説教全文

2021年2月7日(日) 顕現後第五主日

書箇所 説教全文

説教全文

「私はそこでも福音を伝えよう」

マルコの福音書1章29-39節

牧師 若林 學

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたの上にありますように。アーメン。

 私がアメリカ・インディアナ州、フォート・ウェイン市にあるコンコルディア神学校に入学願書を送ったのは、今から25年ほど前の1996年1月の事でした。しばらくしたら封書が届きまして、3月に開かれるキャンパス・ビジットへの招待状が入っていました。いわゆる大学訪問です。私は参加を申し込み、その日を待ちました。初めてのアメリカ旅行でした。フォート・ウェインに行くにはシカゴで乗り換えなくてはなりません。緊張のせいか、お腹をこわしてしまい、シカゴの空港でトイレに入っている間に、目的地であるフォート・ウェイン行きの飛行機が間もなく出発するというアナウンスを聞きました。私の時計を見ると出発は、あと1時間後のはずでした。変だなと思いつつ、トイレを出て空港の時計を見ると、なんとシカゴは4日前から夏時間に切り替わっていて、1時間早まっていたのです。それで私は、予定の便に乗りそびれ、次の飛行機を待たなければならないというハプニングに見舞われました。目的地のフォート・ウェイン空港に着いた時、私を迎えに来た人はもういないと諦めていたのですが、なんと出迎えの人が私を待っていてくれたのです。私は神様の守りと導きに感謝しました。空港から神学校までは30分ほどかかりました。神学校の正門を入ると、神学校の建屋迄長々と道が続いていました。私を乗せた車は、その道を走りました。車の窓から見ると、道の端に沿ってポールが建てられていて、そのポールに縦長の旗が取り付けられていました。その旗には英語とギリシャ語でこの様に書いてありました。「宣教150周年、『御言葉を宣べ伝えなさい。』テモテ第Ⅱ4:2」の文字が書いてありました。テモテ第Ⅱ4:2の御言葉は「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」です。私はこの旗印を見て、「この神学校は、御言葉の宣教をモットーにしている神学校なんだ」、という強い印象を抱きました。

 さて先週の聖書箇所で私たちは、安息日にイエス様がカペナウムの町の会堂に入られて、権威ある説教をし、悪霊を追い出された話を聞きました。カペナウムの人々は、イエス様の教えに大変驚きました。律法学者の説教とは、全く違っていたからでした。
 カペナウムの人々は、この新しくこの町に移って来られた人は、すごい力を持っている大先生だと、知ったのです。このニュースはたちまちカペナウム中に広がりました。
 会堂での礼拝が終わると、イエス様と弟子たちは、一緒にいたシモンから食事会に招待されたのでしょう、皆でシモンとアンデレの家に向かいました。しかし、この29節の言葉を聞いて「おやっ」と思った方は、記憶力がいいですね。ヨハネの福音書1章44節ではピリポについてこのように書いてあるからです。「彼(ピリポ)はベツサイダの人で、アンデレやペテロ(シモン)と同じ町の出身であった。」この聖書の記述によれば、シモンとアンデレの家はベツサイダのはずです。しかしマルコの福音書1章29節には、「一行は会堂を出るとすぐに、シモンとアンデレの家に入った。」と書いてあります。この言葉によると、シモンとアンデレの家はカペナウムにあることになります。この両者の違いの辻褄合わせるには、想像力が必要です。解決の鍵は30節にあります。「シモンの姑が熱を出して横になっていた。」と書いてあります。姑というのはシモンから見たら、妻のお母さんです。つまりシモンは結婚しており、妻帯者であったということが分かります。ひょっとしたらシモンの奥さんはカペナウムの人だったのかもしれません。そうするとシモンとアンデレは、シモンの奥さんの実家に居候していた、とも考えられます。イエス様も、ナザレからカペナウムに引越して来ておられますから、シモンとアンデレもイエス様に合わせてカペナウムにあるシモンの妻の実家に移って来たと考えられます。イエス様と一緒に活動したいシモンとアンデレにとっては都合のよい事でした。ですから今回シモンはイエス様を自分の妻の実家の食事会に招待した、と思われます。
 ところが、イエス様の御一行がシモンとアンデレが家に着いてみると、シモンの姑が熱を出して寝込んでいたのです。食事会どころではありません。きっとシモンとアンデレはこのことをイエス様に告げて、食事会を延期しようとしたことでしょう。しかし、イエス様はシモンの姑のそばに近寄り、彼女の手を取って起こされました。すると、姑の熱は直ちに引いていったのです。そうしたらなんと、姑は、何もなかったかのように、すっと立ち上がり、娘であるシモンの奥さんと一緒に料理を並べ、お客さんをもてなしました。先の会堂での悪霊の追い出しと言い、今回の姑の熱病の癒しと言い、神様の癒しは一瞬ですね。いかにイエス様が全能の力を持っておられるかが良く分かります。私たちはこの様に全能の力を持つお方を信じているのです。ですから私たちも病気になったら、イエス様に癒しをお願いしましょう。

