2021年4月2日(金) 聖金曜日
聖書箇所 | 説教全文 |
---|
説教全文
「『完了した』と言われた」
ヨハネの福音書19章17-30節
牧師 若林 學
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたの上にありますように。アーメン。
2月17日の「灰の水曜日」から始まった40日間の受難節も明日の土曜日が最後となりました。今から約2,000年前の土曜日から始まるユダヤ人の最大の祭りである過越の祭りの前日にあたる本日金曜日、私たちの主イエス・キリストは、エルサレムの町の外にあるゴルゴダの丘で十字架につけられ、罪人のように死んで行かれました。
イエス様が十字架につけられ、そして復活なさることは、イエス様の当時に唯一の聖書であった旧約聖書の中に全て預言されており、イエス様御自身が旧約聖書の言葉を引用されて、これから御自分の身に起こる出来事を話しておられました。イエス様は人間でありますが、同時に人間を創造された全能の神様でもありました。ですから何でもお出来になりました。不可能なことは一つもありませんでした。当然十字架の死をも避けることができました。人間を支配することもできました。基本的に死ぬことのないお方ですが、それなのにどうして自ら進んで十字架につかり、死んで行かれたのでしょうか。そのことを本日の聖書の御言葉に聞いて参りましょう。
イエス様は今から約2000年前の昨日の木曜日、エルサレムの町の中のある家で、弟子たちと共に最後の晩餐を取られました(マルコ14:22-25)。そしてヨハネの福音書18章を見ますと、その後、ゲッセマネの園に出て行かれ、そこで祈っておられる時、十二弟子の一人であるイスカリオテのユダに手引きされてやって来た一隊の兵士と下役どもに捕まりました。その後、まず大祭司カヤパの舅であるアンナスの所に連れて行かれて尋問を受け、次に大祭司カヤパの家に送られて尋問を受け、そして明け方にローマ帝国ユダヤ属州の総督官邸に連れて行かれて、総督ピラトに引き渡されて尋問を受けました。ルカの福音書22章66節を見ますと、ユダヤ人たちはイエス様を総督ピラトに引き渡す前に、サンへドリンと呼ばれるユダヤの最高法院に連れて行き、そこでも尋問したことが分かります。この様に3回にも渡ってユダヤ人たちはイエス様を尋問しましたが、ローマ帝国の総督に提訴する告発状を書くことができないまま、総督ピラトのもとへイエス様を連れて行かざるをえませんでした。
ユダヤ人達から、告発状も無しにイエス様を死刑にするように求められた総督ピラトは、ユダヤ人たちにこのように問うています。ヨハネの福音書18章29~31節です。「それで、ピラトは外に出て、彼らのところに来て言った。『この人に対して何を告発するのか。』彼らは答えた。『この人が悪いことをしていなければ、あなたに引き渡したりはしません。』そこで、ピラトは言った。『おまえたちがこの人を引き取り、自分たちの律法にしたがって裁くがよい。』ユダヤ人たちは言った。『私たちはだれも死刑にすることが許されていません。』」このユダヤ人の告発理由は「この人が悪いことをしていなければ、あなたに引き渡したりはしません。」です。何というあやふやな告発理由でしょうか。ユダヤ人たちは、自分たちの律法に従っても、ローマ帝国の法律に従っても、それらの法律に抵触する罪をイエス様の内に指摘することができなかったのです。おまけにユダヤ人たちの最後の言葉は嘘ですね。彼らは石打の刑という人を死刑にする律法を持っていました。事実、使徒の働き7章58節には、ユダヤ人がステパノに石を投げて、殺害している様子が記録されています。また聖書にはユダヤ人たちがイエス様を石打ちにしようしたことが2回書かれています(ヨハネ8:59、10:31)。しかし、イエス様は身を隠されてしまい、ユダヤ人たちはイエス様を石打ちで殺害することができませんでした。そういうわけでイエス様を殺すためにユダヤ人たちに残されていた方法は、ローマ総督の手によってイエス様を亡き者にする手段だけだったのです。
