イエスの復活と教会の誕生

使徒の働き2章37節~41節

先週はイエス・キリストの復活を祝うイースターの特別な日でした。イエス・キリストが十字架につけられ、死より三日目に復活されたことによって、私たちの罪の問題は解決され、救いの道が備えられました。イエス・キリストの復活はそれだけではありません。今日は、イエス・キリストの復活後についてお話しします。

イエス・キリストは復活されてすぐに天に昇って行かれたわけではありません。使徒の働きを見ると、1章3節「イエスは苦しみを受けた後、多くの確かな証拠を持って、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。」とあります。また、イエスは弟子たちにこのように命じています。4節5節「使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。『エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたがたは間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられるからです。』」明らかにイエスは、使徒の働き2章で起こる、ペンテコステのことを預言して言われました。また、弟子たちに聖霊が与えられる目的をこのように教えています。8節「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」聖霊が弟子たちに与えられる理由は、弟子たちを助け、世界中にイエス・キリストの復活を宣べ伝えるためです。弟子たちはオリーブ山からエルサレムに帰り、屋上の部屋に留まり、イエスの約束の時を待ちました。その時、百二十人ほどが集まって祈っていました。また、彼らは、イエスを裏切り自殺したイスカリオテ・ユダの代わりに、くじでマッティアを十二使徒の一人として選びました。

使徒の働き2章において、イエス・キリストが約束された聖霊が弟子たちに与えられたことが記されています。2章1節「五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。」とあります。「五旬節」の日とは、ユダヤ人にとって特別な日です。過越しの祭りから五十日目のお祭りのことで、「七週の祭り」とか「初穂の日」と呼ばれる特別な日でした。ユダヤ人の成人男性は、「過越しの祭り」「仮庵の祭り」「七週の祭り」の三大祭りには、どこにいても宮参りをしなければならないと定められていました。それゆえ、この日には、エルサレムの町は、多くの人でにぎわっていました。2節~4節「すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現われ、一人一人の上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めました。」弟子たちが他国のことばで、神の大きな御業を語るのを聞いた外国人は、驚き不思議に思ったとあります。ユダヤ人たちの中には、弟子たちが酒に酔っているのだとあざける者たちがいたと記されています。ペテロは十二弟子を代表してこの状況を説明しました。16節「これは、預言者ヨエルによって語られたことです。」旧約聖書のヨエル書には、すべての人に聖霊が与えられることが預言されていました。また、ダビデのことばを通して、イエス・キリストの復活について宣べられていました。ペテロの説教を聞いた人々は、心を刺され、彼に言いました。37節「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか』と言った。」とあります。38節「そこで、ペテロは彼らに言った。『それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』39節「この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」ペテロの説教を聞いた人々はどうしたでしょうか。41節42節「彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。』」聖霊が下る前に集まっていたのは、百二十名の人々でした。ところが、聖霊が弟子たちに下り、ペテロが人々にイエスの復活を宣べ伝えると、三千人ほどの人々が弟子に加えられたのです。この日こそ教会の誕生日となったのです。

ここまでを整理してみると。イエス・キリストは死より三日目に復活され、弟子たちに四十日間、ご自分が復活されたことを証明し天に昇って行かれました。このとき、イエス・キリストは弟子たちに二つのことを命じました。(1)エルサレムを離れないで、父の約束、聖霊を待つこと、そして(2)聖霊を受けたら、イエスの復活の証人となり、全世界に出ていくことです。その後、使徒の働き2章、五旬節の日に、弟子たちに聖霊が下りました。ペテロが聖霊に満たされて、多くの人の前で、イエスの復活について宣べ伝えると、人々は心を刺され、その日だけで三千人が弟子に加えられ、教会の働きが始められたのです。教会とは、建物のことではありません。教会は、ギリシャ語でエクレーシアという言葉が使われています。エクレーシアとは、呼び集められた者たちの意味で、イエス・キリストによって新しいいのちが与えられた者の集まりを意味しています。イエス・キリストは、新しいいのちが与えられた私たちの信仰が守られるために、聖霊様と教会を与えてくださいました。教会は罪ある人間の集まりですから、不完全で、教会においても問題があります。しかし、私たちは教会を抜きにして信仰を守ることはできません。教会において、御ことばを学び、共に祈り、交わることを通して私たちの信仰は守られているのです。新型コロナウイルスによって教会に集まることが出来ず、交わりもできなくなったとき、私たちの信仰は大きな危機にさらされました。確かにYouTubeで配信された映像を見て礼拝の形を守ることはできました。しかしそれは、不十分な礼拝でした。先週、イースター礼拝の後、サンドウィッチパーティーを行い、楽しい時を持ちましたが、その時、交わりの大切さを強く感じました。確かに、YouTubeによって教会に来なくても自宅で自由に礼拝に参加することは出来ます。また、普段、教会に来られない方、病気や事情があり教会に来られない方々にとっては大切な働きです。しかし、YouTubeだけで礼拝は十分なのでしょうか。礼拝とは、聖書のメッセージを聞くだけではありません。祈りと讃美と御ことばと献金と交わりのすべてが合わさって一つの礼拝です。これからも、教会に来られない方はYouTubeを通して、礼拝に参加していただきたいと思いますが、それだけで満足することなく、ぜひ教会に来て、礼拝を通して神様の恵みを受けていただきたいと思います。