信仰によって義と認められた遊女ラハブ

ヨシュア記2章1節~24節

ヨシュア記に登場する人物で、ヨシュア以外に重要な人物が二人います。一人はユダ部族の族長カレブ。彼は、40年前、モーセが12人の偵察隊をエリコに遣わした時のメンバーで、後に、ヨシュアと共にカナンの地に攻め入るべきだとイスラエルの民に進言したヨシュアの同僚です。もう一人はラハブです。ラハブの名は新約聖書に三回登場します、一回目が、マタイの福音書1章に記されているイエス・キリストの系図の中で、彼女はルツの夫ボアズの母と紹介されています。二回目がへブル人の手紙11章31節「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な者たちと一緒に滅びずにすみました。」また、三回目はヤコブの手紙2章25節「同じように遊女ラハブも、使者たちを招き入れ別の道から送り出したので、その行いによって義と認められたからではありませんか。」このように旧約聖書も新約聖書ラハブのことを遊女と呼んでいますが、なぜ、遊女の彼女がイエスの系図に名前を連ねることになったのか、ヨシュア記を通してもう少し詳しく見て行きましょう。

ヨシュア記の2章で、ヨシュアは二人を選びエリコに偵察に向かわせました。40年前、モーセが族長12名を選びエリコに偵察に行かせた出来事は、大きな失敗を招きました。ヨシュアはそのことを覚え、今度は12名ではなく、あえて二人を選び、エリコに向かわせたものと考えられます。二人は、エリコに入ると「ラハブという遊女の家に入り、そこに泊まった。」とあります。エリコの町は大きく、宿屋もいくつかあったでしょうが、二人は身を隠すためにあえて、遊女のラハブの家に泊まったものと考えられます。しかし、二人がエリコに侵入したことが王に知られ、王は町中を捜索させました。そこで、捜索隊はラハブの家にも来て言いました。3節「おまえのところに来て。おまえの家に入った者たちを出せ。この地のすべてを探ろうとしてやって来たのだから。」ここで彼女は二つの選択が考えられました。一つは、エリコを偵察に来た二人を王に引き渡すこと。それによって、いくらかの褒美を得ることができます。もう一つは、二人をかくまうことです。ラハブは後者を選びました。彼女はなぜ、王からの褒美を求めず、二人をかくまったのでしょうか。彼女には一つの考えがありました。彼女はイスラエルの軍隊によってエリコの町が滅ぼされることを恐れていました。そんな彼女の所にエリコを偵察に来た二人が泊りに来たのです。彼女はこれをチャンスと考えました。彼女は王様からの褒美よりも、家族を救うことを第一と考えたのです。しかし、それには大きな危険が伴っていました。もし、二人が捕まったならば、自分も二人の協力者として殺される危険があったのです。彼女はその危険を覚悟で二人をかくまう決心をしました。ラハブはなぜ、そのような危険をおかしてまで、二人を助けたのでしょうか。そのことを彼女は二人にこのように説明しています。9節~11節「主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちがあなたがたに対する恐怖に襲われていること、そして、この地の住民がみな、あなたがたのために震えおののいていることを、私はよく知っています。あなたがたがエジプトから出て来たとき、主があなたがたのために葦の海の水を涸らされたこと、そして、あなたがたが、ヨルダン川の向こうにいたアモリ人の二人の王シホンとオグにしたこと、二人を聖絶したことを私たちは聞いたからです。私たちは、それを聞いたとき心が萎えてあなたがたのために、だれもが気力を失ってしまいました。あなた方の神、主は、上は天において、下は地において、神であられるからです。」エリコの人々にも信じる神々は存在したと考えられます。しかし、彼女は、出エジプトのこと、シホンとオグを聖絶したことを知り、イスラエルの神こそ真の神と信じたのです。それゆえ、この二人が自分の所に宿泊したのも神の助けと信じたのではないでしょうか。そこで、彼女は二人を助ける代わりに、自分と家族を救うように願い出たのです。二人はそれを承知し、彼女と契約を結びました。その後、エリコの城壁が壊され、町が征服された時、二人はラハブとの約束を守り、彼女の家の中にいた人々のいのちは助けられました。その後、ラハブはサルマと結婚し、ボアズが生まれ、ボアズがルツと結婚しオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイからダビデ王が生まれ、後にイエス・キリストが誕生したのです。

