モーセの姉ミリアムと兄アロン

出エジプト記15章20節21節

今日はモーセの姉ミリアムと兄アロンについて学びます。兄弟は仲が良いことにこしたことはありませんが、なかなか距離が近すぎて反発することも多くあります。特に、長男長女は、兄弟の中で年長者と言うこともあり、弟妹の上に立とうとします。このバランスが落ち着いている間は平穏ですが、弟が優秀で成績が良かったり、妹が美人で周りからちやほやされるのを見て、長男長女は平穏でいることはできません。この場合、長男長女は二つに分かれます。一つは弟妹をいじめて、自分が優位な立場に立とうとします。もう一つは、長男長女としての自信を無くし、自己卑下して生きることになります。モーセの姉ミリアムと兄アロンはどのような行動をとったでしょうか。

1、モーセの姉ミリアム

ミリアムと言う名は、ヘブル語で「苦難」「海の星」と言う意味があるそうです。そのほかにアラビヤ語との関連で「欲しがられた子」「愛された者」との意味とも言われます。ミリアムが聖書に登場するのは、モーセが籠に入れられ、ナイル川の川岸の葦の茂みに置かれた場面です。その時、エジプトの王の娘がその籠が発見しました。この時、ミリアムが何歳であったかは書かれてありません。しかし、他の個所で、モーセの兄アロンはモーセより三つ上であることは聖書に書かれてありますので、その上、5歳から8歳ぐらいではなかったかと想像します。ミリアムは弟のモーセがどうなるか心配で、母の後を付けて、モーセの入った籠を見つめていたのです。すると、エジプトの王の娘が水浴びをするために数人の女性と共に現れました。彼女が籠に気付き、召使を遣わしてその籠を取りに行かせると、その中には男の子が入れられてありました。彼女はその子がへブル人の子であると言ったとあります。その光景を見ていたミリアムは王の娘の前に出て言いました。出エジプト記2章7節「私が行って、あなた様にへブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様に代わって、その子に乳をのませるために。」王の娘が「行っておくれ」と言ったので、少女は行き、その子の母を呼んで来ました。9節「ファラオの娘は母親に言った。『この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私が賃金を払いましょう。』それで彼女はその子を引きって乳を飲ませた。」とあります。ミリアムの取った行動により、モーセは大きくなるまで、家族と共に生活することができました。このことは、モーセがへブル人の信仰とへブル人としての自覚も持つためにとても大切なことでした。このミリアムの行動を通して。彼女が幼いながらも賢さを備えた少女であることが分かります。

次に彼女が登場するのが、イスラエルの民が紅海を歩いて渡る場面です。(出エジプト記15章)ここで、聖書は彼女のことを女預言者ミリアムと記しています。彼女は女性たちの先頭に立って、タンバリンを叩き、踊りながら出て行きました。女性たちも同じようにタンバリンを叩き踊りながら付いて行ったとあります。何と晴れやかな場面でしょうか。ただ、この時のミリアムの年齢が80代後半であることを考えると驚きを覚えます。

また、民数記の12章で、ミリアムとアロンは、モーセの妻のことで彼を非難したとあります。二人は、モーセの奥さんの事だけではなく、弟であるモーセが自分たちの上に立ち、民を支配することに面白くなかったのでしょう、二人はモーセにこのように言いました。民数記12章2節「主はただモーセとだけ話されるのか。われわれとも話されるのではないか。」すると神の怒りが二人に臨み、ミリアムはツアラートに冒されてしまいました。アロンはモーセにとりなしの祈りを願い、モーセが神に祈ると、彼女の病は癒されましたが、彼女はこの罪のゆえに、七日間宿営の外に締め出されてしまいました。また、民数記20章1節にミリアムは荒野のカデッシュで葬られたとあります。

2、モーセの兄アロン

アロンが聖書に登場するのは、出エジプト記7章からです。モーセは、神にエジプトに行き、エジプトの王にへブル人をエジプトから出すように交渉するように命じられました。しかし、モーセは、自分は口が重く、言葉の人ではないことを理由に神の申し出を辞退ました。神はそんな気弱なモーセのために、彼の兄アロンを遣わすと約束してくださいました。その後、モーセとアロンは出会い、共にエジプトの王の前に立ち、モーセと共にアロンがエジプトの王と交渉を始めたのです。十の災害の後、イスラエルの民はエジプトを出ました。また、彼らは紅海を歩いて渡り、荒野へと入って行ったのです。

イスラエルの民がシナイ山に近づいた時、モーセとアロンと70人の長老たちはシナイ山に上って行きました。また、神はモーセに十戒を与えるために、彼らから離れてさらに上に招きました。モーセが神から十戒を授けられている間、モーセの帰りを満ちきれずに、不安になった彼らは、アロンに金の子牛の像を作らせ、彼らは食べたり飲んだり、宴会騒ぎを始めたとあります。(出エジプト記32章)モーセはそのことを神に知らされ、急いで降りて行きました。そして彼らの状況を見て怒り、神よりいただいた十戒の石の板を砕いてしまいました。モーセはもう一度、山に登り、十戒の石の板をもう一度、もらいに行くことになりました。アロンはモーセの助け人としては、有能な働きをしましたが、モーセのようなリーダーシップはありませんでした。しかし、この後、アロンは大祭司に任命され、彼の家系から神に仕える祭司の家系が誕生したのです。

3、結論

モーセがいくつの時から、家族を離れ、エジプトの王宮で育てられたのかは分かりません。モーセが荒野からエジプトに現れ、ミリアムとアロンに再会したとき、70年ほどの空白期間があったものと思われます。三人はどのような思いで再会したのでしょうか。その後、アロンはモーセの代言者として、モーセに協力しました。また、ミリアムも女預言者として女性たちを助けました。しかし、二人にとっては、いつまでもモーセは弟でしかありません。モーセが上に立ち、民を一人で指導する姿に我慢ができませんでした。そこで、二人は共謀して、モーセの妻の事を理由に、モーセに反抗的な態度にでたのです。しかし、モーセは二人の弟でも、神に選ばれた者でした。モーセに反抗することは、神に反抗することでした。それゆえ、神はミリアムに大きな罰を与えられたのです。また、アロンは民の声に従い金の子牛の像を作り、偶像礼拝の罪に加担してしまいました。二人の姿は、私たちと同じ姿ではないでしょうか。もし、私たちが、ミリアムやアロンの立場に立たされたらどのような行動をとったでしょうか。神は、アロンの家系を神に仕える祭司の家系として選んでくださいました。モーセもアロンもミリアムも完全な信仰を持っていたわけではありません。神は弱さを持った人間を助け、ご自身の栄光を現されるお方です。神が私たちに求められるのは、知恵や力や財産ではありません。神が私たちに求められるのは、神の愛に応える愛と信頼だけです。それゆえ、コリント人への手紙第二12章10節で「私が弱いときにこそ、私は強いからです。」とパウロは告白しているのです。