説教全文

2021年7月4日(日) 聖霊降臨後第六主日

聖書箇所 説教全文

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「人々が悔い改めるように宣べ伝えた」

マルコの福音書6章1-13節

牧師 若林 學

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたの上にありますように。アーメン。

 今朝の説教は聖マルコの福音書6章1節から13節より、説教題は「人々が悔い改めるように宣べ伝えた」でございます。本日の説教題は本日の聖書箇所であります6章12節から取らせていただきました。本日の聖書箇所には、使徒として選ばれた12人の弟子たちが、イエス様から宣教の心得を伝授していただき、宣教に遣わされた時、何を中心に宣べ伝えたのかが記されています。それは「悔い改め」です。弟子たちは「人々が悔い改めるように宣べ伝え」ました。マルコの福音書1章15節には、イエス様が宣教開始された時の第一声が記されています。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」さらにマタイの福音書3章2節を見ますと、洗礼者ヨハネが洗礼を施すためにユダヤの荒野に現れて、人々に言われた言葉が、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」でした。
 この洗礼者ヨハネの洗礼開始の第一声といい、イエス様の宣教開始の第一声といい、今回の弟子たちの宣教の言葉といい、宣べ伝える言葉は「悔い改め」でなければならないということが分かります。そこで本日は、なぜ「悔い改めることが」私たち人間にとって必要なことなのか、その理由が本日の聖書箇所に書いてありますので、御言葉に聞いていきたいと思います。

 イエス様の両親であるヨセフさんとマリアさんは二人ともナザレの町の人達でした。ルカの福音書2章39節にこのように書いてあります。「両親は、主の律法にしたがってすべてのことを成し遂げたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰って行った。」イエス様の両親にとってナザレの町は「自分たちの町」、自分たちの故郷だったのです。イエス様御自身は、皇帝アウグストゥスの住民登録の勅令によって、両親が先祖の出身地であるベツレヘムで過ごしている間にお生まれになり、ヘロデ大王による殺害を逃れるためにエジプトに逃れて幼少期を過ごし、ヘロデ大王が亡くなると、両親の故郷であるナザレの町に連れて来られ、ナザレの町で育ち、そして大人になって、ナザレの町で大工として働いていました。ですからナザレの人々は両親の事もイエス様の事も、その家族構成も良く知っていました。本日の聖書箇所である3節に書いてあるように、ナザレの人々はイエス様の家族構成を空で言うことができました。「この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか。」このナザレの人々の言葉には、お父さんのヨセフさんの名前が入っていません。ですから、ヨセフさんはこの時既に亡くなっていたことが分かります。
 イエス様は30歳になられた頃、宣教活動を開始するために、一家をナザレに残してガリラヤ湖畔のカペナウムに来て住まわれました。今でいう単身赴任ですね。(マタイ4:13)。まずヨルダン川で洗礼者ヨハネを通して知り合った弟子たちを集められ(マルコ1:16~20)、次に安息日に会堂で教えられ、そして教え終わられると、汚れた霊に取りつかれた人から、その汚れた霊を追い出され(1:23~27)、ご自分の家の前に集まって来た様々な病気に罹っている人々を癒され(1:34)、ツァラアトに冒された人を癒されました(1:40~42)。このようにイエス様は、ガリラヤ全域に渡って、会堂で宣べ伝え、悪霊を追い出していました(1:39)。そのイエス様の教えと癒しの結果、マルコ1章28節を見ますと、「こうして、イエスの評判はすぐに、ガリラヤ周辺の全域、いたるところに広まった」のです。このほかにも中風の人の癒しや(2:3~12)、片手の萎えた人の癒しも行なわれたので(3:1~5)、イエス様の評判はますます広まりました。マルコの福音書3章7節と8節を見ますとこの様に書いてあります。「それから、イエスは弟子たちとともに湖の方に退かれた。すると、ガリラヤから出て来た非常に大勢の人々がついて来た。また、ユダヤから、エルサレムから、イドマヤから、ヨルダンの川向こうや、ツロ、シドンのあたりからも、非常に大勢の人々が、イエスが行っておられることを聞いて、みもとにやって来た。」この様にイエス様の評判はガリラヤ地方だけに留まらず、ユダヤの国全土とその周辺地域にまで及んでいたことが分かります。

