ヨシュアの信仰と神の約束

ヨシュア記1章1節~9節

2022年が始まりました。今年は旧約聖書のヨシュア記と士師記から学びます。ヨシュア記に登場するヨシュアと言う人物はどのような人でしょうか。ヨシュアは元の名は「ホセア(救い)」という名で、エフライム族の族長でした。モーセは彼を自分の従者(付き人)として選び、彼に「ヨシュア(主は救い)」と言う名を与えました。ヨシュアと言う名はギリシャ語ではイエスという名になります。

1、ヨシュアの信仰(申命記13章14章)

彼の信仰が表された場面が、民数記の13章14章にあります。神はモーセに十二部族から、各族長を十二名選び、カナンの地に偵察に行くように命じました。ヨシュアはエフライム部族の族長として12人に選ばれ、彼らと共にカナンの地へと向かいました。四十日後、彼らは戻って来て、イスラエルの民にカナンの地の状況を報告しました。その内容は非常に厳しいものでした。カナンの地は、豊かな地であるが、カナン人の体格は大きく、その町も城壁で囲まれており、私たちの力では到底征服できる地ではないと報告されたのです。イスラエルの民はこれを聞いて、大声で声をあげて叫び泣いたとあります。ここまで苦労して砂漠を乗り越えてやって来た民です。あと少しで目的地にたどり着くと言うのに、カナンの地が予想以上に大きく強力な国であることを知り、失望してエジプトに帰ろうと言い出したのです。その状況の中で、偵察に行ったヨシュアとカレブはイスラエルの民に叫びました。民数記14章7節~9節「私たちが巡り歩いて偵察した地は、すばらしく、良い地だった。もし主が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」しかし、イスラエルの民は、二人の声には耳を傾けずに、他の十人の声に耳を傾けました。この罪によってイスラエルの民は四十年の間、荒野をさまよい歩くことになりました。また、エジプトに帰ろうと言い出した者たちは、この四十年の間に亡くなり、カナンの地に入ることができたのは、ヨシュアとカレブの二人だけでした。ヨシュアもカレブも他の十人と共にカナンの地に大きな民がおり、高い城壁を持った町があることも同じように見ました。しかし、二人は他の十人とは違う意見をもちました。それは、主が私たちと共におられるということでした。確かにイスラエルの民は男性だけで60万人、戦う武器も多くありません。しかし、ヨシュアとカレブは主が共におられれば大丈夫だと信じたのです。それこそが、ここで私たちが見習うべき信仰です。私たちは現実を見て恐れを持ちます。しかし、現実ではなく、その背後におられる神を見る時、私たちはヨシュアとカレブのように前に進むことができるのです

2、ヨシュアに与えられた神からの使命(ヨシュア記1章)

モーセは百二十歳で亡くなり、モーセの後継者としてヨシュアが指名されました。彼は。モーセの従者として、この四十年の間、モーセの偉大な姿とその苦労を見て来た者です。偉大な指導者の後継者となることは、前任者が偉大であればあるほど、後継者は自分と比較して自信を失う者です。神はヨシュアに何度も「強くあれ、雄々しくあれ」と呼びかけているのは、それほど、ヨシュアはモーセの後継者になることを恐れていたことを意味しています。神はヨシュアに命じました。ヨシュア記1章2節~4節「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこの民はみな、立ってこのヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの子らに与えようとしている地に行け。わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。あなたがたの領土は荒野からあのレバノン、そしてあの大河ユーフラテス川までヒッタイト人の全土、日の入る方の大海までとなる。」また、神はこの広大な地を征服するためにヨシュアに命じました。7節8節「ただ強くあれ、雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。このみおしめの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ、そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは栄えるからである。」神がヨシュアに命じたことは、神様の戒めにしたがって歩めと言うことでした。今、彼らは四十年前と同じ状況に立たされています。以前はカナン人を恐れ、エジプトに帰ろうと言い出しました。今、ヨシュアに求められていることは、イスラエルの民を神の戒めに従って前に進ませることでした。

3、ヨシュアに与えられた神の約束(ヨシュア記1章)

ヨシュアに与えられた神からの使命は大きすぎて、彼一人では担うことができません。そこで、神は彼に一つの約束を与えられました。ヨシュア記1章5節「あなたの一生の間、だれ一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」9節「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ、雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるからである。」旧約聖書の預言者イザヤは、救い主についてインマヌエルと呼ばれると預言しました。また、マタイの福音書の著者マタイはイザヤの預言をイエス・キリストにあてはめ、インマヌエルを「神が私たちとともにおられる」訳しています。インマヌエルの意味は二つあります。一つは、神が人として私たちの所で生まれてくださったと言う意味。もう一つは、イエスが天に昇られる前に弟子たちに約束されたこと、自分の代わりに、聖霊を与え、聖霊が私たちと共におられると言う意味です。神は、モーセの後継者として恐れるヨシュアに対して、モーセとともにいたようにあなたと共にいる。また、あなたを見放さず、捨てないと約束してくださいました。恐れるヨシュアに対して、何と力強い約束の言葉でしょう。ヨシュアはこのことばを信じて、モーセの後継者として前に歩み出したのです。この約束の言葉は、イエスを通して、私たちにも与えられた約束の言葉です。私たちの目の前にある現実は、どんなに大きなものでしょう。私たちの力では乗り越えることはできません。しかし、神は、私たちと共におられると約束してくださいました。私たちがこの約束を信じる時、どんな大きな岩をも動かし、高い山も越えることができるのです。信仰とは、神を信頼することです。また、神のことば、約束を信じて前に進むことなのです。