総督ピラトは、ユダヤ人がなぜイエス様を自分に押し付けて来たのかを知っていました。マタイの福音書 27章18節にはこの様に書いてあります。「ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことを知っていたのである。」告発理由も無く、単なる妬みからイエス様を死刑にしろと押し付けられた総督ピラトは止む無く、自分でイエス様を直接尋問しなければなりませんでした。ヨハネの福音書18章37節です。「ピラトはイエスに言った。『それでは、あなたは王なのか。』イエスは答えられた。『わたしが王であることは、あなたの言うとおりです。』」このイエス様の言葉から、総督ピラトはイエス様が「ユダヤ人の王」であるという確信を抱いたのです。ピラトはイエス様の釈放を試みましたが、ユダヤ人たちの激しい抗議に負け、裁判を行い、イエス様を十字架に付けるようにと引き渡しました。そしてイエス様の罪状書きを「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」としたのです。イエス様は十字架を負って、総督官邸からゴルゴタへと出て行かれました。
さて、イエス様と二人の罪人は、イエス様を真ん中にして、並んで十字架に付けられました。マルコの福音書15章25節を見ますと、兵士たちがイエス様を十字架に付けたのは「午前9時であった。」と記されています。イエス様の十字架の両脇に付けられた罪人は、マタイの福音書27章38節を見ると「二人の強盗」であったと書いてあります。二人の強盗に挟まれたイエス様は、あたかも強盗の親分のように見えます。イエス様がなぜ強盗共と一緒に十字架につけられたのか、その理由がルカの福音書22章37節に書いてあります。「あなたがたに言いますが、『彼は不法な者たちとともに数えられた』と書かれていること、それがわたしに必ず実現します。わたしに関わることは実現するのです。」そしてこのことがどこで預言されているのかといいますと、イザヤ書53章12節です。そこをお読みいたします。「それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」これを書いた預言者イザヤは紀元前約700年前に南ユダ王国で活躍しました。ですから、既に紀元前700年前に、イエス様が強盗共の一人と数えられて死ぬことが預言されていたのです。そしてその理由も書いてあります。「彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」イエス様が十字架につけられたのは、身代わりとして多くの人の罪を負うためであり、背いた者たち、即ち罪を犯した者たちのためにとりなしをするためだ、というのです。「とりなす」という言葉は国語辞典を見ますと「対立する二者の間に入って、事態が好転するようにうまく取り計らう。」と書いてあります。イエス様が父なる神様と御自分を信じる罪びととの間に入られて、この罪びとのためにも私が死んだのですから、もうこの人には罪が有りません、と取り計らってくださると言うのです。なんと素晴らしいことが書いてあることでしょうか。イエス様が来られる700年前に既に、私達人間のためにとりなすという、イエス様の役割が定まっていたということが分かります。そしてこの預言された役割に従って、イエス様は自ら十字架に掛かられたことが分かります。
兵士たちはイエス様を十字架につけ終えると、最後に罪状書きを十字架に掲げました。罪状書きは、総督ピラトが書いたか、あるいは部下に書かせて総督が了承したものです。先程も言いましたがその言葉は、「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」です。この罪状書きによって「ナザレ人イエスは、ユダヤ人の王である。」と宣言されています。ですからこれはもはや罪状書きではなく、称号です。卑近な例で申し訳ありませんが、「小針福音ルーテル教会の牧師、若林學」というのと同じです。さらにこの称号には「ナザレ人」という言葉が入っています。なぜ総督ピラトはこの「ナザレ人イエス」という言葉を、称号の中に入れたのでしょうか。総督ピラトは、イエス様の取り調べを通して、イエス様がこの世の王でないと確信を抱きました。ヨハネの福音書18章36節でイエス様は総督ピラトにこのように返事をしています。