祭司ザカリヤの祈り

「祭司ザカリヤの祈り」ルカの福音書1章1節~20節 2025年11月30日

今年も皆さんと共にアドベントを迎えることが出来ましたことを心から感謝します。私がこの教会に赴任いたしまして35年たちました。それゆえ、単純に計算して35回も共にアドベントを迎えたということになります。これは驚くべきことだと思います。それも最初から続けて来られている方がおられることはもっと感謝なことです。また、今年、初めてこの教会でアドベントを迎える方がおられることも感謝なことです。今日は祭司ザカリヤの信仰と祈りについて学びます。

1、救いの始まり(ルカの福音書1章3節)

ルカの福音書の著者であるルカは、このルカの福音書を異邦人(ユダヤ人以外の民族)で高い地位の役職を持つテオフィロという人物のために書きました。また、ルカ自身もユダヤ人ではなく異邦人でした。ルカはどうしてイエス・キリストの誕生を記すのに、その前に行われたバプテスマのヨハネの誕生から描き出したのでしょうか。ルカの福音書1章3節「私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて上げるのが良いと思います。」と記しています。それを考えるとルカにとっての神の計画(救いの計画)の始まりは、イエス・キリストの誕生からではなく、バプテスマのヨハネからすでに始められていたことを伝えようとしたのではないでしょうか。さらに、マルコの福音書は初めに預言者としてバプテスマのヨハネの説教から始めています。また、マタイの福音書マルコの福音書ルカの福音書の共観福音書に共通していることは、バプテスマのヨハネが、旧約聖書のイザヤ書に預言された、主の前に道を整える者であるということです。なぜ、その事が大切なのかというと、イエス・キリストが救い主であるということは、イエスが五つのパンと二匹の魚で男性だけで五千人以上の人々のお腹を満たしたという奇蹟や湖の上を歩いて弟子たちの乗る舟に近づいたという奇蹟、また、多くの人々の病を癒されたからではありません。人を驚かすような奇跡を行う人は他にも存在したでしょう。マタイ、マルコ、ルカが私たちに伝えようとするのは、イエス・キリストが旧約聖書で預言された救い主だということなのです。

2、祭司ザカリヤ(ルカの福音書1章5節~24節)

当時の祭司は24組に分かれ、一週間交代で神殿の奉仕が行われていました。しかし、過越しの祭りや七週の祭、仮庵の祭りなどのユダヤ三大祭りの時は全組が総出で奉仕に携わっていました。それゆえ、祭司たちは年に二回だけ神殿の奉仕を行うことになります。祭司ザカリヤとはどのような人物でしょうか。5節「アビヤの組の者でザカリヤという名の祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。」とあります。6節「二人とも神の前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落ち度なく行っていた。」とあります。そんな信仰深い二人にも大きな問題がありました。7節「しかし、彼らには子がいなかった。エリサベツが不妊だったからである。また、二人ともすでに年をとっていた。」とあります。旧約聖書にも不妊の女性は登場します。有名なのはアブラハムの妻サラです。彼女は、自分が年をとり、子を産めないことが分かった時、夫のアブラハムに子孫を残すために、自分の女奴隷ハガルを夫に妻として与えました。彼女にとってこの決断は大きな決断だったでしょう。ユダヤ人にとって子孫を残し、家を継がせることは女性の最大の仕事とされていました。それゆえ、たくさん子を産んだ女性は神に祝福された者として称賛されました。逆に、子を産めない女性は神に呪われた者として、人から低く見られていたのです。

突然、アブラハムの妻に昇格されたハガルは、高慢になり女主人であったサラを蔑むようになりました。サラはどんなに傷ついたことでしょう。そこで、サラはハガルをいじめたとあります。ハガルはサラの嫌がらせに耐えかねてアブラハムのもとから逃げ出してしまいました。神は、荒野でハガルに出会い、彼女に身を低くしてアブラハムのもとに帰るように命じました。そして、ハガルはアブラハムのもとに帰り、イシュマエルを産んだのです。

