をして帰っていくのです。そして買い物している間、牛や馬を電柱や柱につないでおいたのです。その間、牛や馬の前には飼葉桶が置かれ、その中に飼料である餌が入れられ、牛や馬はおいしそうにムシャムシャと餌を食べていました。私が見た飼葉桶は、木でできた丸いたらいの形をしていました。私は近寄ってその食べている様子を見ていました。牛や馬が口から唾を垂らして食べているのです。風向きによって飼葉桶からは激しい匂いが漂ってきました。唾液がたっぷりと沁み込んだ飼葉桶の匂いは、とても臭かったことを覚えています。
 多くの農家の方が帰った後、牛や馬の落し物が道路の上に点々としていました。お巡りさんが来て、私の父に、「交通の障害になるから、何とかせい。」と言っていました。農家の方々が帰った後は道路に落ちた糞の掃除で大変でした。何ともゆったりした時代でした。
 この動物の唾液が深くしみ込んだ臭い匂いの飼葉桶に、今から考えると不衛生極まりない飼葉桶に、どうして生まれたばかりのイエス様は横たえられたのでしょうか。その理由をこれから皆さんと共に考えていきましょう。

 さてイエス様のお父さんはヨセフさんで、お母さんはマリアさんでした。二人は幼い時から結婚の約束をしていた関係でしたが、まだ結婚しない内に、マリアさんはお腹に赤ちゃんができてしまいました。父なる神様が造られた神様の受精卵がマリアさんの胎に宿って、赤ちゃんとして成長していたのです。マリアさんは神様に選ばれた、神様の子供を産むお母さんでした。ヨセフさんが名目上のお父さんとなるのは、ヨセフさんが1000年も前のダビデ王の子孫であるからです。救い主はダビデの子孫として生まれるという神様の言葉が実現するためでした。
 もうすぐイエス様が生まれるという頃になって、突然全世界の住民登録をせよとの命令がローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスから下りました。皇帝の命令は絶対的です。逆らうことはできません。それでローマ帝国中の人々がそれぞれ自分の町に帰って行きました。ダビデの子孫ヨセフさんも、お腹の膨れたマリアさんをロバに乗せて、ガリラヤの町ナザレからダビデの町ベツレヘムへ上って行きました。

 ベツレヘムに着くと、宿はどこも満員です。マリアさんが産気づいているというので、宿屋のおかみさんは、止む無く牛や馬がつながれている家畜小屋に二人を泊めることにしたと思われます。赤ちゃんを産むには、そこしか空いていなかったのでしょう。イエス様が生まれた時代より約1500年前のモーセの時代にも、ユダヤ人社会には助産婦さんがいたのですから、もしかしたら宿屋のおかみさんはマリアさんのために、産婆さんを呼んでくれたかもしれませんね。その晩、マリアさんは男の子を産みました。そして生まれたばかりの赤ちゃんは布にくるまれました。きっと産婆さんは赤ちゃんをマリアさんの脇に寝かせたことでしょう。ところがマリアさんは赤ちゃんを「飼葉桶に寝せてちょうだい。」とお願いしました。しかし、普通、生まれたばかりの赤ちゃんはお母さんの脇に寝かされるものです。それなのになぜマリアさんは赤ちゃんを飼葉桶に寝かせたのでしょうか。私はこのように考えます。生まれたばかりのイエス様が、マリアさんの心に働かれて、ご自分を飼葉桶に横たえるようにさせた、と。イエス様は生まれたばかりの赤ちゃんとはいえ、神様です。神様に年齢は関係ありません。神様は永遠のお方です。
 それでは、イエス様はなぜご自分を飼葉桶に寝かせるように指示させたのでしょうか。その第一番目の答えは、イエス様が全ての人の食べ物になるためです。イエス様はヨハネの福音書6章51節で言われました。「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」アンパンマンの頭をかじってもお腹は一杯になりますが、時間が経つとまた空いてきます。しかしイエス様は天から下ってきた生けるパンで、このパンを食べるなら、永遠に生きます。つまりお腹が空かないのです。これは何を言っているのかと言いますと、「イエス様を食べる」とは、「イエス様を信じる」ことを意味します。イエス様を信じれば、永遠に生きる者となるのです。 