 イエス様はまずこの様な実績を造られてから、本日故郷のナザレの会堂を訪れました。ナザレの会堂司は、地元出身でユダヤ全土にその名が鳴り響いていた方が訪れて来たので、「是非とも奨励をしてください。」とお願いしたと推測されます。いくら有名人であっても、いくら資格があっても、会堂司の許可が無ければ奨励はできません。秩序が乱れるからです。
 イエス様のお話が始まると、それを聞いた多くの人々は物も言えないほど驚いて言いました。6章2節です。「この人は、こういうことをどこから得たのだろう。この人に与えられた知恵や、その手で行われるこのような力あるわざは、いったい何なのだろう。」私たちが持っている日本語訳は上品に翻訳されていますが、実際はもっと下品に書かれているようです。多分このようにナザレの人々は言っていたと思われます。「この男は、こういうことをどこから得たのだろう。この男に与えられた知恵や、その手で行われているこのような力あるわざは、いったい何なのだろう。」この言葉から、ナザレの人々は「この男の手で行なわれているこのような力あるわざは、いったいどこから得たのか分からないけれど、この男が語っている知恵や、行っているわざは、この男自身のものではなく、誰か偉い先生から教わったものに違いない。」という考えから抜け出すことができませんでした。その理由が次の3節の言葉です。「この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか。」イエスは一介の大工であり、マリアの子である。兄弟はヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンで、どうひいき目に見ても我々と大差はない普通の人だ、とナザレの人々は思ったのです。ナザレの人達もイエス様の評判は聞いていたことですし、中にはカペナウムでイエス様が行われた癒しの奇跡を見た人もいたことでしょう。でもナザレの多くの人々は、風のたよりに聞こえて来るイエスという人のうわさを、以前ナザレに住んでいたあのイエスとは、別のイエスだと思っていたのではないか、とも思われます。ですから今、目の前に、あの懐かしいイエスの顔を見て、思い出されるのは昔のことばかりで、イエスの話を聞いてその知恵に感心はしても、それ以上のものではありませんでした。イエスという名前は、ヘブル語のヨシュアという名前がギリシャ語化したもので、ヘブル人の間では一般的な名前でした。ですから、多くのヘブル人がイエスと名付けられていたのです。

 何故ナザレの人々が、イエス様を信じることができなかったのか、福音記者のマルコは3節の最後でこのように結論しています。「こうして彼らはイエスにつまずいた。」この「つまずいた」と翻訳されている言葉ははっきり言ってまずい翻訳です。私が使っている岩倉直著「新約ギリシャ語辞典」にはこのように書いてあります。「語源から見て『道に邪魔物を置く、つまづかせる』よりも『罠を掛ける』意。」「つまずく」という言葉から私たちが連想するのは、「歩行中につま先を物に当てて前のめりになる」とか、「物事の途中で思わぬ障害に突き当たって行きづまる」とかという意味で、やり直しが効く事を表してます。しかし原文のギリシャ語は、「罠をかける」という意味で、罠にかかったら殺されてしまうので、やり直しが効きません。この「罠を掛ける」という言葉が聖書で使われると「罪にいざなう」とか「不信仰にいざなう」とか「罪に陥る」という意味に用いられます。ですから3節最後の言葉はこのようになります。「こうして彼らはイエスに関して不信仰にいざなわれた。」つまりナザレの人々はイエス様を信じることができなかったのです。
 では何故、ナザレの人々はイエス様を信じることができなかったのでしょうか。その理由をイエス様は4節で言われました。「預言者が敬われないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」ナザレの人々にとって、イエスは全く普通の人でした。なぜなら、ナザレの人にとって、今でも「このイエスは大工であり、マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄で、その妹たちも、ここで私たちと一緒にいる」からです。一人の預言者を生まれた時から知っている人々にとって、その人を預言者と見る前に、自分等と同じ人間と見てしまうのです。つまり自分達と全く別次元の人間であると、信じることができないのです。
 それではどうしたら人間としか見えないイエス・キリストを神様と認め、信じることができるようになるのでしょうか。それは「悔い改める」ことです。イエス様は宣教開始の第一声で、「悔い改めなさい。」と言われました。人は悔い改める時、即ち自分の罪を認め、神様にその罪の赦(ゆる)しを求める時、神様はその人の罪を全て赦し、神様と敵対している関係から、神様に愛され、神様に用いられる関係に入ります。ですから悔い改めた人は、神様の存在することが分かり、霊的なことも分かり、従ってイエス様がどなたなのかが分かるのです。しかし悔い改めていない人には、神様の存在が分からず、霊的なことも全く分かりません。ですからナザレの人々は、イエス様がナザレの会堂で説教された内容を受け入れることができず、なぜイエス様は多くの人の病気を癒すことができたのかが分からなかったのです。6節に「イエス様は彼等の不信仰に驚かれた。」と記されているように、ナザレの人々は、悔い改めていない普通の人々であったことがわかります。