しかし、神様の約束はアブラハムとサラの夫婦の子孫を祝福するという約束でした。神はアブラハムとの約束を覚えておられアブラハムが100歳、サラが90歳の時に、イサクが生まれました。ある時サラは、イシュマエルが幼いイサクをからかっているのを見て、将来に不安を覚え、アブラハムにハガルとイシュマエルを追い出すように訴えました。アブラハムは神に祈り、神がイシュマエルも祝福するとの約束を得て、ハガルとイシュマエルを追い出したのです。

祭司の家系であるザカリヤにとっても、子がいないということは、どんなに悲しい事であったでしょう。この時、ザカリヤは8節「さてザカリヤは、自分の組が当番で、神の前で祭司の務めをしていたとき、」とあります。また、9節「祭司職の慣習によってくじを引いたところ、主の神殿に入って香をたくことになった。」とあります。彼はアビヤの組の代表として神殿に入り香をたき祈るという名誉な仕事が与えられたのです。11節「すると、主の使いが現われて、香の祭壇の右に立った。」12節「これを見たザカリヤは取り乱し、恐怖に襲われた。」とあります。13節~17節「御使いは彼に言った。『恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。あなたの妻エリサベツは、男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって、あふれるばかりの喜びとなり、多くの人もその誕生を喜びます。その子は主の前に大いなる者となるからです。彼はぶどう酒や強い酒を決して飲まず、まだ母の胎にいるときから聖霊に満たされ、イスラエルの子らの多くを、彼らの神である主に立ち返させます。彼はエリヤの霊と力で、主に先立って歩みます。父たちの心を子どもたちに向けさせ、不従順な者たちを義人の思いに立ち返らせて、主のために、整えられた民を用意します。』」18節「ザカリヤは御使いに言った。『私はそのようなことを、何によって知ることができるでしょうか。この私は年寄りですし、妻も年を取っています。』」この時のザカリヤとエリサベツは何歳だったでしょう。正確には聖書に書かれていないので、分かりませんが、旧約聖書を調べると、祭司の仕事ができるのは30歳から50歳までと定められています。それを考えると、高齢でもザカリヤとエリサベツは50歳ということになります。アブラハムは100歳、サラは90歳でイサクを産みましたから、それに比べるとそれほど不可能には思えません。ただ、祈りが2年3年で叶えられるなら祈り続けることが出来ます。しかし、20年30年祈り続けても何の変化も起きなければ、人間はあきらめてしまい希望を失ってしまいます。ザカリヤは神に祈っていながらも現実を見て、いつしかあきらめていました。もっと早ければ、もっと若ければ、素直に御使いのことばを喜んだかもしれません。彼は目の前の現実(年老いた、子を産めない)に支配されていたのです。私たちも同じ経験をします。家族の救いの為、結婚や仕事の成功などを祈っても、何も変化がなければいつしかザカリヤの様に時間と共にあきらめてしまいます。ただ、ここで覚えたいことは、確かにザカリヤは御使いのことばを信じなかったゆえに、こどもが生まれるまで口がきけなくなってしまいました。しかし、そんな不信仰なザカリヤの祈りさえ神は聞いて下さり、主の道を整える働きを実行するバプテスマのヨハネを与えてくださったということです。このザカリヤが口がきけなかった日時は、彼の悔い改めの時間となったのではないでしょうか。

ザカリヤは祭司でありながら、年老いたという現実の前に、神のことばを信じることが出来ませんでした。しかし、神は、そんなザカリヤを見捨てることなく、大きな祝福を与えられたのです。神は時間に支配されないお方です。神には神の時間があり、私たちの時間とは違いがあります。しかし、祈りは神に届いていることは間違いありません。あきらめないで祈り続けましょう。神の御心ならば必ずそうなると信じて祈り待ちましょう。