へブル人への手紙11章は、信仰によって歩んだ人々の名前とその出来事が記されています。その中に遊女ラハブも含まれています。それは、ラハブの取った行動が、アブラハムやヤコブたちと同じ信仰によって行われた行為であると認められたからです。確かに彼女はカナン人の女性で遊女でした。しかし、彼女はエリコに偵察に来た二人に、「主は、上に天において、下には地において、神であられるからです。」と信仰告白をしています。彼女は、カナン人の神々ではなく、天地の創造主である神を信じる信仰を持っており、エリコの町が神の裁きによって、滅ぼされることが神の御心であることを信じていました。また、二人がイスラエルの民から遣わされ、ラハブは二人を助けることが神の御心であることを知り、危険を恐れず、二人を助ける決心をしたのです。それが、信仰による決断と神様に認められたのです。

次にヤコブの手紙ですが、この手紙の中心主題は「信仰による行い」です。パウロは、ローマ人への手紙の中で、救いは良い行いによらず信仰によることを強調しました。そこで、パウロの教えを聞いた人々の中には、イエスを救い主と信じるだけで、救われるということばを、自分勝手に理解て、イエス・キリストを信じているならどんな悪いことをしても、救われるというクリスチャンが生まれて来ました。ヤコブはそのような人たちの間違いをただすために、この手紙を書いたものと思われます。ヤコブは信仰と言うのは、表面的に神のことばを信じるだけではなく、信仰には良い行いも繋がっていることを強調したのです。もちろん、ヤコブは、良い行いを行うことによって救われると教えたわけではありません。正しい信仰には正しい行動が伴っていることを教えたのです。それを考えると、ラハブの行動が正しい信仰から行われたこ行為であることが認められたということです。

マタイの福音書の系図においても、ラハブだけではなく、問題のある人々の名前が含まれています。3節の「ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み」とありますが、ユダとタマルは義理の父と娘の関係です。その二人から、ペレツとゼラフは生まれました。また、5節のボアズと結婚したルツはモアブの女性でした。ユダヤ人にとって外国人は汚れた民であり、特にモアブ人は好ましい人種ではありませんでした。また、6節「ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み」とあります。この出来事も、ウリヤの妻であっバテシェバをダビデが愛し、彼女を自分の妻とするために、夫ウリヤを戦場で殺させ、バテシェバを自分の妻とし、子を産ませてしまいました。その子がソロモンとなり、ダビデの後継者としてイスラエルの王に成ったのです。タマルもラハブ、ルツ、ウリヤの妻(バテシェバ)の出来事も、ユダヤ人にとっては自慢できる歴史ではありません。マタイはなぜ、救い主の歴史を紹介するときにあえて、このような人々を含めて紹介したのでしょうか。マタイはこの福音書をユダヤ人の救いのために書きました。ユダヤ人はプライドが高く、自分たちはアブラハムの子孫で神に選ばれた民で、それ以外の民族は、異邦人として神に呪われた民だと信じていました。マタイは、そのような人々に対して、自分たちの先祖の歴史が、必ずしも正しい人々の歴史ではなく、ユダヤ人も他の民族も同じ罪人であることを証ししようとしたのかもしれません。さらに、マタイは、その罪深い歴史の中に救い主、イエス・キリストが誕生してくださったことが、神のあわれみであり、その後の、イエスが正しい人のためではなく、罪人を救うために来られたというイエスの働きに繋がっていると伝えようとしたのではないでしょうか。確かに、ラハブはカナン人で遊女でした。しかし、彼女はエリコを偵察に来た二人を助けることによって自分の信仰を神の前に表しました。また、神も彼女の信仰を受け入れ、ユダヤ人ではなくても、神の救いの計画に入れてくださったのです。もし、自分のいのちだけを考えていたら、彼女はその後、イスラエルの民と行動を共にする必要はありませんでした。彼女は別の所へ行くこともできたはずです。しかし、彼女はイスラエルの民と行動を共にし、ルツのようにイスラエルの神を自分の神と信じたのです。それが、その後、ラハブがサルマと結婚し、ボアズが生まれ、ボアズとルツが結婚しオベデを生み、オベデがエッサイを生みダビデ王が生まれたのです。神を信じるとは、表面的に神の存在を信じるということではありません。神を信じるとは、自分の生涯をかけて、一人の神に従うということです。そこには、人生をかけた大きな決断が伴っているのです。