 楽しい食事会が終わりに近づく頃、32節の文頭に書いてあるように、「夕方になり、日が沈」みました。この「日が沈む」という言葉は、労働禁止の戒めに縛られている安息日が終わったということを表しています。そして32節の続きと33節には「人々は病人や悪霊につかれた人をみな、イエスのもとに連れてきた。こうして町中の人が戸口に集まって来た。」と書いてあります。極端な言い方をすれば、カペナウムの町の全ての家庭には、病気の人や悪霊に憑かれている人がいて、病人がいない家は無かったということになります。ですからシモンとアンデレの家の前の通りだけでなく、道という道は病人と悪霊に憑かれた人を連れた家族でびっしりと埋め尽くされ、人々はイエス様のおられる家の戸口まで迫っていたのです。集まった人々は、いつイエス様は出て来られるのだろうかとささやき合っていたことと思われます。
 イエス様はご自分を求めて待っている人々をご覧になって哀れに思い、様々な病気に罹っている多くの人々を癒されました。癒された人とその家族はとても喜んだでしょうね。無料で、それも完全に癒されたわけですから、その喜びは半端でなかったことは想像に難くありません。
 というのは、イエス様の時代にも医者はいましたが、医学が進んだ現代とは違い、医者とは名ばかりで、医者にかかればかかるほど悪くなり、おまけに多額の治療費を請求されて、中には財産を失う人もいて、人々は本当に困り果てていた時代でした。マルコの福音書5章25節から29節に、12年間長血を患っていた女性のお話が出てきます。その26節にはこのように書いてあります。「彼女は多くの医者からひどい目にあわされて、持っている物をすべて使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。」でもこの女性は、イエス様の後ろから、イエス様の衣に触れただけで、癒されました。「『あの方の衣にでも触れれば、私は救われる』と思っていたからである。」と書いてあります。信仰の持つ力はすごいですね。信仰はイエス・キリストと信仰者を繋ぐパイプであり、受け取る手です。このパイプである手を通して癒しが行われるのです。
 カペナウムの人々が、この長血の女性と同じ信仰に立てるようにと、イエス様は、悪霊どもがものを言うことをおゆるしになりませんでした。それは、先週の説教でお話ししたように、悪霊どもはイエス様の事を良く知っており、人々がその悪霊に教えられて、御自分を信じるようになって欲しくはなかったのです。あくまでも病気を癒された感謝の気持ちから、また悪霊を追い出していただいた喜びの気持ちから、この様なことができる方は、神様をおいて他にはいないと確信し、その確信に導かれて、ご自分を信じるようになることを望んでおられたのです。
 このイエス様の願い通り、カペナウムの癒された病人たちや、悪霊を追い出していただいた人々は、イエス様を信じるようになったでしょうか。大変残念ながら、本日の聖書箇所には、カペナウムの人々が病を癒していただいたことを奇跡と感じて、イエス様を信じた、とは記されていません。病人たちや悪霊に悩まされていた人たちは、病気を癒され、悪霊を追い出していただくと、イエス様に「ありがとうございます」と、感謝の気持ちを口にしたとは思われますが、残念ながら、イエス様が神様であると認め、イエス様を信じた人は一人もいませんでした。なぜならイエス様はまことの神様ですが、まことの人間でもあったからです。カペナウムの人々は、イエス様がどんな病気でも癒すことのできる人間の名医だとばかり思っており、神様であるとは、誰も気付きませんでした。常識と言うものは恐ろしいものです。私たち日本人も同じではないでしょうか。幼い頃から進化論の考え方に染まり、人体のすばらしさに圧倒されてはいるものの、そこで思考停止しているのです。話を元に戻しまして、ですから、イエス様はカペナウムに対して、マタイの福音書11章23節でこのような滅びの宣告を行っておられます。「カペナウム、おまえが天に上げられることがあるだろうか。よみにまで落とされるのだ。おまえのうちで行われた力あるわざがソドムで行われていたら、ソドムは今日まで残っていたことだろう。」この滅びの宣告からわかることは、カペナウムの町が、ソドムやゴモラよりもさらに悪い、不信仰と不道徳の町だったということです。
 何度もお話ししていますが、私たちがイスラエル巡礼の旅をしたとき、カペナウムを訪れました。しかしそこには崩れて屋根のない会堂跡や、シモンの家と目される発掘された廃墟が有り、その廃墟の上に教会が建てられていました。カペナウムは7世紀頃までは人が住んでいたようですが、それ以後、2000年後の今に至るまで、廃墟なのです。イエス様の呪いは本当です。ですからイエス様のお名前を通して病気が癒されたら、イエス様を神様と信じ、その偉大な力に賛美を捧げましょう。