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」総督ピラトはこのイエス様の言葉によって、イエス様が政治的なユダヤ人の王様ではなく、宗教的なユダヤ人の王様であると確信したのです。後はどうやってこの「宗教的なユダヤ人の王様」を罪状書きに表すかです。ルカの福音書23章5節から7節を見ますと、総督ピラトはユダヤ人達とのやり取りで、イエス様がガリラヤ人であることを知ります。多分部下に、ガリラヤのどこの町の出なのかさらに調べさせたことでしょう。そしてイエス様の出身地がガリラヤのナザレと聞き出したのだと思われます。「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」(ヨハネ1:46)と、イエス様の弟子となったナタナエルが言っていたように、ナザレの町から政治的なリーダーは出ないというのが一般常識だったようです。それでヘロデは「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」という罪状を確定しました。
総督ピラトはこの罪状書きをユダヤ人が話すヘブライ語だけでなく、ローマ帝国の公用語であるラテン語と、一般民衆も話すギリシャ語の3カ国語で書かせました。総督ピラトは、この罪状書きを用いて、イエス様が「ユダヤ人の王であって、無罪であるけれども、訳あって十字架刑に処せられた。」という、彼の苦しい胸の内を明かしていました。
しかしユダヤ人たちは、そんな風に書かれたら、自分たちの面目が立たないじゃないかとばかり、総督ピラトに食って掛かりました。「ユダヤ人の王と書かないで、この者はユダヤ人の王と自称したと書いてください。」しかし総督ピラトはにべもなく却下しました。「私が書いたものは、私が書いたのだ(直訳)。」と言って、自分が責任を取るから、お前たちもそれなりの責任を取れと暗に示しました。
一方、兵士たちはいつもの如く着々とイエス様を十字架につけ、その十字架を立て終えました。その後、兵士たちは囚人の着物を分け合いました。イエス様の上着は四つに分けましたが、下着は上から下まで縫い目なしの織物だったので、分けないでくじを引くことにしました。このことがダビデ王の詠んだ詩篇22篇18節に載っているのです。詩篇22編18節をお読みいたします。「彼らは私の衣服を分け合い私の衣をくじ引きにします。」先の預言者イザヤは紀元前700年前の人ですが、ダビデ王は紀元前1000年頃の人です。そんな昔からイエス様の十字架の死は、まるで今見ているかのように細かい所まで預言されていたのです。
マタイの福音書27章45節には「さて、12時から午後3時まで闇が全地をおおった。」と記されています。多分急に闇におおわれて人々は恐れ、十字架見物を止めて、家路についたと思われます。あたりがシーンと静かになりました。するとイエス様は、お母さんとそのそばに立っている愛する弟子を見て、「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です。(ヨハネ19:26)」と言い、それからその弟子に、「ご覧なさい。あなたの母です。」と言われました。イエス様はご自分を生んでくれたお母さんを、実の弟たちに委ねることを危ぶまれたのでしょう。ですから最も信頼できる愛する弟子ヨハネに託したと思われます。ヨハネはマリアさんをその時から自分の所に引き取りました。イエス様はご自分の死後、お母さんの行く末を心配しておられたことが分かります。でもヨハネに託することができて、安心することができました。
それからイエス様は全ての事が完了したのを知って、聖書が成就するために「わたしは渇く。」と言われました(ヨハネ19:28)。このイエス様の言葉を聞いた兵士たちは、ヒソプの枝の先に着けた海綿に酸いぶどう酒をたっぷりしみこませ、イエス様の口もとに差し出しました。イエス様は酸いぶどう酒を受け取られると、「完了した。」と言われ、頭を垂れて霊を父なる神様にお渡しになりました。