 さて、この救い主イエス様が誕生され、飼葉桶に眠っておられる事を、この世の中の人は、誰も知りませんでした。どうしたら多くの人々に知ってもらえるだろうかと神様は考えたのでしょうね。イエス様がお生まれになったその夜、ベツレヘムの郊外には、夜通し羊の群れの番をしながら、野宿している羊飼いたちがいました。神様この羊飼いたちを最初の伝道者たちとして用いられました。まず、御使いガブリエルが羊飼いたちの所に来て、サーチライトのように、羊飼いたちの周りを、「主の栄光」という強い光で天から照らしたのです。この突然の光にびっくりしたのは羊飼いたちです。真夜中に天から光が照るなんて、何事が起ったのかと恐れました。
 この羊飼いたちがいた場所は「羊飼いの野」という名前が付けられた場所で、私たち夫婦はそこを7年前に訪れました。そこは谷に向かって傾斜している草の良く茂った野原でした。そして谷の向こう側にはエルサレムの町が見えました。
 この驚いている羊飼いたちに御使いは言いました。ルカの福音書2章10節から12節です。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」この御使いの言葉から、赤ちゃんのイエス様が飼葉桶に横たえられた理由が分かります。御使いガブリエルは言いました。「私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。」「この民全体」とは一見ユダヤ民族のことのように見えますが、イエス様はユダヤ人のためだけに与えられたのではありません。人類全体に与えられたのです。どんなに貧乏な人でも、どんなに多くの罪を犯していても、どんなに身分が低くとも、どんなに能力が無くとも、罪を悔い改めてイエス様を信じることによって、等しく罪の滅びから救われるためなのです。そして天の御国に迎え入れられるためなのです。ですからイエス様は、牛馬のように働かなくては食べることのできない貧乏な人でも、ご自分を食べることができるようにと、飼葉桶に横たわられたのです。このようにイエス様は、どんなに貧しい人でも、ご自分を信じれば、罪が全て赦(ゆる)され、罪の滅びから救われるようになるために、このクリスマス日に、飼葉桶に眠られました。
 この羊飼いたちがいた野原からベツレヘムの町までの距離はかなりありました。羊飼いたちは行こうか行くまいか迷ったことでしょう。一時的に羊を野原に残していることになるからです。すると突然その御使いガブリエルと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神様を賛美したのです。「いと高きところで、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」天の軍勢はこのように言っていました。「御使いの言った言葉を信じることは神様に栄光を捧げることですよ。信じる人の心には平和が訪れますよ。」この御使いたちに励まされて、羊飼いたちは重い腰を上げました。

 16節です。「そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた」のです。羊飼いたちは、生まれたての赤ん坊がまさか飼葉桶に寝ているなんてありえないと思ったことでしょう。ですからこの羊飼いたちの「急いで行った」という行動からは、それを確かめたくて、「急いで行った」ことが分かるのです。このことは急いで会いに行く必要のある『飼葉桶に眠る救い主』とは、『生きている今信じなければならない御方である』ことを意味しています。私たちの一生は長くて120年、多くの人はその前に死んでしまいます。生きている今信じなければ、一体何時信じるというのでしょうか。死んでからでは誰も信じることができません。
 夜中です。羊飼いたちは、宿屋の家畜小屋でまだ明かりのついている家畜小屋を一つ一つ見て行きました。そしてとうとう飼葉桶に寝ておられるみどりごイエス様を見つけたのです。羊飼いたちは、まさにあり得ない光景を目にして、イエス様を礼拝しました。その光景とは、まさに御使いが告げた通り、飼葉桶に赤ちゃんが寝ていたのです。
 羊飼いたちは、御使いの言った通りだと、そのあり得ない光景を目の前にして、驚きと、喜びの歓声を上げました。その羊飼いたちの歓声に、宿屋に泊まっていた人々が出てきました。その人たちに羊飼いたちは言いました。「私たちが野原で羊の番をしていると、御使いが現れて、救い主が今日生まれ、飼葉桶に寝ていると私たちに知らせ、そして天に大軍勢の御使いたちが現れ、神様を賛美していたのだ。」と話したのです。
 マリアさんは、羊飼いたちの言葉を全て心に納めて、思い巡らしていました。一方羊飼いたちは、見聞きしたことが全て御使いの話の通りだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行きました。羊飼いたちはイエス様を信じたのです。

 なぜイエス様は飼葉桶に眠られたのでしょうか。「飼葉桶に眠る救い主」とは、第一に、イエス様は私たち人間の霊的な食べ物であって、信じることによって私たちを永遠に生かす食べ物であることを表しています。第二に、イエス様はこの世のどのような境遇にいる人でも食べることのできるパンであることを示しています。つまり、どんな人でも信じることによって、罪赦され、永遠の命が与えられるのです。第三に、イエス様は私たちが生きている今信じなければならないお方です。私たちがまだまだ自分は生きることができると思っている内に、私たちの終わりは突然やって来ます。このコロナ・ウィルス感染症が猛威を振るっている昨今、多くの人がこの伝染病に掛かり、その中には突然亡くなってしまわれる方々が少なからずおられます。羊飼いたちが急いで行って、「飼葉桶に眠る救い主」を探し当てたように、私たちも生きている今、イエス様を捜し当て、信じる者とならせていただきましょう。既に信じている人は、羊飼い達が多くの人々に『飼葉桶に眠る救い主』を宣べ伝えたように、多くの人にイエス様のことをお知らせしましょう。

 全ての人々の考えに勝る神の平安が、あなた方の心と思いを、キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。アーメン。

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