永遠のいのちについて考える

 

あるお金持ちの青年がイエス・キリストのところに来て、何をしたら永遠のいのちを得ることができるのか質問した箇所があります。この青年が求めた永遠のいのちとは、この地上で永遠に生き続けるいのちについて尋ねたわけではありません。どうしたら天の御国(天国)に入ることができるのかを尋ねたのです。昔も今も、かぎりある命を持つ人間にとって死とは、避けることのできない大きな問題ではないでしょうか。どんなにお金を蓄えても死は訪れます。また、どんなに健康に気を付けても死から逃れることはできません。であるならば、どうしたら天国に入ることができるのかを考えるのは人間として当たり前のことではないでしょうか。

聖書では、天国がどんなところか詳しくは説明されていません。それは、天国があまりにすばらしく、人間の力では表現できない世界だからではないでしょうか。しかし、聖書の一番最後、ヨハネの黙示録には、天国とは、永遠の世界で、夜がなく、苦しみや悲しみもない世界で、神が共に住まわれる世界だと記されています。では、何故、すべての人はそんな素晴らしい天の御国に入ることができないのでしょうか。そこには、人間の罪の問題があります。この地上でも、罪を犯せば、罰金を払うか、償いをしなければなりません。私たちはこの地上で罪を犯し、天の御国に入ることができない者になってしまいました。神はそんな私たちをあわれみ、救いの道を備えてくださいました。それが、イエス・キリストの誕生と十字架の死です。イエス・キリストは神の子であるのに、私たちの罪の身代わりとして生まれ、十字架の上でいのちを犠牲にすることによって、私たちが償う罪をご自分のいのちで償ってくださったのです。私たちは十字架で死なれたイエスのゆえに、罪赦された者となり、天の御国に迎えられる者にされたのです。神は、イエスを神の子と信じる者の罪は、あの十字架の贖いのゆえに赦すと約束してくださいました。イエスは、二千年前に殺されただけではなく、死より三日目に復活して天に昇って行かれたと聖書に記されています。それゆえ、イエス・キリストは今も生きておられます。それを記念したお祭りがイースターです。教会では、イースター礼拝を4月4日(日)に行います。新型コロナウイルスのために食事会は行われませんが、興味のある方はぜひ、教会にお越しください。お待ちしております。