先週3月21日の説教で、私達はマルコの福音書10勝38節の言葉からイエス様の飲む杯やイエス様が受けるバプテスマについて学びました。マルコ10章38節にはこのように書いてあります。「しかし、イエスは彼らに言われた。『あなたがたは、自分が何を求めているのか分かっていません。わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができますか。』」その時私はこのように言いました。「洗礼式も聖餐式も儀式ですが、それは罪の赦(ゆる)しと結びついている大切な儀式なのです。この二つの儀式を通してクリスチャンは罪の赦しを得て、日々天の御国に入り、神様に守られた生活を送ることができるのです。」キリスト教で行う洗礼と聖餐式はキリスト教の中で特に大切な礼典です。それは、洗礼も聖餐式も罪の赦しを与える儀式であるからです。私達人間が洗礼を受ける時、私達の罪は水で洗い流され、その罪は洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた神の子、イエス様の頭の上に注がれるのです。ですから「水と御言葉」という媒体によって私達はイエス様と繋がっているのです。そしてまた私たちが聖餐式でいただくパンとぶどう酒も罪の赦しを与えるものです。私たちの罪はどこへ行くのでしょうか。そうです。イエス様が十字架の上で飲まれた最後の酸いぶどう酒に注ぎ込まれ、イエス様の体の中に入り、イエス様は私達の罪の身代わりに死なれたのです。ですから洗礼式の水は約束の御言葉が伴っているからただの水ではなく、聖餐式のパンとぶどう酒も御言葉が伴っているからただのパンとぶどう酒ではないのです。このように、洗礼式や聖餐式は儀式ではありますが、とても重要な中身が詰まっている儀式なのです。罪の赦しは神様が行われるからこそ可能なのです。こうして私たちの罪の贖(あがな)いをするためにこの世に生まれて来られたイエス様の任務は、ヨルダン川で洗礼を受けられて救い主となられ、そしてゴルゴダの丘の上で十字架につけられて酸いぶどう酒を飲まれた時に完了したのです。
イエス様は酸いぶどう酒を受け取られると、「完了した。」と言われ、頭を垂れて霊を父なる神様にお渡しになりました。日本人の私達は死ぬことを「息を引き取る」と言います。ヘブル語も、ギリシャ語も、空気、息、霊は同じ名前です。ヘブル語では「ルーアハ」と言い、ギリシャ語では「プニューマ」と言います。ですからイエス様は霊を父なる神様にお渡しになり、息を引き取られました。亡くなられたのです。午後3時頃のことでした。この後イエス様はお墓に葬られました。
この様に、イエス様は自ら進んで私達全人類の罪を負い、私達の罪の身代わりとなって、十字架の上で死ぬという任務を完了して下さいました。それはイエス・キリストを信じて、イエス・キリストが自分の罪を贖ってくださったと受け取る人の罪を赦すためでした。人間は罪を犯し易い生き物です。そのままでは誰も天国に行くことができません。そこで父なる神様は、御子イエス様をこの世に送り、私達の人類すべての罪をイエス様に負わせ、十字架につけ、私達人間の代わりに、罪の贖いを成し遂げてくださいました。この身代わりの死を信じる人の罪を全て赦すことにされたのです。しかし、いくらイエス・キリストを信じていても、私達は日々罪を犯すものです。けれども神様は、私達が悔い改めてイエス・キリストに罪の赦しを願うなら、二つ返事で私たちの罪を赦して下さるのです。この様にして、私達人間と神様との距離を限りなく縮めてくださったのがイエス様の十字架の死でした。後はイエス様の死を自分の罪の身代わりとして受け取り、イエス様を信じることが私たち人間に求められています。イエス様は今日、私達の罪のために十字架につけられ、その任務を完了されて、お墓の中で横たえられました。ですから、私達の罪の身代わりになられたお方を信じ、神様と平安に過ごせるようにしてくださった方を何時も身近に感じてこの世を過ごさせていただきましょう。
全ての人々の考えに勝る神の平安が、あなた方の心と思いを、キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。アーメン。
©2021 Rev. Manabu Wakabayashi, All rights reserved.
聖書箇所 | 説教全文 |
---|