 その夜、イエス様はシモンとアンデレの家に泊まりました。イエス様もカペナウムに家をお持ちでしたが、その晩シモンとアンデレ家に泊まったのは、半端でない数の病人の癒しで、夜遅くなったためと思われます。しかしイエス様は、次の朝、まだ夜明け前に起きて、人気のない所に出て行かれ、即ちカペナウムの町中から出て行かれ、人に邪魔されない所で祈っておられました。今後の宣教方針を父なる神様と相談しておられたのではないでしょうか。その祈りが終わるころ、シモンその仲間たちがイエス様の後を追って来て、「皆があなたを捜しています。(マルコ1:37)」と告げに来ました。昨晩行なわれた大勢のカペナウムの病人の癒しから、「イエス様は無料で、どんな病気も癒してくださる。」というニュースが、その夜たちまちの内に近隣の町や村にまで広まったので、その町や村の病人が、まだイエス様がおられる内にと、朝早く集まってきたのだと思われます。

 しかしイエス様は言われました。38節です。「さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。」イエス様がこの様に言われたのは、「カペナウムの会堂では御国の福音を宣べ伝え、カペナウムの町の全ての住民の病気を癒し、全ての悪霊を追い出してあげたけれども、しかし他の町や村には、まだ神の国の恵みが注がれていない。その町や村にも私は御国の福音を宣べ伝え、病人の癒しと悪霊の追い出しの恵みを注いであげなければならない。」、という宣教の使命をお持ちだからなのです。そしてイエス様は、「ご自分の福音を聞いて、信じる、信じないは聞く本人の自由である。しかし、御国の福音を聞くチャンスが与えられないのは不公平である。その聞くチャンスを平等に与えるために『わたしは出て来た』のだ。」、と弟子たちに言われたのです。

 この様にイエス様は、神の国の福音を平等に広く宣べ伝えなければならないと言われます。それは福音を聞くチャンスを全ての人々に平等に与えるためであり、人が福音を聞くチャンスが無くて、信じることができずに地獄に落ちてしまうことを、なんとしても避けさせるためでした。その為にイエス様は「私はそこでも福音を伝えよう(マルコ1:38)」と言われました。ですから、私たちも周りの人々だけでなく、広く多くの人々に福音を伝えましょう。「悔い改めて、イエス・キリストを信じれば救われる」と宣べ伝えるのです。宣べ伝えたからと言って、人はすぐに信じるわけではありません。しかし宣べ伝えなければ、信じるチャンスが与えられないことは確かです。ですから、私たちは、結果は全て神様に委ね、イエス様が「私はそこでも福音を伝えよう」と言われた様に、とにかく広く多くの人に福音を宣べ伝えましょう。

 全ての人々の考えに勝る神の平安が、あなた方の心と思いを、キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。アーメン。

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