 それでイエス様は、「悔い改めること」が、信仰を持つための基本であることを教えるために、村々を巡りました。しかしいくらイエス様が神様であっても、イエス様はまた、同時に真(まこと)の人間でもありますから、ご自分一人だけの力では限度があります。そこで弟子たち12人を呼び、二人一組にして、汚れた霊を制する権威を授け、宣教に遣わすことにしました。そして宣教旅行の心得をまず教えられました。心得は二つです。
 第一番目の心得は持ち物です。私たちは旅行というと、替えの下着や服、財布、食料等々、色々な物を用意して、行く途中や行った先で不便しないように準備します。しかしイエス様は弟子たちに、履き物をはいて、杖だけを持って行きなさい、と言われました。下着さえも今着ている一枚だけにしなさい、と言われたのです。なぜでしょうか。それは、神様の御用をする人の身の回りに必要なものは、神様が人を通して与えてくださることを経験するためでした。
 第二番目の心得は宿泊する場所です。宿泊する場所は、宿屋ではなく、あなたがたを受け入れてくれる一般の家庭ですと言われました。「あなたがた二人が村や町に入り、そこで説教すると、その説教に感動した人が二人を招くようになるから、その人の所に、その土地を出て行く時まで、留まりなさい。」と言われました。
 しかし、もし「どこの家もあなたがたを受け入れず、あなたがたの言うことを聞かない地域があったならば、その地域から出て行く時には、足の裏の塵を払い落としなさい。」と命じられました。「足の裏の塵」とは、弟子達がその土地にいたことを示すもので、その土地の人々を表しています。ですから「足の裏の塵を払い落とす」とは、「その土地の人々とは関係を持つことができなかった」という意味で、弟子達の説教がその土地の人々に信じてもらえず、弟子たちはその土地の人々に歓迎されなかった客であった、ということを証ししています。

 こうして12人は二人一組となって宣教に出て行き、人々が悔い改めるように宣べ伝えました。そして弟子たちはイエス様から与えていただいた悪霊を追い出す権威を用いて、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人を癒しました。そうしたら、多くの人々が悔い改め、弟子たちが宣べ伝えるイエス・キリストを信じたのです。私が用いている註解書の著者は、「癒しの力は、イエスの権威に基づいて使徒たちが語った言葉の中に完全にあったので、油の塗布は、病人に信仰を持たせるために、心理的な目的で行われたものである。」と解説しています。
                                         
 このように、イエス様は多くの場所で説教し、多くの病人を癒し、多くの悪霊を追い出し、そして本日故郷のナザレの町の会堂で説教しました。しかしナザレの多くの聴衆はイエス様の懐かしい顔を見て、かつてナザレにいた頃のことを思い出し、今、目の前にいるイエスはどこかの偉い先生の説教の受け売りしているだけだと受け取り、イエス様を力と知恵に満ちたお方として信じることに失敗してしまいました。一緒に過ごしていた昔のイエスのイメージが邪魔をしたのです。
 そういう訳で今回イエス様は、弟子たちを宣教に遣わすにあたり、人々に対して「悔い改めるように」宣べ伝えさせました。悔い改めるとは、自分の罪を認めて神様にその罪の赦しを求めることです。悔い改めるならば、その人の罪は全て赦され、神様と敵対している関係から、神様に愛され、神様に用いられる関係に入ります。ですから悔い改めは信仰の基本であり、悔い改め無くして信仰は無いということになります。それでイエス様はこの悔い改めの大切さを人々教えるために、弟子たちに汚れた霊を制する権威を授けて、「悔い改めるように宣べ伝えさせた」のです。
 ですからマルチン・ルター博士が「95か条の提題」の第一条で、「私たちの主であり師であるイエス・キリストが、『悔い改めよ…』〔マタイ4・17〕と言われた時、彼は信ずる者の全生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである。」と述べてます。このように、クリスチャンも日々悔い改め、イエス様を通して父なる神様に罪の赦しをお願いしましょう。そしてイエス様の弟子たちが「悔い改めるように宣べ伝えた」ように、私たちクリスチャンも悔い改めを宣べ伝え、悔い改めた多くの人と共に神の国に凱旋する者とならせていただきましょう。

 全ての人々の考えに勝る神の平安が、あなた方の心と思いを、キリスト・イエスにあって守ってくださいますように。アーメン。

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