信仰によって神の約束を待ち望む

へブル人への手紙11章8節~12節 元旦礼拝

新しい一年が始まりました。この新しい日に皆様と共に神を礼拝できますことを感謝します。昨年は、新型コロナウイルスのために大変な一年でした。まだ、その影響が今年にも残りそうな状況です。年の初めから不安なスタートとなりました。今年一年はどんな年になるでしょうか。

今年の年間聖句はへブル人への手紙11章1節を選びました。「さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」信仰とは神を信じることですが、具体的には神の約束を信じるということです。アブラハムの例を見るなら、創世記の12章でアブラハムは神と出会い、親族から離れ、神が示す地に出て行くように言われました。また、その言葉に従うなら、2節「あなたを大いなる国民とし、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。」という約束をいただきました。アブラハムは神の約束を信じて出かけました。この時。アブラハムは75歳。妻のサラは65歳で、二人にはこどもがいませんでした。それから何年が過ぎたかわかりませんが、創世記の15章で、神がアブラハムに現れ彼に1節「アブラハムよ、恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたへの報いは非常に大きい。」と声をかけられました。明らかにアブラハムは恐れを持っていました。その恐れとは、アブラハムが後継者のことを言っているのを見ると、子どもが生まれないということと考えられます。神は、75歳のアブラハムと65歳にサラに子を与えると約束してくださいましたが、依然として子どもは与えられません。それに加えて二人の年齢は増えていきました。状況は悪くなっていきます。アブラハムの神への不信は大きくなっていきました。そんなアブラハムに神が現れて、彼を外に連れ出し、空の星を見るように言われたのです。アブラハムが空を見上げると、まばゆいばかりに星がきらめいていました。そして、神はアブラハムに「あなたの子孫はこのようになる」と言われたのです。アブラハムはその神様のことばを信じました。

ところが、創世記の16章に入って妻のサラは、アブラハムに自分の女奴隷をアブラハムに妻として差し出したのです。(カナンの地に住んで10年後のことです。)サラ自身が、自分で子を産むことができないと判断したからです。アブラハムもサラの気持ちを理解しサラの女奴隷ハガルを妻として迎え入れました。彼女は身ごもり、子を産みイシュマエルと名付けられました。しかし、それは神の計画ではなく、アブラハムとサラの計画でした。その後、アブラハム百歳、サラ九十歳に子どもが生まれイサクと名付けられました。イサクが生まれたことで、サラは、イサクの将来を考え、アブラハムにイシュマエルを追い出すように言いました。アブラハムは悩みながらもサラのことばに従い、自分の子イシュマエルをハガルと一緒に追い出したのです。

アブラハムが神の約束を信じて、カナンの地に旅立って、25年後に、サラとの子が生まれイサクと名付けられました。この25年を考えると、アブラハムにとって不信仰な思いとの闘いでした。先ほどのへブル人への手紙11章1節のことばに「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」とありました。アブラハムの体験を通して、「目に見えないものを確信させる」ことがいかに難しいかがわかります。アブラハムが恐れと不信仰な思いを持ったとき、神は彼に何をされたでしょうか。彼を外に連れ出し、外の星を見せ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われました。この出来事は、神がアブラハムとの約束を再確認されたと言うことです。私たちも、アブラハムと同じように不信仰な思いを持ちやすい者です。神の約束は、個人的なものもあれば、共通の約束もあります。共通の約束と言うのは、「私たちの救い」のことです。私たちは、イエスを神の子と信じる信仰によって罪が赦され、天の御国に住まいが備えられることを信じています。しかし、その事は先の出来事で、本当に天の御国に迎えられるかどうかは、不確かな出来事です。しかし、その不確かな出来事を確かな出来事に変えてくださるのが、神様の約束で、その事を信じる信仰を強めてくださるのが神様のことば聖書です。聖書は神のことばで、私たちの信仰を強め、神の約束が確かなことを保証している書物です。私たちの信仰の旅は、不信仰との戦いの連続です。サタンは神から私たちを引き離そうと働いています。私たちが教会から離れ。聖書を読まなくなれば、すぐに、私たちは不信仰な思いに支配されてしまいまいます。

一年を通して、旧約聖書、新約聖書を通読することは難しいことかもしれませんが、ぜひ、挑戦してみてください。聖書は私たちの信仰を強め、神の約束を確かなものにしてくださいます。今年一年、神様の見守りと祝福が皆さんの上に、ありますようにお祈りしております。